
木質構造材である集成材やCLTの製造と、一般建築を担う地方ゼネコンという2つの顔を持つ株式会社中東。両部門が連携することで生まれる「現場を理解するメーカー」という強みを武器に、国内外で数多くの大規模木造建築を手がけている。30歳という若さで実質的に家業を継いだ代表取締役の小坂勇治氏に、これまでの歩みと木造建築の未来に向けたビジョンを聞いた。
厳格な父の背中と継承への決意
ーー会社の創業経緯と、社長ご自身のご経歴についてお聞かせください。
小坂勇治:
弊社は私の父が「木材に関わる会社をやりたい」という思いで、昭和43年に仲間と立ち上げた会社です。私が3歳の頃から父が社長を務めており、工場の敷地内に住居があったため、仕事場がそのまま生活の場という環境でした。そのため、父の仕事を身近に感じており、中学・高校の頃には、「いずれはこの会社を継ぐのだろう」と自然に意識するようになっていました。
父はいわゆる叩き上げの人で、非常に厳格で怖い存在でした。名前を呼ばれるときは、たいてい怒られるときだったと記憶しています。ただ、父が抱く仕事に対する情熱は子どもながらにひしひしと感じており、尊敬もしていました。その影響もあり、高校卒業後は建築の専門学校へ進学し、卒業後、弊社に入社しました。
海外生活が育んだ積極性と行動力
ーー入社後は、どのような経験をされたのでしょうか。
小坂勇治:
入社して3年が経った頃、父から「海外で勉強してこい」と勧められ、カナダのバンクーバーへ1年間留学しました。留学先は私のような企業の跡継ぎを全国から集め、木材や建築、貿易について教える学校でした。初めての海外生活では、買い物一つにしても言葉が通じず、何事も自分でやらなければならない状況に置かれました。その環境が、「まず行動に移す」という積極性を育んだのだと思います。
また、現地で出会った人々は皆とても活動的で、彼らと触れ合う中で「最初からできないと決めつけず、挑戦しよう」という気持ちが芽生えました。この留学経験が、何事にも積極的にチャレンジする今の私の原点になっています。
父の創業精神を道標とした経営の再建
ーー実質的に経営を担うことになった経緯をお聞かせください。
小坂勇治:
帰国して5年ほど経った頃、父が急病で倒れ、仕事への復帰が難しい状態になりました。私はまだ30歳で、会社のこともよく分かっておらず、右も左も分からない状態からのスタートでした。急な社長交代で取引先を不安にさせないよう、まずは「副社長」という肩書きで実質的に経営を引き継ぐことにしました。
ーー苦しい状況をどのように乗り越えられたのでしょうか。
小坂勇治:
当時は「会社をどうしよう」と考える余裕もなく、目の前の仕事をこなすことで精一杯の日々でした。その中で、父が創業時に抱いていた「他の会社がやっていないことをやろう」という思いを受け継ごうと決意しました。同じ仕事の中でも他社とは違う価値を提供する。集成材(※1)の製造ではより大きなものを、建築ではその技術を活かした建物を提供することを目指すようになったのです。
(※1)集成材:ひき板などを乾燥させ、繊維方向をそろえて接着した木質材料。
製造と建築が生む「現場のことがわかるメーカー」という強み
ーー貴社の事業内容と、強みについて教えてください。
小坂勇治:
弊社の事業は、集成材やCLT(※2)の製造と、一般建築を手がけるゼネコン事業の2本柱です。全国に大規模な集成材をつくれるメーカーは数社ありますが、元請け(※3)として建築まで手がける会社は、私の知る限り他にありません。「現場のことがわかるメーカー」である点が最大の武器だと考えています。
(※2)CLT:ひき板を繊維方向が直交するように積層接着した木質パネル。
(※3)元請け:発注者から直接仕事を請け負い、プロジェクト全体の管理・調整を担う立場。
ーーお客様と向き合う上で、最も大切にされていることは何ですか。
小坂勇治:
「建物」という大きな買い物を私たちに任せてくださるお客様の立場になって考えることです。ご要望を一つひとつ丁寧にヒアリングし、私たちの提案を加えて理想の形にしていく。そして完成後のアフターケアまで迅速に対応する。丁寧さとお客様の気持ちを考えることを何よりも大切にしています。
売上高100億円に向けた未来への挑戦
ーー5年後、10年後を見据えた今後のビジョンをお聞かせください。
小坂勇治:
首都圏を中心に木造ビルの需要は今後ますます増えていくと予想しています。この潮流に応えるため、群馬県に新工場を建設し、全国へ事業を展開する計画です。そして明確な目標として、売上高100億円を掲げています。目標達成に向け、設計から施工まで全プロセスの見直しを進めているところです。
また、人材不足という課題に対応するため、木造のユニットハウス事業を始めています。これは、工場で完成に近いユニットをつくり、現場では連結するだけの工法です。現場作業を大幅に削減できるため、職人不足の中でも建築を可能にする一つの解決策だと捉えています。
ーー海外展開については、どのようにお考えですか。
小坂勇治:
これまでも韓国や中国、ドバイなどに集成材を納入してきました。現在はアブダビの美術館プロジェクトにも参画中です。海外メーカーにはない日本の繊細な技術力が弊社の強みといえるでしょう。今後は語学堪能な人材も採用し、さらに海外へ展開していきたいと考えています。
未来を託す人材への期待と想い

ーー最後に、社長として社員に期待することを教えてください。
小坂勇治:
私自身が30歳で会社を継いだ経験から、若いうちから責任ある立場で物事を考える環境が人を成長させると実感しています。だからこそ社員には、主体的に考え、何事にも挑戦することを期待しています。誰かに頼るのではなく、自らチャレンジする精神を持って取り組んでほしい。そして、この思いを次の世代へ引き継いでいくことが私の役目です。
編集後記
創業者である父の背中を見て育ち、海外経験で得た広い視野とチャレンジ精神を原動力に、会社を率いてきた小坂氏。その言葉からは、先代への深い敬意と、木造建築の未来を切り拓くことへの静かな情熱がうかがえる。製造と建築という二つの強みを掛け合わせる独自のビジネスモデルは、同社の「他社がやらないことをやる」という哲学そのものである。100億円企業という明確な目標を掲げ、次世代への継承も見据えるその視線は、国内外の市場、そしてさらにその先へと向けられている。

小坂勇治/1965年石川県小松市生まれ。1987年大阪工業技術専門学校卒業後、株式会社中東建設(現・株式会社中東)に入社。1989年から1年間のカナダ・バンクーバー、ロイヤル・オークカレッジへの留学を経て、1995年、同社代表取締役副社長、1998年、代表取締役社長に就任。