※本ページ内の情報は2025年5月時点のものです。

1965年の創立以来、カタログ通販の領域で成長してきた株式会社フェリシモ。ファッションアイテムから生活雑貨、手づくりキット、食品に至るまで、バラエティに富んだ品揃えはもちろん、独創的なオリジナル商品の企画・開発で人気を集めている。代表取締役社長の矢崎和彦氏に、会社の成り立ちや経営者としての思い、今後の展望をうかがった。

若者の視点を生かして家業の通販事業をパワーアップ

ーー貴社に入社した経緯や、入社後の取り組みをおうかがいできますか。

矢崎和彦:
弊社の前身となる事業を立ち上げ、常に忙しそうにしている父を見てきたことから、大学卒業後は平穏に生活できるサラリーマンになりたいと思っていました。しかし、父と二人三脚で会社をつくり上げてきた兄に「家業を手伝ってくれ」と頼まれ、その熱意に応えようと入社を決めました。

そして、1978年に入社。最初に取り組んだことはカタログの強化です。私は生まれ育った大阪を出て都内の大学に通ったのですが、当時の東京は、渋谷に東急ハンズができたり、パルコが流行を発信していたり、若者にとって刺激的な場所でした。それに対し、当時、弊社で取り扱っていた商品は私自身が欲しいと思えるものは多くはありませんでした。

「もっといろいろな商品を扱いたい」と思い、品揃えの幅を広げたことは、会社にとって大きなきっかけだったと言えます。

また、カタログ通販ビジネスといっても、当時は法人にカタログを配布し、勤めている方に共同購入していただくスタイルが主でした。当時はメイン顧客である女性は20代半ばで寿退社する人が多く、退社してしまうと関係性が途絶えてしまい、商品のファンを維持できない状況でした。そこで、顧客開発責任者だった私は、事業領域を職域から個人へシフトすることを決断しました。顧客個人と繋がり続けるように工夫したのです。

品揃えの拡張とターゲットの変更の相乗効果で会社を成長させることに成功しました。

ーー通信販売としての知名度を上げたきっかけをうかがえますか?

矢崎和彦:
全国の書店にカタログを置いていただき、販路が広がったことで、知名度が格段にアップしました。販路拡大の理由は、品揃えと共にカタログのページ数やクオリティがアップしたことから、印刷費や送料がかさむようになったことです。

印刷や送料のコストをかけても、お客様にカタログの中身を見ていただけるかわからない状況を打開すべく、「書店でカタログを購入してもらおう」と思い立ちました。結果的にダイレクトメール(DM)でカタログを無料送付していた頃より飛躍的に受注率が上がり、書店での実売数の5割近くの受注率を達成したこともありました。

ーーネット通販はいつ頃、開始したのでしょうか?

矢崎和彦:
現在のような大手通販サイトが日本にない90年代前半からEC開発をスタートしました。アメリカを中心にインターネットの運用が始まり、「これからすごい時代に突入する」という情報をキャッチしたためです。

当時、弊社の通信販売は郵便が主流、次にFAX受注だったので、ネット通販を導入すれば受注から配達までのスピードを革新的に変えられると確信しました。その頃はまだ社会全体に「インターネット」という概念が普及していなかったため、当時はアーリーアダプター(※)向けの商品も手がけていました。

(※)アーリーアダプター:イノベーター理論における消費者層の一つで、新しい商品やサービスを早期に受け入れ、他の人々に影響を与える層。

社名と理念にこめた「しあわせ」になるべき社会への思い

ーー社長に就任された当時の思いや出来事をお聞かせいただけますか。

矢崎和彦:
経営以上にやりたいことがあった兄に託される形で、社長業を引き受けました。32歳での社長就任は一般的に早いと思われていますが、それまでと仕事内容が大きく変わることはなく、私自身に特別な決断や迷いはありませんでしたね。

若い頃抱いていた「サラリーマンになりたい」という気持ちは、年を重ね、経営に携わる中で前向きに変化していました。社長を担うからには「経営理念を実践する会社にしたい」と心から思えたからです。

「しあわせ社会学の確立と実践」という現在の理念は、会社が受け継ぐべきバトンとして就任前に兄と設定しました。世の中における究極の目標は永続的なしあわせであり、それを実践していくという考えです。社員には、よりわかりやすいメッセージとして「地球上のしあわせの総量を増やす存在になろう」と伝えています。

理念をつくったタイミングで、社名も「ハイセンス」から「FELISSIMO(フェリシモ)」に改めました。ラテン語の「FELICITY(至福)」と、強調を表す接尾語の「SSIMO」からなる造語で、「最大級で最上級のしあわせ」を意味します。

ーー就任後の印象的なエピソードをお聞かせください。

矢崎和彦:
大阪梅田から神戸への本社移転は、フェリシモにとって大きな転機となりました。現在、本社がある場所は環境も良く、人材を確保しやすい理想的な土地です。移転前は大阪や東京に拠点が分散していましたが、拠点がまとまったことで業務の効率性も上がりました。

本社移転は、実は当初の計画より半年ほど延期しました。移転準備を進めていた1995年1月に、阪神・淡路大震災が発生したからです。新天地と決めた場所が甚大な被害を受けたことを知り、「私たちにしかできないことがあるはず」と理屈よりも感情が先立ち、支援活動に本気で取り組みました。

既存のお客様から義援金を集めたり、避難所に支援物資を送ったりなど、「自分たちにできることはすべて実行しよう」という思いでしたね。被災したお客様には、今でも「物資を届けてくれてうれしかった」「フェリシモの商品で笑顔になれた」と言っていただけます。

この出来事は、物理的な引っ越しだけでなく、会社の存在理由の引っ越しでもあったと言えると思います。企業と社会の呼吸が一体化し、社会から見るフェリシモ像が変わっただけでなく、社員たちが「しあわせを生み出す会社とは何か」を肌で知る出来事でもありました。

ーー理念を浸透させる仕組みは社内にあるのでしょうか?

矢崎和彦:
ミーティングでは「しあわせ」という言葉が頻繁に使われるので、中途採用などで他社からやってきた人は最初は驚くみたいですね。企業のコア・バリューを言語化した「ともにしあわせになるしあわせ」というスローガンも意志の共有に役立っています。

私たちは商品を開発する側である一方で、「誰もが創り手であり、しあわせを受け取る人になれる」という思いがあります。フェリシモのメンバーもお客様も、それぞれの人生の主人公だからこそ、お客様にもしあわせを作り出す主役になっていただきたいのです。

お客様がご自身で使って楽しい気分になれたり、誰かにプレゼントして喜ばれたり、フェリシモの商品がしあわせな物語の小道具になるとうれしいですね。その循環で、弊社のメンバーとお客様が「ともにしあわせ」な未来をつくっていければと思います。

オリジナル商品の開発とポートタワー事業に注力

ーー現在の事業モデルや強みを教えてください。

矢崎和彦:
ファッションや生活雑貨、手づくりキットなど、幅広いジャンルのオリジナル商品を中心とした通信販売事業をしています。長きにわたって、まだ市場にない商品を生み出す企画力と、お客様の声を取り入れた商品開発や仕入れを行うスタイルを強みとしてきました。

カテゴリーや気分でアイテムを選び、お好みの期間でお買い物を楽しむことができる「フェリシモ定期便」というサブスクリプション形式も特徴で、リピーターの獲得につながっています。

ゼロからモノをつくり出すだけでなく、情報発信・受注・決済・物流といった事業の流れが自社内にあり、バリューチェーンにも組み込まれている点が最大の強みと言えるでしょう。

ーー神戸ポートタワー事業の詳細や、事業を始めた経緯についてお聞かせください。

矢崎和彦:
神戸港のシンボルとして知られる「神戸ポートタワー」の屋上デッキや展望フロア、エントランスエリア、低層フロアの一部を運営しています。2024年4月のリニューアルの際、プロデュースさせていただくことになりました。

当時のコンテンツは、素晴らしいロケーションを生かしきれていないと感じたものの、複雑化した契約によって誰も改善に乗り出せない状況でした。その後、神戸市長が問題を整理した上で運営者を募集した際、弊社が名乗りを上げたという経緯があります。

私を動かしたのは、「魅力を生かしきれていない事業に取り組み、世の中の人々をもっとしあわせにしたい」という気持ちです。まさに「ともにしあわせになるしあわせ」です。課題を抱えた自治体や経営者の方がいらっしゃれば、ぜひお声がけいただければと思います。

ーー「大阪・関西万博」での小売りの事業について、どんな構想をお持ちですか?

矢崎和彦:
2025年10月13日まで開催される「大阪・関西万博」に、700デザイン以上のオリジナル商品を揃えた限定ショップ「felissimore[フェリシモっと]」を出店し、滑り出しは順調です。

本ショップは「未来のフェリシモへの扉」というイメージで展開しており、お客様の反応を見ながら新しいチャレンジをしていくラボ(実験場)と位置づけています。

来場者の皆様にフェリシモの存在を知っていただくことはもちろん、海外事業をともに進められるパートナーが現れたら素敵だと考えています。

100年企業を目指して海外展開と新プロジェクトに挑戦

ーー仕事をする上で、社長が大事にしている考えをおうかがいできますか。

矢崎和彦:
新入社員には、「仕事とプライベートを切り分ける生き方はおすすめしない」と最初に伝えています。せっかく生まれて、社会に出たのだから、自分の興味・関心と仕事を結びつけ、会社を通して志を実現した方がしあわせではないでしょうか。

経営者にできることは、みんなに役割と舞台を提供することです。そのために、社員が入社に向けて抱いた思いや仕事を通じて見つけた志を持ち続け、実現できる会社にしなければいけないと思っています。

ーー今後の展望をお聞かせください。

矢崎和彦:
弊社は2025年5月に創立60周年を迎えました。これからは100年企業を目指す上で、昨日や今日の続きのような感覚で仕事をせずに、時世を見ながら日々変化し続けたいです。

「1000万人で未来を変える」というスローガンのもと、新プロジェクトの『Team GO! PEACE!』も立ち上げ、この先10年にわたって、より良い社会の実現に取り組んでいく決意もあります。「1000万人」とは、私たちのお客様やお取引先、各専門家の方々のことです。みんなで一緒に素敵な未来と社会をつくっていく活動の一環として、弊社は既存事業をさらに盛り上げていければと思います。

また、弊社は広告代理店ならぬ「社会のしあわせ代理店」でありたいと思っています。当事者には見えていない事業の特色や魅力を第三者の目線で見出し、単独では実現できない価値創造のサポートを担わせていただくという構想です。そのことによって社会のしあわせの総量を増やすお手伝いをしていきたいと考えています。

ーー世界中に事業を展開する予定もあるのでしょうか?

矢崎和彦:
通販事業を展開しているので、すでに海外にもお客様がいらっしゃいますが、やはり現地に行って初めてできることもあるでしょう。

弊社が60周年を迎えるということで、「未来をつくる60の物語」をテーマに、5年がかりで60種類の企画を立ち上げていく「STAGE60」というプロジェクトが立ち上がりましたが、その中に海外進出も含まれています。

「STAGE60」には、すでに社員から続々とアイデアが集まっています。私も「こんなことをやったら面白いだろう」と考えていたことがたくさんあって、アイデアがどんどんあふれてくる日々です。これからも、常に新しいことに挑んでいく企業として末永く発展したいと思っています。

編集後記

自分の「欲しい」を形にするスタイルで会社を盛り上げ、進化させてきた矢崎社長。「きっと世界中の人々がしあわせになるために生きている」という考えを事業に反映し、自身や周囲の人々の「しあわせな人生」を実現してきた。その軸をぶらさず、時代に合わせて変化しながら未来に向かうフェリシモと、ともに新しい世界を見たい人は増え続けることだろう。

矢崎和彦/1955年生まれ。学習院大学経済学部卒業、神戸大学大学院経営学研究科修了。大学卒業と同時に、株式会社フェリシモ(旧:ハイセンス)へ入社。1987年、代表取締役社長に就任。環境保護や被災地支援など、社会貢献活動を積極的におこない、コア・バリュー「ともにしあわせになるしあわせ」を実践している。