
首都圏の街づくりを支える飛田鉄筋工業株式会社。1962年の創業以来、建物の骨格となる鉄筋工事のプロフェッショナルとして、社会の安全に貢献してきた。二代目社長の飛田良樹氏は、品質への徹底したこだわりと、業界の未来を見据えた人材育成に情熱を注ぐ。独自の信念を築き上げた飛田氏に、地図に残る仕事の誇りと、若者たちへの期待をうかがった。
跡を継ぐ覚悟と重圧 医師の言葉が拓いた新たな道
ーー家業を継がれるまでの経緯について教えてください。
飛田良樹:
父から会社を継ぐことについて直接何かを言われたことはありません。しかし、子どもの頃から「お父さんがこれだけの会社を築いたのだから」という親戚からのプレッシャーを感じていました。中学3年生になると長期休みは会社でアルバイトをするようになりましたが、一番暑い夏と寒い冬に行う屋外での作業は過酷なものです。正直、「この仕事だけはしたくない」と思っていました。
大学時代は体育会系の部活動に打ち込んでいたおかげで、数社からお誘いをいただきました。それでも、心のどこかで家業を継ぐことを意識していたのだと思います。入社を決意した際、私は父へ「日曜日は全て休みにするべきだ」という労働条件の改善を提案しました。当時の休日は月に2回しかなく、このままでは若い人材は入ってこず、企業の成長は望めないと考えたからです。
ーー「社長の息子」として働く中で、どんなことを感じていましたか。
飛田良樹:
「社長の息子」という目で見られるので、常に気を張る毎日でした。私のことを知らない人から「飛田鉄筋の息子は、優秀らしい」という噂話を聞いたこともあり、ひどいプレッシャーを感じていたのです。入社して半年ほどでストレスから胃腸炎になり、いつも胃が痛い状態に陥りました。
そんなとき、近所の町医者の先生にこう言われました。「目の前に解決すべき問題はとことん考えなさい。でも、君が今考えていることは、悩んだって解決しないだろう。それは考えるだけ無駄だから、早く寝なさい」と。この言葉で、楽観的になれました。この経験から、毎年新入社員には必ず「解決できることを考えよう」と伝えています。
100点でなければ意味がない 鉄筋工事という仕事の誇り

ーーまず、貴社の事業内容について教えていただけますか。
飛田良樹:
私たちの仕事は、ビルやマンションなど、あらゆる建物の骨格となる鉄筋を組み立てる「鉄筋工事」です。図面通りに鉄筋を配置し、コンクリートを流し込む前の基礎をつくります。この仕事は、建物の強度や安全性を直接左右するため、絶対にミスが許されません。
ーー仕事において、最も大切にされていることは何でしょうか。
飛田良樹:
何よりも品質を大切にしており、私たちの仕事は99点ではいけません。必ず100点でなければならないのです。図面に書かれた鉄筋を一本でも入れ忘れたら、それは施工不備。コンクリートを流した後であれば、建物を壊してでもやり直す。地震大国・日本において、人々の安全な暮らしを守る。それが私たちの使命です。
ーー品質を維持するために、どのようなことに取り組まれていますか。
飛田良樹:
幸い、弊社は早くから屋根付きの工場を設けていました。鉄筋の保管状況が良いということで、昔から管理の厳しい役所の仕事を多く請け負ってきました。その経験を通して、品質の重要性を早期に認識できました。また、業界の高齢化に対応するため、若い人材の採用と労働条件の改善にも力を入れてきました。日曜日は必ず休みにするなど、働きやすい環境づくりを進めています。
逆転の発想 盗難防止策から生まれた会社のシンボル

ーー社屋やトラックの鮮やかなオレンジ色が印象的ですが、何か特別な由来があるのでしょうか。
飛田良樹:
これはコーポレートカラーではなく、実は創業期の苦肉の策から始まったものです。父が創業した昭和30年代は、鉄筋の鉄が非常に高価で、現場から持ち去り、売り払ってしまう従業員がいました。そこで父は、どこにいても目立つようにとトラックをオレンジ色に塗装したのです。これなら、もし不審な場所に止まっていたらすぐに分かります。
粗品でお配りするタオルもオレンジにするなど、いつしかそれが慣習となりました。工場の壁が古くなったとき、私が冗談で「全部オレンジにしてしまおうか」と言ったところ、事務員が「いいと思います」と賛成してくれました。調べてみると、オレンジは人をポジティブにさせ、やる気を引き出す色だと判明したのです。
ーー実際にオレンジ色にして、効果はありましたか。
飛田良樹:
絶大な宣伝効果がありました。工場の前は信号があるため頻繁に渋滞が起き、ドライバーや同乗者の目に長く触れる場所です。そのため、建物全体をオレンジ色にしてからは、看板だけだった頃より格段に目立つようになったのです。あるとき、工場の前を通りかかった大手建設会社の方から「あのオレンジの鉄筋屋に見積もりを取ってみよう」と、新しい仕事につながったこともありました。今ではすっかり会社の顔となっています。
地図に残る仕事の誇り 業界の未来を担う若者への期待
ーー近年、注力されているテーマはありますか。
飛田良樹:
DXの推進です。現場や工場での手作業をすぐに変えるのは難しいですが、図面の分野ではCADやBIM(※)を導入しました。導入コストはかかりますが、協力会社も含めて費用を負担し、積極的な活用を促しています。
そして、もう一つの重要な課題が採用です。特に新卒採用には苦戦しており、この業界の魅力をどう伝えていくか、試行錯誤を続けている状況です。
(※)BIM(ビルディング・インフォメーション・モデリング):コンピューター上に建物の3次元モデルを作成し、設計・施工・維持管理といった建物ライフサイクル全体の情報を統合して活用する仕組み。
ーーどのような点に仕事のやりがいを感じられていますか。
飛田良樹:
自分が工事に携わった建物が街に増えていくこと、これに尽きます。車で走っていても「あ、あれは自分がつくったんだ」と言える。まさに地図に残る仕事です。この仕事がなければ、人々は安心して暮らすことができません。災害時であっても、私たちの社会を支える本当に大切で必要な仕事だと誇りを持っています。メンバーがお客様から「いい仕事をするね」と褒められたときは、自分のこと以上に嬉しいです。
ーー今後の目標についてお聞かせください。
飛田良樹:
幸い、取引先にも恵まれ、業界内での地位も築けていると自負しています。この財産をいかにして次の世代へつなげていくかが、今の私の大きなテーマです。10年ほど前に入社した新卒社員たちが順調に育ってきてくれているので、彼らのさらなる成長に期待しています。
ーー最後に、これからの社会を担う若い世代へメッセージをお願いします。
飛田良樹:
「ありのままでいてほしい」と伝えたいです。よく「今の若い者は」と言いますが、私は全くそうは思いません。むしろ、人口が減少していくこれからの時代、私たちの鉄筋工事のような専門技術の世界では、人が減るからこそ一人ひとりが本当に重宝される存在になります。技術を身につければ、仕事に困ることはまずありません。
私の目標は、この業界全体を盛り上げ、職人が正しく評価されて誰もが幸せに働ける社会を実現することです。日本の職人技は、今後ますます貴重なものになるでしょう。
編集後記
「悩んで解決しないことは、考えない」。飛田氏が若き日の苦悩の中でたどり着いたこの考え方は、情報過多の現代を生きる私たちにとっても重要な示唆を与えてくれる。不正防止というネガティブな発想から生まれたオレンジ色が、今や会社に幸運を呼び込むシンボルとなっているように、物事の捉え方一つで未来は大きく変わるのかもしれない。社会の基盤を文字通り支える仕事への揺るぎない誇りと、業界の未来を担う若者への温かい眼差し。同社の挑戦は、これからも日本の街を、そして未来を力強く支えていくだろう。

飛田良樹/1981年、城西大学経済学部経営学科卒業後、家業である飛田鉄筋工業株式会社に入社。2007年7月に同社代表取締役社長に就任。2018年、協同組合東京鉄筋工業協会の理事長に就任。1級鉄筋施工技能士(鉄筋組立て作業)、1級鉄筋施工技能士(鉄筋施工図作成作業)の資格を有する。