
在留外国人向けの通信サービス「JP SMART SIM」の提供と、法人向けクラウド名刺管理サービス「Sansan」の販売代理店事業を2つの柱として展開するDXHUB株式会社。大手企業が参入しにくいニッチな市場に特化し、顧客が本当に困っている課題を解決するユニークなサービスで安定した成長を続けている。同社を率いる代表取締役社長の澤田賢二氏は、20歳で独立後、数々の事業と幾多の失敗を経験してきた人物である。その波瀾万丈な経験から、いかにして事業の核となる哲学を育み、独自のビジネスモデルを確立するに至ったのか。これまでの軌跡と今後の展望について話を聞いた。
挫折と失敗から始まった経営者への道
ーー社会人としてのキャリアはどのようにスタートされたのでしょうか。
澤田賢二:
中学生の頃からアルバイト漬けの日々でした。家庭が裕福ではなかったこともあり、中学1年生から働き始めましたが、自分の力で稼ぐことができると自信を持つことができました。そして、自分もいつかは起業をして、自らのビジネスで稼ごうと考えるようになり、中学3年生の卒業文集にも「起業する」と書いていました。高校卒業後は、店長候補として弁当店に就職しました。いずれはその店を買い取りたいと夢見ていましたが、当時の自分の考えは甘く、仕事への姿勢に叱責を受けたことをきっかけに、その夢は叶いませんでした。その後は左官職人をやりながら資金を貯め、20歳で携帯電話の販売代行という形で独立しました。
独立当初は知識がなく、とにかく稼げそうなことを手当たり次第に行っていましたので、失敗の連続でした。ある時は、扱っていた商材のメーカーが倒産し、在庫を抱えることになりました。さらに、事業資金を銀行から借りられると知らず、金利が非常に高い消費者金融から借り入れてしまったのです。返済は困難を極め、21歳の時には住んでいたマンションを追い出される経験もしました。25歳頃までは、世間から見ればかなり大変な状況だったと思います。
子どもの誕生が転機に 継続性ある事業への挑戦
ーーその厳しい状況から、どのようにして現在に至るのでしょうか。
澤田賢二:
転機は20代後半に結婚し、子どもが生まれたことです。それまでは「稼いでは使い、なくなったらまた稼げばいい」という浮き沈みの激しい生き方でした。しかし、子どもが生まれた瞬間に「この子を20年間育てなければならない」という責任感が芽生え、それまでの生き方はできないと痛感したのです。それまでとは対照的な、京都の老舗企業のように長く続く事業をつくりたいと考えるようになり、2004年に有限会社イメージワークスを設立しました。
ーーイメージワークスではどのような事業から始められたのですか。
澤田賢二:
光回線の代理店事業です。当時、NTTが巨額の予算を投じて光回線の普及を推進しており、そこに大きなビジネスチャンスがあると考えました。2005年に事業を開始すると、この予測が的中し会社は急成長しました。私と専務の2人で始めた会社は、2009年には社員が100人規模にまで拡大し、経営の基盤を築くことができたのです。
市場の変化を捉えSaaS事業へ Sansanとの出会い
ーー光回線事業は順調に拡大したのでしょうか。
澤田賢二:
2011年頃までは好調でしたが、市場が飽和するにつれて成長は鈍化していきました。さらに、東日本大震災の影響で営業自粛を余儀なくされ、1つの事業に依存するリスクを痛感しました。次の柱となる継続性のある事業を探していたとき、偶然出会ったのが「Sansan」のサービスです。名刺を忘れて取引先に会えなかったという自身の失敗経験から、「この名刺管理サービスは絶対に売れる」と直感しました。
代理店契約は最初は断られ、1年ほどはユーザーとして利用するだけでした。しかし、あるときSansan側から、「まだ代理店に興味はありますか?」と連絡があったのです。チャンスだと思い、1週間で知人の社長を中心にアポイントを集中させたところ、10数件の契約が決まりました。中小企業のオーナー社長に的を絞り、“名刺は会社の資産である”という点を訴求する独自のセールストークが功を奏したのです。この成果が認められ、事業を大きく成長させることができました。
在留外国人の「不便」を解消する 新たな事業の柱

ーー光回線事業やSansanの代理店事業で経営基盤を固めた後、次に目をつけたのはどのような領域だったのでしょうか。
澤田賢二:
2011年の震災以降は、1つの事業に依存するリスクを回避するため、常々、次の柱を探していました。そんな中、2014年に中国の検索エンジン大手「バイドゥ」と共同で、訪日旅行者向けのSIMカードを発売したことが、在留外国人向けサービスを始めるきっかけとなりました。この経験が縁で優秀な人材と出会い、彼と一緒に在留外国人向けの事業をスタートさせました。当初は旅行者向けに無料SIMを配布するモデルを試しましたが、うまくいきませんでした。そんなとき、メンバーから「旅行者よりも、日本に来たばかりの留学生や技能実習生の方が通信手段の確保に困っている」と聞かされ、現場の課題に気づきました。
ーーその課題をどのように解決したのですか。
澤田賢二:
彼らは、あるジレンマに陥っていました。銀行口座を開設するには電話番号が必要であり、携帯電話を契約するには銀行口座が求められるのです。そこで私たちは、ジェイピーモバイル株式会社を設立し、後払いが主流だった通信契約を、審査が簡単な「先払い」方式に切り替えました。これにより、来日後すぐに電話番号が持てるサービス「JP SMART SIM」が生まれ、事業は大きく成長しました。この在留外国人支援事業を行っていたジェイピーモバイルと、Sansanの代理店事業を行っていたイメージワークスが2020年に合併し、現在のDXHUB株式会社となっています。
人を育て、社会から取り残される人をなくす未来へ
ーー経営者として大切にされている考え方はありますか。
澤田賢二:
「人との繋がり」を何よりも重視しています。私には事業の元手となる資産も地盤もありませんでしたから、常に人の助けを借りて事業を進めてきました。そのため、日頃から人間関係を大切にし、見返りを求めず、まず自分が相手の役に立つことを心がけています。こうした繋がりが、結果的に自分たちの事業を前進させる力になってきました。
ーー今後のビジョンについてお聞かせください。
澤田賢二:
まずはIPO(新規株式公開)を目指しています。それによって会社の知名度を上げ、優秀な人材を採用し、私たちの使命である「誰も取り残さない」サービスをさらに追求していきたいです。在留外国人支援事業を主軸としつつも、他のニッチな領域にも事業を広げていく方針です。そして、最も重要なのは「人が集まり、育つ事業」を行うことです。
ーー「人が育つ事業」とは、具体的にどのようなことでしょうか。
澤田賢二:
経営者として、会社の成長はもちろんですが、社員一人ひとりの成長にコミットしたいという強い思いがあります。たとえ私たちの会社を辞めたとしても、どこへ行っても活躍できる人材を育てたいんですよね。そのため「元DXHUBの出身者は仕事ができる」と評価されるような会社になることが目標です。そのためにも、社員が成長できるような挑戦の機会を創出し続けます。今後はアジアでの事業展開も本格化させるので、海外で挑戦したいという意欲のある方ともぜひ一緒に働きたいですね。
編集後記
中学1年生から働き始め、20歳で独立し、借金や住む家を失うといった壮絶な経験を乗り越えてきた澤田賢二氏。その言葉は、失敗を単なる過去ではなく、次なる成功への糧としてきた力強さを示すものだ。彼の経営哲学の根幹には、「人との繋がり」と「先に与える」という利他の精神がある。この哲学が、大手が見過ごしがちなニッチな市場で「本当に困っている人」を見つけ出し、彼らを救うサービスを生み出す原動力となっている。安定した収益基盤の上で、挑戦を続ける同社の未来に期待したい。

澤田賢二/起業家、投資家1973年兵庫県神戸市生まれ、京都府育ち。20歳で起業し、通信事業を中心に約25年の経験を有し、2004年には株式会社イメージワークスを創業。Sansanの総代理店として活動しており、2015年にDXHUB株式会社を設立、外国人向け通信サービスや在留カードの管理サービスビザマネの提供などを手がける。2020年に両社を統合し現在に至る。