
世界30か国以上で、デジタルエンジニアリングコンサルティングを展開するAkkodisの日本法人であるAKKODiSコンサルティング株式会社は、7,000名以上のスペシャリストを擁して、現場変革の力とデジタル技術を駆使し、企業の生産性向上とAIトランスフォーメーションの実現を支援している。同社は、顧客の現場に深く入り込み、組織内部からの変革を促す独自のコンサルティングサービスを展開するのが特徴だ。同社を率いるのは代表取締役社長の川崎健一郎氏。ITバブルの崩壊、リーマン・ショックという荒波の中、同氏は常に真正面から課題と向き合い、変革の舵を取り続けてきた。17歳で「自分の人生の時間を、自分でコントロールできる生き方がしたい」と考えた一人の青年の探究心が、いかにして危機を乗り越え、数千人規模の組織を動かす力となったのか。その軌跡と理念、そして未来への展望をうかがった。
「時間」の哲学から始まったキャリアの原点
ーー社長のキャリアの原点についてお聞かせください。
川崎健一郎:
私がキャリアビジョンを考え始めたのは、高校3年生、17歳の時でした。それまで打ち込んできたバスケットボール部を引退し、突然生まれた多くの自由な時間の中で、「自分は一体何のために生きるのか?」という根源的な問いと向き合うことになります。
その自己探求の末にたどり着いたのは、「人生は時間そのものである」という考え方でした。与えられた時間の長さは違えど誰にでも平等に持ち、そして有限である「時間」を、いかに自分の意思でコントロールできるか。つまり、「好きな時に仕事をし、好きな時に遊べる生き方」こそが、自分にとっての幸せの形だと考えたのです。
そして、次に「その理想を実現するためには、どのような働き方があるのか」と考え始めました。当時の私は、複雑な社会の仕組みや多様なキャリアパスを知っていたわけではありません。そんな私の視点から、自分の裁量で働き方を決め、人生の時間を自由にコントロールできる立場として、まっさきに思い浮かんだのが「社長」だったのです。
ーーその後、どのような経緯をたどられたのでしょうか。
川崎健一郎:
大学時代、「将来社長になる」という明確な目標から逆算し、極めて戦略的な就職活動を行いました。早く経営に触れられる環境を求め、入社する企業に独自の条件を設けていました。具体的には、経済が厳しい状況下で起業するほどの勝算と勇気を持つ「バブル崩壊後の設立」であること、「資本金が1億円以上」あること、そして「将来性のあるビジネスモデル」を持つこと、という三点です。しかし、当時は就職氷河期の真っ只中。この厳しい条件をすべて満たす企業は皆無に等しく、一社も応募することなく、別の道として海外でのワーキングホリデーの準備を進めていました。
転機が訪れたのは、就職活動が終盤に差し掛かった大学4年生の夏でした。大学で偶然手に取った「株式会社ベンチャーセーフネット(現・AKKODiSコンサルティング株式会社)」のパンフレットを読んでみると、私が探し求めていた三つの条件を奇跡的にすべて満たしていたのです。これが、人生で初めて興味を持ち、入社を決意する唯一の企業との出会いとなりました。
入社三年半で掴んだ取締役への道
ーー貴社に入社後、どのようなことがあったかお聞かせください。
川崎健一郎:
最初はITエンジニアとして3カ月間の研修を受けましたが、「営業経験は経営者に不可欠」という大学時代の先輩の言葉を胸に、研修の途中から営業職への転属を希望しました。幸い、会社がちょうど営業職を募集していたタイミングだったため、研修終了後すぐに営業部門へ異動となりました。そこからはとにかくがむしゃらに働き、経営層の目に留まるよう、トップ営業になることを目指したのです。
ひたすら努力を積み重ねた結果、入社して1年ほどでトップ営業になり、3年目には営業マネージャーに昇格して初めて部下を持つ経験もしました。しかし、ちょうど2002年頃はITバブルが崩壊し、会社は創業以来の厳しい局面を迎えていたのです。
ーー会社の危機に対し、どのように動かれたのでしょうか。
川崎健一郎:
会社を立て直すため、「Reエンジニアリングプロジェクト」という構造改革チームが発足し、私も参加を志願しました。そこで気付いた問題の本質は、営業部門と技術部門が完全に分離した「縦割り組織」の弊害でした。IT人材の需要が激減する中、営業担当はより売りやすい他分野に注力してしまい、全社員の半数を占めるIT部門の技術者たちが十分な活躍の場を得られない状況に陥っていたのです。
この状況を打開するため、私が打ち出したのは、営業部門と技術部門を一体化させた「事業部制」への移行という大胆な提案でした。そして、「最も不採算で誰もが避けていたIT部門を、独立採算の事業部として私に任せてほしい」と当時25歳の若さでオーナーの自宅まで押しかけ、直談判に及んだのです。会社の最も困難な課題に真正面から挑むその熱意と提案の合理性が認められ、この直談判はその場で承認されました。
しかし、その数日後、私を待っていたのは予想外の出来事でした。人事の役員から「これを記入してほしい」と、一枚の書類を手渡されたのです。それは、なんと「退職届」でした。困惑する私に伝えられたのは、「事業部門の責任を担う以上、取締役として全うせよ」というオーナーからのメッセージでした。当時は知りませんでしたが、会社法上、「社員」と「役員(取締役)」は立場が異なり、取締役になるためには一度会社を退職するという形式的な手続きが必要だったのです。
これは単なる昇進ではなく、もう後戻りのできない「退路を断たれた」状態なのだと瞬時に悟った私は、覚悟を決めてその退職届に署名。入社からわずか3年半、26歳で取締役に就任しました。
現場社員と創り上げた第二創業の旗印

ーー社長に就任されるまでには、どのような経緯があったのでしょうか。
川崎健一郎:
その後、私が立ち上げたIT事業部は見事に黒字転換を果たします。その成功モデルが全社に展開されたことで、事業の総責任者である専務取締役COOへと昇進し、会社の中核を担う存在となっていきました。そして2006年には、会社は念願の上場を果たしました。
しかし、その順調な道のりは2008年のリーマン・ショックによって一変します。世界的な金融危機の煽りを受け、会社の業績は急激に悪化。当時、すでに創業者であるオーナーは経営から退いており、会社の株主は機関投資家や一般投資家でした。この危機的状況を打開するため、主要株主からの「会社を立て直してほしい」という強い要請を受け、再建のすべてを託される形で、33歳で社長に就任しました。
ーー社長に就任後、まず何から着手されたのでしょうか。
川崎健一郎:
短期的な赤字脱却と並行して、会社の新しい旗印・ビジョンをつくることにしました。その際、バイブルにしたのが「50時間で会社を変える」という一冊の本です。この本の手法を参考に、経営陣は一切関与せず、現場のエース社員16名だけで会社の未来を議論してもらう「Falgshipプロジェクト」を立ち上げました。彼らは8カ月、合計88時間にも及ぶ議論の末、「バリューチェーン・イノベーター」という、私たちの新たなサービスコンセプトを創り上げてくれたのです。
現場から生まれた「バリューチェーン・イノベーター」というコンセプトは、非常に大胆で、実現するには大きな事業変革が必要でした。上場を維持したままでは、短期的な株主の期待に応えることが難しくなるかもしれない。そう考え、腰を据えて改革に集中するために、MBO(マネジメント・バイアウト)を行い、2011年に非上場化する道を選びました。
私たちは、このタイミングを「第二創業期」と位置づけ、新たなスタートを切ったのです。その後、社員のグローバルな活躍の場を広げたいという思いから、2012年に世界最大(当時)の人材サービス企業である「Adecco Group」の一員となりました。
顧客の内部から変革を促す独自の価値提供
ーー会社の事業の特長について詳しく教えてください。
川崎健一郎:
弊社のサービスの根幹にある考えは、リーマン・ショックの時の分析から生まれました。当時、多くの契約が終了となる中、なぜかお客様から必要とされ続けている社員たちがいたのです。彼らを分析すると、言われたことをこなすだけでなく、主体的にお客様の事業課題を見つけ、解決策を提案し、実行までしていた、という共通点が見えてきました。
この姿勢こそが私たちの価値だと気づき、サービスとして昇華させたのが「バリューチェーン・イノベーター」、そしてそれをさらに進化させた現在の「Fusion Activators(フュージョン・アクティベーターズ)」というコンセプトです。
弊社の最大の強みは、お客様さえも気づいていないような課題を、現場にいるからこそ発見できる点です。そして、現場を熟知しているからこそ、絵に描いた餅ではない、現実的で本質的な解決策を提案できます。お客様の内部から、お客様と融合(フュージョン)して変革を起こしていく。これが弊社の提供するコンサルティングの価値です。
ーー今後の取り組みとして、どのような目標を掲げていらっしゃいますか。
川崎健一郎:
今後の取り組みとして、「日本企業を、世界企業へ、現場変革から」というビジョンを掲げています。このビジョンのもと、2030年までに三つの具体的な社会課題と目標を設定しています。
一つ目は、「労働生産性の飛躍的向上」です。少子高齢化により人手不足が深刻化する一方、日本の労働生産性は低下傾向にあります。この課題に対し、AIなどの最先端技術を最大限に活用し、日本の生産性を飛躍的に高めることを目指します。具体的には、2030年までに6000件のAIソリューションを顧客に提供する目標を掲げています。
二つ目は、省電力技術などへの人的資本投下による「脱炭素社会実現への貢献」です。地球規模の課題である脱炭素化に対し、省電力化などのクリーンテクノロジー分野へ人的資本を重点的に投下していきます。現在、この分野に従事する社員は全体の約3%ですが、2030年までにその比率を20%まで引き上げる計画です。
そして三つ目は、私たちのグローバルネットワークを活かした「世界への事業スケール支援」です。人口減少により国内市場が縮小していく中、日本の優れた製品やサービスが世界へ羽ばたく支援を行います。世界30カ国に拠点を持つ自社のグローバルネットワークを最大限に活かし、顧客企業の海外事業展開を強力に後押しします。
これらの目標は、弊社の強みである「現場に入り込み、お客様と融合して変革を推進する」スタイルで実現していけると確信しています。
個と組織を躍動させるビジョンマッチング
ーー貴社が大切にされている企業理念や、組織のDNAについてお聞かせください。
川崎健一郎:
弊社の経営理念は、創業当時から大きく変わっておらず『人財の創造と輩出を通じて、人と社会の幸せと可能性の最大化を追求する。』です。会社の最大の資本は「人」であり、その潜在能力を最大限に引き出すことで、その人と社会の幸せに貢献する。簡単に言えば、私たちは「人づくりの会社」です。そして、どんなに組織が大きくなっても、創業当時からの「ベンチャー魂」、固定概念を打破し、変化に果敢にチャレンジする精神をDNAとして持ち続けています。
ーー貴社が採用で大切にしているのはどんな点ですか。
川崎健一郎:
給与や福利厚生といった「条件」が合うかどうかだけでなく、個人が持つ人生のビジョンと、会社が目指すビジョンが合致しているかを重視する考え方を大切にしています。弊社ではこれを「ビジョンマッチング」と呼んでいます。弊社グループが社会人3000人を対象に行った調査で、「あなたは今、生き生きと働いていますか?」と尋ねたところ、「はい」と答えたのは、全体の約20%でした。これは、残りの4人に3人以上の人々が、仕事に対して十分なやりがいや充実感を実感できていないという現実を示唆しています。
しかし、自身の明確なビジョンを持つ人に絞って分析すると、その割合は40%にまで上がります。弊社は、このビジョンの合致こそが、個人の働きがいを高め、組織を成長させる原動力だと信じています。
ーー今後求める人物像についてお聞かせください。
川崎健一郎:
弊社の理念に共感していただける方であれば、経験やスキルは問いません。明確なビジョンがまだ見つかっていない方でも大丈夫です。私たちの面接は、ご本人も気づいていない「内発的動機」、つまり心の底から「こうしたい」と思えることを一緒に引き出すプロセスを大切にしています。入社後も、自己探求を通じて自分のビジョンを見つけるためのプログラムを用意していますので、成長意欲のある方に来ていただきたいです。
ーー最後に、読者へのメッセージをお願いします。
川崎健一郎:
一度きりの人生ですから、ぜひ、やりがいを持てる仕事に就き、充実した人生を送ってほしいと願っています。そのためには、自分自身と真剣に向き合い、何のために生きるのかを深く探求することがとても重要です。世の中の一人でも多くの方が、自己探求の重要性に気づき、ご自身が本当に躍動できる場所で輝くこと。それだけで、日本の生産性は上がり、社会全体がより良くなっていくと、私は信じています。
編集後記
17歳の時に抱いた「自分の時間をコントロールしたい」という願い。それは、リーマン・ショックの最中に「主体的に働く社員こそが価値を生む」という発見へと繋がり、やがて「個人のビジョンと会社のビジョンを合致させる」という独自の哲学にまで昇華されている。点と点に見えたエピソードが、話者の中で「個の力を信じ、そのポテンシャルを解放する」という一貫したテーマに貫かれているのだ。個人の躍動が企業の変革を促し、ひいては社会課題の解決につながる。その壮大なビジョンは、キャリアに悩む多くのビジネスパーソンにとって、自らの足元を見つめ直す大きなきっかけとなるに違いない。

川崎健一郎/1976年東京都生まれ。青山学院大学理工学部卒業後、株式会社ベンチャーセーフネット(現・AKKODiSコンサルティング株式会社)に入社。2010年に代表取締役社長、2012年の「Adecco Group」の買収によりアデコ株式会社の取締役を経て、現在は同社の代表取締役会長を務める。AKKODiSのNorth APAC Regional HeadおよびAKKODiSコンサルティング代表取締役社長を兼任。