
小型モーターのオーダーメイド製造で約70年の歴史をもつ日邦電機株式会社。代表取締役社長の待岡誠氏は、創業家の三代目として、リーマン・ショックによる不況や特定企業への依存体質からの脱却など、数々の困難に直面しながらも海外展開に新たな活路を見い出し、老舗企業の変革を推し進めてきた。技術力と信頼を基盤に、未来を見据えた製品開発と組織改革を進める同社の歩みについて聞いた。
偶然がもたらした家業継承の道
ーーご経歴について教えていただけますか。
待岡誠:
大学卒業後、外資系の投資顧問会社に就職しました。金銭を扱う企業なので非常に厳格でノルマも厳しく、2年ほどで身体を壊してしまったのです。
そんな時、祖父(先々代の社長)の法要があり、父の会社の幹部たちから「そろそろ会社を手伝ってくれないか」と声をかけられました。私は創業家の生まれですが、父から会社を継ぐように直接言われたことはそれまでなかったのです。しかし、この声がけが転機となって入社を決意しました。
入社前の1年間は、寮生活を送りながら中小企業大学校の後継者コースに通い、経営の基礎を学びました。とりわけ印象に残っているのは、30人もの経営者や後継者たちと出会えたことです。同じ立場の人たちと共に学び、悩みや不安を共有できた経験は、何物にも代えがたい財産です。
ーー入社され、どのような業務に携わられたのでしょうか。
待岡誠:
まずは長野工場に入り、半年ほど現場の生産ラインに加わりました。製造業なので現場を知ることは必須ですし、人脈づくりも一から始める必要があったためです。
その後、社長室や経営企画室といった管理部門で、経営企画、営業、総務など、部署の垣根を超えて幅広く業務に携わりました。
スムーズな代替わりと一社依存からの脱却
ーー代替わりの際に印象的だった出来事があれば教えてください。
待岡誠:
2013年までは父が社長で、私は専務でした。父は二代目で、婿養子という立場だったため、代替わりには非常に苦労したようです。だからこそ、三代目の私には同じような経験をさせたくないという強い思いがあったようで、引き継ぎは驚くほどスムーズでした。
初代は技術、開発、営業のすべてこなす創業者特有の存在でしたから、二代目は大変だったのでしょう。父が引退する際、「私の仕事は、三代目に会社を無事に継がせることだった」と話していました。その言葉通り、立派に役割を果たしてくれたと感謝しています。
私が専務になってからはほとんど口出しをせず、「好きにやってみなさい」という姿勢で、経営判断を任せてくれました。経営者としての経験を積ませるための、父なりの配慮だったのだと思います。
ちょうど私が40歳、父が70歳、会社が創業60年という節目での代替わりを計画していました。しかしその前年、リーマン・ショックで業績が一気に悪化します。延期の話も出ましたが、「ここまで落ちたら、もう上がるしかない」と腹をくくり、予定通り社長に就任しました。
ーーその中でも最も苦労されたのはどのような点でしたか。
待岡誠:
最大の課題は、特定の一社に売上を依存する経営体質でした。ある企業とは40年以上にわたるお取引があり、売上の6割を占めていた時期もあったほどです。その結果、その企業の不振が、そのまま弊社の業績悪化に直結する構造になっていました。
ある時、同業の社長さんから「モーターは動くものならどこにでも使える。取引先を分散させなければだめだ」と助言をいただき、この一社依存からの脱却を本気で考えるようになりました。
しかし、長年の関係から抜け出すことは容易なことではありません。どの会社からどれだけの注文が入るのか、日々気を揉むばかりで、将来に希望が見えない毎日でした。何かワクワクするような挑戦がしたい。そんな思いが、海外展開へと私を突き動かしたのです。
ーー海外展開に至った背景についてお聞かせください。
待岡誠:
リーマンショック翌年に香港に関連会社を設立しました。海外展開のきっかけは、弊社に転職してきた社員の存在でした。モーター業界の経験者で海外ビジネスに精通しており、「一発勝負で海外で賭けてみませんか」と提案してくれたのです。私は「面白そうだ」と即決しました。今の専務も巻き込んで、3人で立ち上げたような形です。
ただ、本当に苦労したのは私ではありません。私は方針を決めただけで、実際に海外で顧客と関係を築いてビジネスを形にしてくれたのは現地の従業員たちです。彼らの努力には、今も感謝しかありません。
強みはオーダーメイドと現場力

ーー改めて、貴社の事業内容についてお聞かせください。
待岡誠:
弊社は小型モーターを得意としており、お客様からのご要望に応じたオーダーメイドのモーターを開発・提供しています。創業以来約70年間、一台一台仕様を調整しながら、さまざまな用途に対応してきました。お客様専用の仕様で開発するため、展示会に並ぶような汎用製品は少なく、外部への技術アピールも控えめです。しかし、長年にわたる信頼関係と、細やかな要望に応える対応力こそ弊社の強みだと自負しています。
海外案件、特に中国では工場を持たず、現地の協力工場に弊社の仕様で製造を委託しています。開発段階から仕様をすり合わせといった技術的な内容を詰める必要はありますが、こうした高度な連携が可能になったことこそ、ここ10年で築いた海外との信頼関係の証だと考えています。
主力は、日本の家電業界です。さらに、長野工場で製造している自動車組立用の電動工具や、特殊な工具に使われるモーター分野、医療系の製品への展開も増えています。
ーー長い業歴と技術歴の中で、社内の雰囲気や体制に変化はありましたか。
待岡誠:
かつては社員が120人ほど在籍していて、非常に和やかで仲間意識が強かったです。一社に支えられていたこともあって競争意識は希薄で、苦しい時も「みんなで一緒に頑張ろう」というような雰囲気でした。
今ではそうした均一主義から脱却し、頑張った人が頑張った分だけ報われ、成果に応じて報酬を得られる体制へ移行しています。現在の方が企業としての健全な形に近づいているのではないかと思っています。
一方、私の代で変わったのは、仲良しクラブのような体質です。実力に応じた評価をするよう、言葉にして発信し続けてきました。その考えは、新入社員には自然と浸透しています。彼らにとってはそれが当たり前の環境で、結果を出せば、出世も収入も見込めるというのが今の弊社のスタンダードです。
モーター専門からソリューション企業へ
ーー今後の展開を教えていただけますか。
待岡誠:
今後は、「モーター+α」の製品開発を進めていきます。ブレーキやギア、制御回路などをモーターに組み合わせて一つの装置にすることで、利便性を高めることが今後のカギです。すべてを自社で完結させるのではなく、協力会社との連携や他社製品の活用も視野に入れて、柔軟に対応しています。
単なる部品供給にとどまらず、お客様の課題を解決する提案力を備えた「技術商社」としての役割を強化している最中です。大手企業が敬遠する特殊用途にも対応し、「必要なものを一からつくる」という姿勢が弊社の強みであり、今後も大切にしていきます。
編集後記
三代目社長の語る事業承継の物語は、現代の中小企業が直面する課題と、その解決策の縮図を感じさせる。「一社依存」という安定の罠から脱却し、海外展開という不確実性に挑んだ勇気は、経営者の本質を物語る。単にモーターを売るのではなく、顧客の課題を解決する装置をつくるという企業姿勢は、これからの時代に求められるだろう。同社が目指す「技術商社」としての未来に、大いに注目したい。

待岡誠/1973年東京生まれ、明治大学政治経済学部卒。卒業後、3年の他社修行期間を経て1999年に入社。2013年に同社代表取締役社長に就任。同族経営の3代目。2014年、香港に関連会社設立、同社CEOに就任。