
一般消費者用から理美容用、医療用、産業用と、多岐にわたる分野の刃物の製造・販売を手がけるフェザー安全剃刀株式会社。2032年に創業100周年を迎える同社が、先人から受け継いだものとは何か。同社の代表取締役社長を務める岸田英三氏に話をうかがった。
さまざまな経験を経て、経営の最前線へ
ーー貴社に入社される前は、どのような仕事をしていましたか?
岸田英三:
私は大学時代に柔道の全国大会に出場した際、株式会社豊田自動織機の柔道部の監督に声をかけていただき、入社しました。
入社後は生産管理課に配属され、日々の生産計画の立案や進捗の確認といった業務に携わりました。豊田自動織機では約8年間勤務し、生産管理の仕事に従事しながら、途中管理システムの開発にも携わっておりました。
この経験を通じて、現場のオペレーションとシステム開発の両方に携わることができ、ものづくりの現場における効率化や課題解決に貢献する力を身につけることができました。
ーー貴社に入社してから社長に就任されるまでの経緯をお聞かせください。
岸田英三:
もともと弊社の工場などがある岐阜県関市の出身です。ちょうど30歳になる年に縁あって入社しました。
入社後は、関工場で生産管理を担当し、計画立案や進捗管理に従業するとともに、原価計算などのシステム開発にも関わりました。さらに、『フェザー平成の大投資』という名称まで付けられましたが、弊社の日ノ出本部・美濃工場・関工場・大阪本社・研究所・フェザーミュージアムそれぞれの建て替えや新築移転を行いました。そのほとんどに携わり、特に関工場においては建設委員長を務めました。振り返れば、本業と並行して長い間、働く現場づくりに関わっていたことになります。
その後、工場長や役員などを経て、2016年に代表取締役社長に就任しました。
社長就任当初、営業の現場経験がなかった私は、しばらく会長のもと、営業のいろはについて学んでおりました。まだまだすべてを伝授されていない就任4年目に突然会長が急逝しましたが、社員をはじめ多くの方々の支えによって、経営を引き継ぐことができました。
先人から受け継いだ開発力を活かして事業を拡大

ーー貴社の事業内容を教えてください。
岸田英三:
弊社は1932年に、「関安全剃刀製造合資会社」との社名で、日本初の国産カミソリ替え刃を製造する企業として設立されました。その背景には、岐阜県関市に根付く刃物づくりの長い伝統があります。
カミソリメーカーとして順調に業績を伸ばし、1953年には現在の社名へと変更しました。社名「フェザー」は、「羽のようにやさしく頬をなでる肌触りのカミソリを目指す」という理念に由来しています。
この理念のもと、誰もが安全・安心に使用できるカミソリの開発に取り組んできました。その結果、現在では一般消費者向けはもちろん、理美容用、医療用、さらには産業用など、幅広い分野に向けた高品質な刃物の製造・販売を行っています。
ーー貴社の事業の強みや特徴はどのようなところですか?
岸田英三:
弊社の最大の強みは、刃物の分野において時代の変化をいち早く読み取り、新たな製品を開発し、市場を切り拓く力にあります。
1960年代の貿易自由化により、海外製の替え刃カミソリが日本市場に流入し、一般消費者向けのカミソリ市場は海外メーカーとの激しい競争にさらされました。2枚刃カミソリなどの新製品が次々に登場する中、それまで高かった国内のシェアはみるみる急落していきました。
その中で、先人たちが目を向けたのは、理美容用カミソリや医療用メスといった新たな分野です。当時、理髪店ではカミソリを研ぎ直して使用しており、大病院にはメスの研師が常駐していました。こうした現場に替え刃式を導入できれば、大きなイノベーションが起こると信じて開発に着手しました。
たとえば、理髪店や美容院に開発者自ら足を運び、髪の切断面や刃の摩耗具合を顕微鏡で確認しながら、切れ味や耐久性の改良を重ねて信頼を築いていきました。
また医療分野では、ミクロン単位の高精度な刃物技術を活かし、がん診断に用いられる臓器標本作製用の刃物を開発。臓器を数マイクロメートルの厚みに精密に薄切できるこの製品は、まさに“精密刃物メーカー”としての技術力の結晶です。
弊社は創業以来、品質第一を徹底してきました。先代社長の言葉「トレンディーよりタイムレス」――それは、一時の流行ではなく、時代を超えて信頼される製品づくりを意味しています。
現在、すべての製品は国内の自社工場で生産され、「Made in JAPAN」として120か国以上に輸出されています。
活発なコミュニケーションで働きやすい環境づくりに取り組む

ーー働く人にとっての貴社の魅力は、どのようなところですか?
岸田英三:
社員同士の距離が近く、コミュニケーションが活発であることも、弊社の大きな特長のひとつです。新入社員であっても、社長と直接意見を交わすことができる風通しの良い職場環境が整っており、誰もが自分の声を届けられる企業文化が根づいています。
部門を越えた交流も盛んで、運動会や忘年会などの社内イベントを通じて、社員同士のつながりを深めています。こうした取り組みが、チームワークの良さや働きやすさにつながっています。
今後もこの風通しの良い社風を大切にしながら、「選ばれる会社」を目標に、時代や働き方の変化に柔軟に対応し、社員一人ひとりがやりがい、生きがい、働きがいを感じられる会社づくりを進めてまいります。
ーー最後に、貴社の今後の展望をお聞かせください。
岸田英三:
今後、世界的に成長が見込まれるのは医療分野であると私たちは考えています。中でも、脳外科、眼科、耳鼻科などの手術に使用される微細な刃物の需要は、今後も着実に伸びていくと見込まれます。
この需要拡大に対応するため、弊社では医療用製品を製造する美濃工場の増床を進めており、現在その規模は従来の1.5倍に拡張されようとしています。医療用製品は多品種少量生産が中心であるため、生産体制や管理体制のさらなる効率化を図るとともに、倉庫の整備も進めています。
コロナ禍を経て、社会は依然として先行き不透明な状況にありますが、私たちはこのような時代だからこそ、明確なビジョンを掲げることが重要だと考えています。そこで、2025年度より新たに中期経営計画を策定し、数値目標を明示することで、より具体的な成長指針を打ち出していく予定です。
編集後記
「失敗してもいいから、変えられることは変えていこうと社員に伝えている」と語る岸田社長。先人の残した技術や意思を大切にしながら、革新的な姿勢を掲げる社長の姿に、同社の明るい未来を見た思いがした。

岸田英三/1960年、岐阜県生まれ。中央大学卒業。株式会社豊田自動織機を経て、1990年にフェザー安全剃刀株式会社へ入社。専務などを経て、2016年に同社代表取締役社長へ就任。