
空調設備の自動制御を事業の中核に据え、大規模ビルや工場の快適な環境を支える裕幸計装株式会社。同社は「ステークホルダーの裕な幸せの持続的向上」を企業理念に掲げ、独自の道を歩んでいる。その舵取りを担うのが、代表取締役社長の太田玄氏だ。劇団四季の舞台俳優から、父が経営する計装業界へとキャリアを転換した経歴を持つ。ベトナム法人社長時代の挫折、そして自ら策定した企業理念に込めた思いとは。変化を恐れず、未来を切り拓く同氏の哲学に迫る。
舞台俳優から経営者へ 挫折と学びが生んだ覚悟
ーー社会人としての最初のキャリアについてお聞かせください。
太田玄:
東京芸術大学在学中、劇団四季にオーディション組として入団しました。小学校2年生から本格的な合唱団に所属し海外へ演奏旅行に行くなど、幼少期から表現することは自分にとって身近なものでした。
劇団では「オペラ座の怪人」のアンサンブルなどで舞台に立ち、役者としてだけでなく大道具を動かす裏方の仕事も経験しました。しかし、24歳のときに半年ごとの所属継続審査で不合格となりました。その後は建設現場などの日雇いの仕事をしながら将来を模索していました。
ーーそこから、どのようにして家業を継ぐ決意をされたのですか。
太田玄:
父は、私が劇団四季で活動していた頃に声をかけてくれました。寝る間も惜しんで未経験のダンスにも打ち込む私の姿を見て、「努力ができる人間なのではないか」と感じてくれたのだと思います。父の誘いを受けてから半年ほど悩みましたが、最終的にこの道へ進むことを決意しました。これが私の人生の転機です。まずは九州にある同業他社で修業を積ませてもらい、30歳のときに弊社に入社しました。
ーー仕事に対してどのような価値観を持っていますか。
太田玄:
未経験からこの業界に入り、会社経営について何も分からなかったため、慶應義塾大学大学院でMBAを取得しました。その修士論文で、自社の長期計画と経営理念の原型を作成したのですが、そこで仕事に対する意識が固まりました。外部環境や多様な考え方を受け入れ、中長期的な変化を自ら想像し、そこへ向かって能動的に変わっていく。そうでなければ、厳しい状況を乗り越えられないと考えています。
ーーこれまでの歩みの中で、印象的なお仕事や部署はありますか?
太田玄:
ベトナム法人の社長に就任したころ、私はMBAで行われていた率直な物言いと徹底的な討議というスタイルを、そのまま現地の経営に持ち込んでしまいました。その結果、私の言動が原因で、創業時から在籍していた社員2人から「辞めます」と言われてしまったのです。必死に説得し、現在も在籍してくれていますが、この経験で完全に心を折られました。自分の考えを押し付けず、多様な立場や考えを尊重してバランスをとること。その重要性を痛感した瞬間です。
独自の理念が示す未来像 ステークホルダーとの深いつながり

ーー貴社の事業概要と強みについて教えてください。
太田玄:
大規模なビルや工場の空調設備の自動制御が主な事業です。家庭用エアコンとは異なり、巨大な空調機や地下の熱源設備などを一つのシステムとして制御しています。また、各部屋の温度やエネルギー使用量を一括で監視する「中央監視装置」も扱っています。創業者が栃木出身ということもあり、特に北関東エリアでの地場のつながりには強みがあります。
また1、2か月に一度、全社に向けた「経営戦略フォローアップ」というウェビナーを開催しており、経営戦略の進捗を全社で共有をしています。その都度、社員からの意見や質疑を吸い上げ、それに回答しており、この企業規模だから成り立つ、経営と社員との距離の近さというものも、今後強みになりうるのではないかと思っています。
ーー貴社の企業理念について、お聞かせいただけますか。
太田玄:
弊社の企業理念は「ステークホルダーの裕な幸せの持続的向上」です。他社と違うのは、理念図の中を二重丸にしている点です。これは、従業員や協力業者の方々だけでなく、その先にいるご家族など、ステークホルダーのステークホルダーまで大切にするという思いを込めています。
事業承継を前提に入社したとき、親族からある言葉をかけられました。「従業員や協力会社、その家族を含めると500人ほどの生活を背負うことになる」と。この経験が、現在の考え方の根底にあります。
企業理念を実現するため、あらゆるステークホルダーとの交流を深めたいと考えています。そのため、多くの方に閲覧頂ける、YouTubeでの情報発信を始めようと計画中です。主に社外の方との接点を作るツールとして利用する予定です。
まずはこちらから発信しなければ何も始まりません。地域のお店を紹介する動画なども撮る予定で、事業とは直接関係なくても、私たちが地域社会のどのような方に支えられているのかを知ってもらうことも大切だと考えています。
変化の時代を勝ち抜く力 成長の鍵を握る次世代への期待
ーー今後、事業を進める上での課題は何でしょうか。
太田玄:
海外子会社の収益力強化と、国内の本業におけるエンジニアの増強です。特に、一人前になるのに5年ほどかかる施工管理の技術者が不足しています。案件は数多くあるのですが、担い手がいなければお断りせざるを得ません。この担い手不足をいかに解消できるかが、今後の成長の鍵を握っています。
ーーどのような方と一緒に働きたいとお考えですか。
太田玄:
中長期的な視野を持って将来を予測し、そこに向けて変化していける方を求めています。私自身、音楽の世界から建設業界という全く異なる環境に飛び込みました。将来を見据え、変化に対応するためには、胆力や論理的に考える力、また開拓力も必要になります。そうした気概のある方に来ていただきたいです。
また、主体性と危機感を持っていることも大切です。たとえば、日本の人口はこれから縮小していきますし、建設業界も必ずしも安泰ではありません。少し想像力を働かせれば、今のままではいけないと分かるはずです。変化しないと、いずれ不幸になってしまう。そうした考えを自ら持ち、行動できるかどうかが重要だと考えています。
ーー採用において、他に重視している点はありますか。
太田玄:
コミュニケーション能力を重視しています。私たちの仕事は、お客様である設備工事会社(サブコン)と職人の方々の間に立つ、双方の意見を調整する難しい立場に置かれることも多いからです。何も言わなければ仕事は進みません。また、オフィスワークだけではないので、心身ともに健康であることも重要です。キャリア採用の方には、趣味を持ち、ストレスを発散する方法があるかどうかも確認しています。変化し続けるには、ストレスをうまく解放する力が必要不可欠だからです。サークル活動の推奨や男性の育休、記念日休暇やリフレッシュ休暇など、会社としても環境を整えることで支援しています。
編集後記
劇団四季の舞台俳優から建設業界へ。太田氏のキャリアは、まさに「変化」の連続だ。その根底には、外部環境を冷静に分析し、未来を予測して自らを変革し続けるという、一貫した哲学が存在する。すべての関係者、さらにはその先にいる人々との調和を目指すという独自の企業理念は、単なる理想論ではない。変化の激しい時代を生き抜き、持続的な成長を遂げるための、極めて実践的な羅針盤といえるだろう。同社の挑戦は、業界の枠を超え、多くのビジネスパーソンに未来を切り拓くヒントを与えてくれるに違いない。

太田玄/1980年東京都生まれ。東京芸術大学声楽科卒業後、劇団四季を経て計装業界へ。25歳から現場で経験を積み、30歳で裕幸計装株式会社に入社。施工管理・営業・企画を担当。35歳のとき、慶應義塾大学大学院にてMBAを取得。その後、同社イノベーション本部長、ベトナム法人社長として実践経験を積み、2024年4月、代表取締役社長に就任。企業理念は「ステークホルダーの裕な幸せの持続的向上」。