※本ページ内の情報は2025年7月時点のものです。

産業用コンピュータの分野で世界的なシェアを誇るアドバンテック株式会社。同社は幅広い業種・業態に対応した製品ポートフォリオと、カスタマイズ対応力を強みとしている。

さまざまな産業のデジタルトランスフォーメーション(DX)を支える同社は、日本での事業拡大を加速させている。その日本事業を率いるのが、代表取締役社長の吉永和良だ。同氏はエンジニアとしてキャリアを築き、MBA取得を経てコンサルタントへ転身。さらに、事業会社では自ら描いた戦略で売上を6倍に成長させた経験を持つ。今回は、これまでの挑戦の軌跡と、アドバンテックで描く未来像について話をうかがった。

「戦略を描く側へ」技術者に芽生えた新たな野心

ーーこれまでのキャリアについておうかがいできますか。

吉永和良:
私は中国出身で、上海にある同済大学で機械工学を学びました。当時の中国の若者は、誰もが海外に強い憧れを抱いており、私もその一人でした。「世界のどこでもいいから、とにかく海外で勉強がしたい」という気持ちでした。英語圏を希望していましたが、先に日本へ行くチャンスが訪れたため、1989年に来日しました。

来日直後は、日本語がほとんど話せない状況でしたが、ソフトウェアエンジニアとしてキャリアをスタートさせました。現場で実務と日本語を必死に覚えながら、がむしゃらに働いた10年間でした。今でも古いSNSアカウントに、当時のエンジニアのユニフォームを着た写真が残っています。

10年間エンジニアとして働いてきましたが、次第に「自分のキャリアの方向性を変えたい」という思いが強くなりました。「技術の専門家として道を究めるより、もっと戦略的でマネジメントに関わる仕事がしたい」と考えるようになったのです。そのために、まずビジネスの体系的な知識を身につけようと、MBAを取得しました。

ーーMBA取得後、どのような経験をされましたか。

吉永和良:
2003年にワシントン大学でMBAを取得した後、日本IBMに入社し、コンサルタントとして3年間勤務しました。その後、2006年に台湾のIBMへ派遣されるという大きな転機が訪れます。そのミッションは、台湾IBMにまだ存在しなかった戦略コンサルティングのチームをゼロから立ち上げることでした。「中国語が堪能なコンサルタントはいないか」という台湾からの要請に、私が抜擢されたのです。

台湾での仕事は、まさに何もないところから組織をつくり上げるという、非常に挑戦的なものでした。3年間で20〜30名ほどのコンサルチームをつくり上げましたが、そのときのクライアントの一つが、現在私が在籍するアドバンテックでした。

戦略を実行し売上6倍を達成したGoerTek時代

ーーこの後の経歴についてお聞かせください。

吉永和良:
IBMのコンサルタントとしてGoerTek社(歌爾股份有限公司)(※1)の成長戦略を策定しましたが、「戦略を描くだけでなく、自ら実行したい」という思いが募っていました。そんな折、GoerTek社の社長から「君が描いた戦略を、社員として実行してほしい」と直接声をかけられます。

(※1)GoerTek(歌爾股份有限公司):精密部品やインテリジェントハードウェアの研究開発、製造、販売を行う中国に拠点を置く企業

「売上を100億人民元から100億ドルへ、約6倍に成長させる」という壮大な目標と社長の熱意に心を動かされ、入社を決意。入社後は、部品から完成品への事業転換や大手顧客の開拓を推し進め、6年で売上目標を達成しました。

目標達成後、今度は経営者不在だった5万人規模のベトナム工場の責任者を打診されます。工場経営は未経験でしたが、これも挑戦と捉えて引き受け、結果的に2年間その運営に携わりました。

創業文化を未来の強みに変える組織改革

ーー貴社へ入社された経緯を教えてください。

吉永和良:
ベトナムでの工場経営の仕事を終えてGoerTekを退職した後、次のキャリアは決めずに、まずは観光で台湾に遊びに行きました。その時、台湾IBM時代の元上司の退職パーティーに呼ばれました。そこで「この次にやることが決まっていないなら、アドバンテックの会長が君みたいな人を探しているそうだ」と、思いがけない話が舞い込みました。

そして、その場ですぐに会長に電話をしてみることにしました。ビデオ通話で顔を見せると、会長は私のことをはっきりと覚えていて、「ああ、君か!覚えているよ!」と、歓迎を受け、アドバンテック第3の成長戦略を構想実現するために、コンサルタントではなく、リーダーとしてアドバンテックに加わってほしいとの強い要望を頂きました。実はこの時、旅行の次の目的地フィリピン行きの航空券も既に購入済みでしたが、この出会いに運命を感じ、すべてキャンセルしてアドバンテックへの入社を即決しました。

ーー現在、アドバンテックではどのような役割を担っていますか。

吉永和良:
私はアドバンテック本社(台湾)の経営戦略室でバイスプレジデントを務めています。具体的なミッションは、会社全体の成長を牽引する「第3期中期成長戦略」の策定と、その実行の全責任を担うことです。

この戦略の核心は、単なる「モノ売り」からの脱却、すなわちビジネスモデルの変革にあります。これまで強みとしてきた産業用コンピュータといったハードウェア提供から、顧客の課題を根本から解決する「ソリューション・プロバイダー」へと進化すること。さらには、顧客と共に新たな価値を創造する「共創パートナー」になることが最終的なゴールです。

たとえば、スマートファクトリー化を目指すお客様に対し、単にコンピュータを納品するのではなく、センサーやAI分析まで含めた一つのシステムとして提供し、お客様のDXを成功に導く。そうした高付加価値な関係性を築くための舵取りを行っています。

ーーその壮大な戦略を実行する上で、最大の挑戦は何でしょうか。

吉永和良:
最大の挑戦は、「成功体験」そのものを、未来の成長に合わせてアップデートしていくこと、つまり企業文化の変革です。創業会長は「社員一人ひとりが幸せな人生を送れる会社を作りたい」という利他の精神を原点に、この会社を成長させてきました。それは社員の自律性を重んじ、個々のチームが独立した事業体のように動くことで成功を収めてきた、素晴らしい文化です。

しかし、企業規模が数千人単位に拡大し、グローバルで事業を展開する現在、その「自律的・分散的な成功モデル」が、部門間のサイロ化という課題を生み始めています。かつての強みが、組織全体の総合力を削ぐ要因になりかねない。このジレンマこそが、私たちが向き合うべき最も挑戦的なテーマだと感じています。

ーー組織論において、会長と意見が異なることもありますか。

吉永和良:
ええ、もちろんあります。これまでの経験から、私はグローバル企業としての成長を支える組織のセオリー、例えば全社共通のKPIや統合的なマネジメントシステムの重要性を理解しています。しかし、長年の成功体験を持つ会長にとって、それは「官僚的で、我々らしさを失わせる大企業のやり方だ」と映ることがあるのです。

会長の成功体験は、個々の小さなチームが独立して俊敏に動き、その集合体として会社が大きく見えるというものです。そのため、組織を中央集権的に再設計し、統合的に経営することに対して、これまでの強みであったスピード感や現場の活力が失われるのではないか、というある種の不安を感じるのは当然のことでしょう。このビジョンと現実のギャップを埋め、両者の長所を融合させた「アドバンテックならではの成長モデル」を構築することが、私の重要な役割だと認識しています。

ーーその「ギャップ」は、具体的にどのような問題として現れていますか。

吉永和良:
会長とグローバル戦略を進める一方で、日本支社の社長として、日本のオフィスに目を向けると、非常に分かりやすい例が、顧客対応です。例えば、ある大規模なスマートファクトリーの案件で、弊社のA事業部とB事業部が、それぞれ別々に同じお客様へアプローチしてしまう、といった事態が起きていました。お客様から見れば「同じアドバンテックなのに、なぜ社内で連携が取れていないのか」と不信感を抱かせることになり、ブランドイメージを大きく損なうリスクをはらんでいます。

これは、社員の能力や意欲の問題ではなく、事業部ごとに最適化された組織構造が引き起こす、仕組み上の課題です。各チームが持つ高い専門性を、いかにしてお客様への「一つの統合された価値」として提供できるか。それが急務でした。

ーーその根深い組織課題に対し、どのような解決策を講じているのですか。

吉永和良:
私たちは「One Advantech(ワン・アドバンテック)」というコンセプトを掲げ、多角的な改革に着手しています。

その一つが、顧客中心のチーム編成への転換です。従来の製品別の縦割り組織ではなく、「医療DX」や「スマートリテール」といった顧客の課題領域ごとに、各部門の専門家が集結するクロスファンクショナルなチームを組成しています。これにより、お客様に対して「アドバンテック」という一つの窓口で、最適な統合提案ができる体制を目指します。当然、評価制度(KPI)や情報共有の仕組み(CRM)も、部門の壁を越えた連携を促すものへと刷新している最中です。

そして、こうした組織変革の象徴的な一手として取り組んだのが、日本法人のオフィス移転です。以前のオフィスは事業部ごとにフロアが分断され、社員同士が顔を合わせる機会さえありませんでした。そこで2025年に移転した新オフィスでは、あえて全部門を一つの広大なフロアに集約しました。

私たちはこれを「コラボレーションを誘発するための戦略的投資」と位置づけています。物理的な壁を取り払い、カフェのような「マグネットスペース」を設けることで、社員同士の偶発的な出会いや会話が生まれる。その「意図された偶然(エンジニアード・セレンディピティ)」の中から、新しい協業が生まれると期待しています。

こうした包括的なアプローチを通じて、日本市場で多くのお客様が直面するDXの課題に対し、信頼される「DXパートナー」として伴走していく。それが、私たちの戦略の全体像です。

戦略で未来を拓くアドバンテックでも成功への挑戦

ーーこれまでの経験を今後はどう生かしていきたいですか。

吉永和良:
アドバンテックが主力とするインダストリアル分野は、前職で経験した消費者向け電子機器の業界とは異なります。そのため、すぐに売上が倍増するような派手さはありません。しかし、既存のやり方に新しい手法を組み合わせることで、成長のスピードは着実に加速できると確信しています。特に日本では、部門間のコラボレーションを活性化させることが重要です。クライアントに対してワンチームとして価値を提供し、新たなビジネスチャンスを創出していきたいと考えています。

また、弊社は産業用PCの分野で世界トップシェア(42%)をいただいております。2025年はさらに、エッジコンピューティングの分野においても、トップ企業を目指しており、日本のお客様とより深くコミットするために、具体的な投資を加速させています。

大きな柱の一つが、製造と物流体制の強化です。現在、2027年の竣工を目指し、約50億円を投じて日本に新たな工場を建設する計画を進めています。これは、昨今の中国・台湾を巡る国際情勢の変化といった地政学リスクへの対応も視野に入れたものです。万一の事態にもサプライチェーンを維持し、お客様への安定供給を続ける。そのための「日本発」の製造・物流体制を整備することは、私たちの重要な責務だと考えています。

もう一つの柱が、AI時代に対応するための事業モデルの進化です。正直なところ、これまで私たちが提供してきた産業用PCは、お客様の装置に組み込まれる「黒い箱」に過ぎない側面がありました。この黒い箱のままでは、AIが社会のインフラとなる時代に、新たな価値を創造するのは難しい。

そこで鍵となるのが、ソフトウェアの力です。もはや「ハードウェアだけでは勝てない」。この認識のもと、例えばインドの大手IT企業であるNagarro社と協業し、私たちのハードウェアに最適化されたソフトウェアやAIアプリケーションの内製化にも踏み出しています。ハードとソフトを融合させたトータルソリューションを提供することで、単なる「黒い箱」のメーカーから、お客様のビジネスを革新する真のパートナーへと進化していく。これらの日本への投資は、その本気の表れです。

ーー最後に、今後の展望についてお聞かせください。

吉永和良:
「社員一人ひとりが幸せな人生を送れる会社を作りたい」という会長の志、利他の精神の体現を成長するアドバンテックの中で実現していきたいと強く思っています。

私はコンサルタント時代、「所詮、絵を描くだけだろう」と言われることに、ずっと悔しさを感じてきました。前職のGoerTekでは、自ら描いた戦略を実行し、結果を出せることを一度は証明できたと自負しています。しかし、一度だけの成功では「それは時代の波に乗れただけ、幸運だったからでは」と言われるかもしれません。

だからこそ、コンサルタント時代に描いた戦略を、決してただの絵に終わらせたくありません。自分自身の手で実行し、成功させる。弊社で再びそれを成し遂げることで、「君の成功は、運だけではなかったね」と世界に認めてもらいたいです。2社連続で成功させれば、さすがに認めてもらえるかもしれません。それが今の私の夢であり、最大の目標です。

編集後記

エンジニアとしてキャリアを始め、MBA取得、コンサルタント、事業会社の役員、そして最先端のエッジコンピューティングメーカーの経営者へ。吉永和良氏は、常に未知の領域へ果敢に挑戦を続けてきた。そのキャリアの根底に流れるのは「描いた絵は、自らの手で完成させる」という実行者としての強い信念だ。一度の成功に満足することなく、アドバンテックという新たな舞台で、再び自らの戦略が正しかったことを証明しようとする同氏。その姿は、キャリアの可能性は決して一つではないことを教えてくれた。アドバンテックの今後の挑戦から目が離せない。

吉永和良/2003年、セントルイス・ワシントン大学を卒業し、MBAを取得。同年IBMに入社し、戦略コンサルタントとして主に日本・台湾・中国企業の成長戦略を支援。アドバンテックの第2期成長戦略の策定に関与。2015年、GoerTek社VPを経て、2023年にアドバンテック本社(台湾)の経営戦略室VPに就任し、同社第3期の中長期成長戦略の策定と実行を担う。2025年3月には、アドバンテック日本法人の代表取締役社長も兼任。