※本ページ内の情報は2025年10月時点のものです。

大阪市にある東部中央卸売市場を拠点に、青果物の安定供給を担う東果大阪株式会社。1日に700トンもの青果物を取り扱い、全国各地からの野菜や果物の入荷に加え、輸入果物においては全国トップクラスのシェアを誇る。同社を率いる代表取締役社長の矢野裕二郎氏は、大手食品企業に在籍中、香港で7年間にわたり現地法人の立ち上げを経験。そのグローバルな視点を武器に、伝統ある業界に新風を吹き込む同氏の未来像に迫る。

柔の道から食品業界へ 予期せぬ出会いが拓いた新たなキャリア

ーーこれまでのご経歴についてお聞かせください。

矢野裕二郎:
私は、祖父と父が警察官、母が教師という一家で育ちました。兄が柔道をやっていた影響もあり、物心ついた頃には柔道着を着て、大学まで体育会で柔道一筋の生活を送っていました。そのため、ごく自然な流れで「自分も警察官になるのだろう」と漠然と考えていました。

しかし、就職活動の時期に転機が訪れます。大学の柔道部の監督から「神明(※)が九州エリアに支社を新たにつくった」という話を聞いたのです。私はもともと神明を知っていたわけでも、業界に興味があったわけでもありません。しかし、就職先として紹介され、話を聞くうちに「警察官ではなく、一先ずこの会社で働いてみるのも良いかな」と思うようになり、公務員試験は受けず神明に就職することにしました。今振り返ると不思議なご縁です。

入社後は九州エリアではなく、神戸の本社に配属されました。そこはまさにカルチャーショックの連続でした。公務員家庭で育った私にとって、当時の「戦闘集団」とでも言うべき早朝から夜遅くまで猛烈に働く社風は全くの別世界でした。体力には自信がありましたが、それ以上に商売の厳しさや難しさに直面し、精神的に大きく鍛えられました。社会人としての礼儀や振る舞い、そして商売の基礎を叩き込まれた、貴重な期間だったと感じています。

(※)神明:株式会社神明。米の搗精、米糠・米油の製造、米穀及び食品の仕入・販売を行う会社

自ら掴んだ海外赴任の機会 人生を変えた同世代との強烈な出会い

ーーその後、香港へ赴任された経緯についてお聞かせください。

矢野裕二郎:
神戸勤務の後に九州支社、その後名古屋で営業所長を1年ほど務めた30歳の頃、会社が海外事業に乗り出しました。神明の藤尾益雄社長から香港での市場調査を命じられ、1週間ほどの予定で現地へ赴きました。出張の終盤に社長へ報告を入れたところ、そのまま香港に残って会社を作ってみたら?との話しがありました。学生時代の海外旅行で関心を持ってはいましたが、まさか仕事でチャンスが巡ってくるとは思わず、またとない機会だと感じてそのまま香港に残り、現地法人の立ち上げにチャレンジしました。今思うと1週間の出張のつもりが7年半の駐在になるとは全く想像できませんでした。

現地では、会社の登記、住居、オフィス探しや人材採用、現地銀行の口座開設など、文字通りゼロから会社を立ち上げるという貴重な経験をしました。事業が軌道に乗ると、日本ではお会いできないような企業のトップの方々と交流する機会にも恵まれ、人脈が大きく広がりました。

しかし、何より衝撃を受けたのは、現地で出会った同世代のビジネスパーソンたちの存在です。会社の規模や年齢に関係なく、誰もが「自分の時代で会社を変えるんだ」という強い気概にあふれていたのです。自分よりはるかに視座の高い彼らに囲まれる中で、私の意識は大きく変わっていきました。香港で得た知識や人脈、そしてこの強烈な刺激が、私のキャリアにおける間違いなく大きな転機になったと思います。

伝統が息づく卸売市場への挑戦 外部の視点を活かした変革

ーー帰国後、貴社へ出向された経緯をお聞かせください。

矢野裕二郎:
社長からの「次は大阪に行ってほしい」という言葉で、7年半にわたる香港での駐在生活に区切りをつけ、帰国しました。当初は経営を担う立場ではなく、一出向者として輸入果実部に配属され、青果物流通について沢山の勉強をさせてもらいました。青果の卸売市場は、これまで経験してきた商売とは遠からず近からずの世界です。外から見ていた流通のイメージとは異なり、そこには長年の伝統と独特の商習慣が根付く、奥深い世界が広がっており、大きな衝撃を受けました。

ーー社長に就任された際は、どのような心境でしたか。

矢野裕二郎:
青果業界での経験がまだ浅い自分に大役が務まるのか、正直なところ大きな自信があったわけではありません。だからこそ、まずは業界のプロである自社の社員、産地の方々、輸入商社の方々の助言に真摯に耳を傾けることを徹底しようと決めました。

その上で、これまでの経験で培ってきた自分自身の物差し、つまり異業種からの視点やグローバルな感覚を経営の軸として貫こうと考えました。「伝統を尊重しつつも、香港で得たような新しい風を吹き込み、会社を次のステージへ導いていきたい」と決意を新たにしました。

ーー社長に就任されてから、まずどのような改革に着手されたのでしょうか。

矢野裕二郎:
まず、会社の土台づくりのために、ステークホルダー(利害関係者)が誰なのかを改めて定義することから始めました。青果物流通における私たち卸売市場の立ち位置は、市場内での売買が主流であるため、どうしても最終消費者との距離が遠くなりがちです。そこで、仲卸の方々はもちろんのこと、「社を訪れる全ての方がお客様である」という意識を全社員で共有することを徹底しました。その具体的な取り組みの一つが、社外から来られた方々をウェルカムボードでお出迎えし、全社員で挨拶を徹底することです。これは3年前からずっと続けており、ご来社頂いたお客様より高い評価を頂いています。

また、昨年は代表社員30名ほどで3ヶ月かけて企業理念の策定を行いました。専門性が高いゆえに個人商店の集まりのようになりがちな組織だからこそ、会社としての存在意義を明確に共有し、全員が同じ方向を向いて進むことが何よりも重要だと考えています。

ーー組織づくりにおいて、特に力を入れていることは何ですか。

矢野裕二郎:
現在は「共有」することの重要性を意識し、働きやすい環境づくりに取り組んでいます。これは、業務内容の共有、情報の共有、会社の方向性の共有など組織全体で同じ情報を共有することで業務内容を可視化し、働き方を見直すことができる仕組みを目指しています。

また、こうした挑戦を支える組織の土台として、社内コミュニケーションの活性化にも力を入れています。たとえば、社員の成果を称え、正当に評価する制度を設けたり、部署の垣根を越えた一体感を育むために全社員での懇親会、全体朝礼、ウォーキングイベント、最もあいさつとありがとうを言える社員を表彰するA-1グランプリなどを開催したりと、風通しの良い組織づくりを推進しています。

また、先に述べた共有の取り組みや各種イベントは全て社員からの提案をもとに実施しています。このように社員一人一人のアイデアが生まれる企業風土を大切にしています。

卸売業界の全国トップを目指して 強みを活かした未来への展望

ーー貴社の事業における強みは何でしょうか。

矢野裕二郎:
一番の強みは、国産青果物と輸入青果物のバランスだと思います。現在、国産青果物は気候変動と生産者の高齢化で大きな減産が見込まれています。国産青果物においては、創業当時から諸先輩方と現役世代が築いてきた長年の経験、それに加え全国トップの取扱高に成長している輸入青果物という2つの柱があります。量販店、業務用途において国産と輸入品は密接に連動しており、今後ますます弊社の強みが生きてくると思っています。

さらに、食品業界大手の神明グループの一員であることも、事業を推進する上での強力な強みです。グループが持つ広範な販売網や情報力、強固な事業基盤を最大限に活用できることは、今後の事業拡大における重要な推進力になると考えています。

ーー今後の展望についてお聞かせください。

矢野裕二郎:
事業面では、将来的には卸売業界で全国トップの利益率の企業になることを目指しています。これは我々だけが利益を享受するということではなく、環境の変化が激しい青果物流通において、ステークホルダー(産地、仲卸、量販店等)に対し、充実したサービスを提供するにはタイムリーな設備投資が必要です。また、同時に社員の満足、新規採用においても同様です。その実現に向けて、現在は販売、管理コストにおいて無駄のない筋肉質な体制作りに注力しています。

また、組織としては幹部人材の育成と、新しい発想を積極的に取り入れグループとしての関係性も広げていきたいです。何より、従業員が物心両面で幸福を追求できる会社であることが最も重要だと考えています。社員一人ひとりがポジティブに働き、豊かな人生を送れる、その基盤を築くことが経営者としての私の使命です。

編集後記

公務員家庭に生まれ、柔の道を歩んだ青年が、食品業界に飛び込み、香港での挑戦を経て、伝統ある卸売市場のトップに立つ。矢野氏のキャリアは、挑戦がいかに人を成長させ、視座を高めるかを物語っている。温かいリーダーシップと業界の常識を覆す柔軟な発想こそが、組織に新たな活力を与え、同社を次なるステージへと導く原動力なのだろう。伝統と革新が融合するこの場所から、目が離せない。

矢野裕二郎/1980年、福岡県生まれ。2003年、九州産業大学国際文化学部卒業後、株式会社神明(現・神明ホールディングス)に入社。2013年Shinmei Asia Limited (香港)ヴァイスプレジデントなどを経て、東果大阪株式会社に出向。2020年、同社取締役輸入本部本部長、2022年6月、代表取締役社長に就任。