※本ページ内の情報は2025年9月時点のものです。

大阪を拠点に、リアルとWebの両面からクライアントの課題解決を支援する総合広告代理店、株式会社KOTONA。業界や規模を問わず、顧客のニーズに合わせた最適なソリューションを提供し、そのクリエイティビティとスピード感で独自の地位を確立している。同社を率いる代表取締役の山崎晶久氏は、野球一筋の学生時代から一転、海外放浪を経て広告業界へ飛び込んだ経歴を持つ。常に“常識を破る”ことを信条とし、独自の営業スタイルでキャリアを切り拓いてきた。山崎氏の波乱万丈なキャリアの軌跡と、社員一人ひとりが経営者となる未来を目指す独自の組織論、そして同社が描く広告代理店の新たな姿について話をうかがった。

野球一筋から海外放浪へ 挫折が教えてくれた「好きを仕事にしない」決意

ーー社会人としてのキャリアはどのようにスタートされたのでしょうか。

山崎晶久:
大学3年生まで野球一筋の生活を送っていましたが、理不尽な理由で野球部を辞めることになりました。ずっと野球に関わる仕事をすると思っていたので、何をすべきか分からなくなり、1年間アルバイトでお金を貯めてニュージーランドへ“自分探しの旅”に出たのです。そこで旅の楽しさに目覚め、帰国後は旅行会社に就職しました。

ーー旅行会社ではどのようなご経験をされたのですか。

山崎晶久:
最初に配属されたのが修学旅行などを担当する部署で、入社半年ほどで初めて添乗員を務めました。その際、気持ちが高ぶった中学生から心ない扱いを受けてしまい、「学生からそのような扱いを受けるために真面目に仕事をしてきたのか」と大きなショックを受け、早期の退職を決意しました。旅行は好きでしたが、仕事にすると責任が伴い、心から楽しめないと感じたのです。この経験から「好きなことを安易に仕事にしてはいけない」という考えに至りました。

常識破りの営業術とその原点 キャリアの転機となった広告代理店との出会い

ーー旅行会社を退職された後は、どのような道に進まれたのでしょうか。

山崎晶久:
3ヶ月ほどの充電期間を経て転職活動をしていた時、ある転職情報誌で「常識を破れ」という一文が目に飛び込んできました。その広告こそ、大阪支社の創設メンバーを募集していた広告代理店だったのです。事業内容はよく分かっていませんでしたが、「この会社だ!」と直感し、面接を受けて採用していただきました。そこから約13年間勤務し、最終的には大阪支社の営業部長を務めました。

ーー広告代理店の営業職として、どのような点にやりがいを感じましたか。

山崎晶久:
営業成績が数字ではっきりと評価される点に、元々持っていた負けず嫌いな性格が合っていたのだと思います。自分の頑張りが直接評価につながることに、大きなやりがいを感じました。流れ作業の一部ではなく、自分が主体となって動ける環境が性に合っていました。

ーー営業部長にまでなられた秘訣や、仕事で工夫されていたことは何ですか。

山崎晶久:
途中から資料を持たずに営業へ行くようになりました。“ブラッと来ました”という感じで訪問し、仕事の話も交えつつ、ほとんど雑談して帰るスタイルです。その中で「こんなこと、あんなことはどうですか?」と口頭で提案します。お客様から「そんなことができたら面白い」という反応を引き出し、世の中にまだないものを一緒につくっていくのです。決まった商品には相場があり、どうしても価格競争に陥りがちですが、私たちが提案するのは前例のないオーダーメイドの企画です。そのため、価値に見合った価格でご提供でき、結果として利益率も高くなります。この独自の方法で、他社との差別化を図っていました。

業界・規模を問わない価値提供の源泉 社内外を巻き込むディレクション能力

ーーその後のキャリアは、どのように展開していったのでしょうか。

山崎晶久:
1社目で営業部長を経験した後、より経営に近いポジションを求め、取締役として別の広告代理店に入社しました。しかし、そこで会社の将来性に対する危機感を覚えたのです。世の中の変化に会社が対応しきれていないと感じると同時に、もっと自分の裁量で自由に挑戦したいという思いが強くなりました。それが、独立を決意した直接のきっかけです。

ーー創業当初は、どのようなご苦労がありましたか。

山崎晶久:
1人で立ち上げたので、当初のオフィスはマンションの一室でした。家庭用のプリンターを使い、まさにゼロからのスタートです。もちろん、事業の主軸は広告代理店業と決めていましたが、実績も信用もない最初は、まず会社を存続させることが最優先でした。目の前の仕事を必死にこなす毎日で、入ってきたお金がすぐに出ていく自転車操業の状態。「社長」という肩書を意地で楽しんでいましたね。当時は「トラックを香川まで運んでほしい」といったご依頼も引き受け、分野を問わず本当に何でもやりました。

ーーそこからどのように組織を大きくしていったのですか。

山崎晶久:
ありがたいことに、がむしゃらに働く中で徐々にお客様からの信頼を得られるようになり、物理的に一人で対応する限界がきました。そのタイミングで、仲間を迎え入れ、少しずつ組織を大きくしていった形です。

ーー社内外の方々と良好な関係を築く上で、何を大切にされていますか。

山崎晶久:
些細なことでもたくさん会話し、自分のことをよく理解してもらうことです。コミュニケーションの頻度が、協力体制の強さに直結すると考えています。また、相手のことを事前にどれだけ調べて準備しておくかも重要です。相手が心地よく話せる状況をつくることが、良い関係構築の第一歩だと思います。

社員一人ひとりが経営者に グループ内起業で個々の「やりたい」を事業化する未来

ーー経営者として、社員の方々にどのようなことを期待されていますか。

山崎晶久:
社員一人ひとりには、ぜひ経営者になってほしいと常々伝えています。一度きりの人生ですから、受動的な仕事ではなく、自らが主体的に「やりたい」と情熱を傾けられる仕事のほうが、より大きな力を発揮できるはずです。何もない状態からの起業は金銭的なリスクが大きいですが、弊社をプラットフォームとして、グループ内で会社を立ち上げる“グループ内起業”をどんどんやってほしいと考えています。

ーーどのような人材と一緒に働きたいとお考えですか。

山崎晶久:
広告業界の経験は問いません。考え方が固まってしまっているよりも、未経験でもやる気がある方が良いですね。私は結果主義なので、プロセスは問いません。基本的には自由な社風ですが、その分、自己管理ができない人には厳しい環境かもしれません。

ーー今後の事業展開について、どのようなビジョンをお持ちでしょうか。

山崎晶久:
広告代理店という業態の一般的なニーズは、今後減少していくと考えています。ですから、今の形にしがみつくつもりはありません。弊社の持つリソースを活かして、新規事業を積極的に展開していきたいです。それは社員の“やりたいこと”が起点でいい。遊びでも何でも、それを事業として成立させられるかを一緒に考え、アドバイスします。そうやって新しい事業が生まれていくグループを目指しています。

ーー最後に、読者や将来のクライアントへメッセージをお願いします。

山崎晶久:
星の数ほどある広告代理店の中で、他社との差別化は非常に難しいのが現実です。「現在の取引先に満足していない企業が7割にのぼる」という調査データがあるそうですが、これは多くの取引が形骸化し、“面白み”に欠けていることの表れだと感じています。

だからこそ私たちは、単なる取引先ではなく、「KOTONAに頼むと、いつも何か面白いことを仕掛けてくれる」と思っていただけるような期待感を大切にしたい。それこそが弊社の提供価値となり、唯一無二の存在として未来を切り拓く道だと信じています。

編集後記

野球一筋から広告業界へ。常識破りのキャリアは、資料を捨て、対話の中に“面白さ”の芽を見出す独自の営業術を編み出した。その精神は「社員全員経営者」という組織論へと昇華し、個々の「やりたい」という情熱を事業の核に据えている。多くの取引が惰性となり、創造的な対話を失った今、同社がもたらす「期待感」という熱量は、業界に新たな風を吹き込むだろう。

山崎晶久/1973年和歌山県生まれ。1996年オフィストウエンティワン株式会社へ入社。2009年ブックマークジャパン株式会社へ入社。16年間広告代理店で働く中で、「もっと自由に納得感のある仕事をしたい」と強く思うようになり、2012年、39歳で株式会社KOTONAを創業。