
和歌山県に本社を構え、コンピュータ横編機、特に世界初の無縫製ニットウェアを編み上げる「ホールガーメント®」でファッション業界に革命をもたらした株式会社島精機製作所。その技術はデザインの自由度を高めるのみならず、製造工程の廃棄物を極限まで削減する。サステナブルなものづくりの解として、今、世界中から熱い視線が注がれている。2017年に代表取締役社長に就任した島三博氏は、ソフトウェアエンジニアからキャリアをスタートした経歴を持つ。未経験の営業職で培った飽くなき挑戦心、そしてファッション業界や社内の「不文律」を打破した伝説的な開発秘話。社長就任後に同氏が見据えるのは、アパレル業界の枠を超えた「変化し続ける組織」への変革だ。常識を覆し、未来を編み続けるリーダーの真意に迫る。
未経験への挑戦が育んだ、変化を恐れない精神
ーー社長はどのような経緯で入社されたのですか。
島三博:
大学卒業後は東京でソフトウェアエンジニアとして働いていましたが、2年が経った頃、創業者でもある父が社長を務めていた弊社へ入社することになりました。ただ、すぐに本社へ着任したわけではありません。折しも創立25周年を機に、赤坂の自社ビルに東京支店が新設されるタイミングだったため、まずは東京支店の営業職としてキャリアを再スタートすることになったのです。営業は全くの未経験で、未知の業界を相手に名刺の渡し方から手探りで学ぶ日々でしたが、25歳という若さで未経験の分野に飛び込み試行錯誤した経験が、私の「挑戦する精神」の礎となりました。
ーーその後はどのようなキャリアを歩み、現在の経営スタイルを築かれたのですか。
島三博:
さらに会社のことを知ろうと、開発や製造など社内の多様な現場を経験しました。どの部署にも即座に馴染めたのは、営業時代に多様な業界・立場の方々と向き合ってきた経験があったからです。エンジニアとしての視点に加え、現場感覚や幅広い視野を養えたことは、変化に臆せず取り組むための貴重な財産となっています。
こうした現場経験を通じて痛感したのが、チームビルディングの重要性です。目標達成にはロジックも大切ですが、それだけで組織は動きません。部下一人ひとりの能力や個性、そして感情の機微にまで気を配り、人間関係を構築すること。ロジックと「人の心」のバランスをいかに取るかが、強いチームづくりには不可欠です。このバランスの探求は、立場が変わった今も日々深まり続けています。
「不可能」を覆したホールガーメント開発の舞台裏

ーーそうした経営スタイルの原点とも言える、組織を大きく変えた具体的な取り組みについてお聞かせください。
島三博:
象徴的なのは、システム開発部長時代に行った組織のフラット化です。旧来の開発プロセスを打破するため、係長や課長といった役職を一度すべて廃止し、プロジェクトごとにリーダーを立てる柔軟な体制へ刷新しました。これは、後に弊社の核となる3D技術を用いたシステム開発への大きな一歩となりました。
当時、ファッション業界には「二次元のプロセスこそが絶対」という強い不文律があり、創業者である当時の社長も「業界は3Dを受け入れない」と明言していました。社内にも3D技術はタブーという空気が浸透していましたが、その中でも私は、糸から一着を編み上げる「ホールガーメント®」の実現こそが重要だと考え、実現に動きました。
ーーどのようにしてその壁を乗り越えたのでしょうか。
島三博:
会社全体が「3Dはタブー」という空気の中、可能性を信じているのは私だけという状況でした。そこで、見込みのあるメンバー5人を一人ずつ口説き、未来のビジョンを語って秘密裏にチームを結成したのです。「報告すれば潰される。完成させてから見せよう」と伝え、5年をかけてソフトを完成させました。恐る恐る当時の社長へ披露した際、「俺が欲しかったのはこれやないか」という言葉をもらえた時は、チーム全員で心から喜び合いました。
この経験を通じて痛感したのは、挑戦に伴う精神的な重圧です。私は社長の息子という立場があったからこそ貫けましたが、普通の社員が当時の私と同じことをするのは不可能に近いでしょう。しかし、それでは会社は成長しません。だからこそ現在は、誰もが自由な発想を持ち、根拠を示せば「特別なパワー」を必要とせずに挑戦できる。そんな組織へと変革していくことが、私の使命だと強く感じています。
絶頂期に就任した社長が見据える「変革」の必要性
ーー2017年の社長就任からどのような覚悟で組織の変革に取り組んでこられたのでしょうか。
島三博:
売上高・利益ともに絶好調の時期に就任しましたが、当時は正直、これまでの延長線上に未来があるという楽観的な考えがありました。しかし、ファストファッション化による業界の激変を前に、自らの傲慢さを痛感することになります。「今の商材を磨けば大丈夫だ」という思い込みから時代の変化に適応できない時期を経験し、過去の成功体験に頼らない経営の必要性を強く認識しました。
現在は、「常に変わり続ける」という不退転の覚悟を経営の根幹に据えています。10年後の未来が今と同じであることはあり得ません。複数の未来シナリオを想定し、そこから今なすべきことを逆算する「バックキャスト」の視点で、事業ポートフォリオや人材育成、資本政策を抜本的に作り変えています。どの未来が訪れても価値を提供し続けられるよう、組織全体の柔軟性を高める変革に全力を注いでいます。
ーーこれからの貴社を共につくる社員には、どのような姿勢を求めていますか。
島三博:
柔軟性と、異なる分野を掛け合わせて考えられる「クロスオーバーな視点」です。自分を「文系だから」「理系だから」といった小さな枠の中に閉じ込めてほしくはありません。世の中の役に立つために何ができるか、という広い視点を持ってほしいと願っています。
弊社も、「ニットの機械屋」という自負は持ちつつも、そこに縛られるつもりはありません。弊社の技術を応用し、未来の人々を幸せにできるのであれば、極端な話、何を作ってもいい。社員の皆さんがそれほどまでに自由な発想で、臆せず挑戦できる。そんな会社でありたいと考えています。
パーパスを軸に描く、アパレルを超えた未来図

ーー改めて貴社の強みと、パーパス「創造の力で未来に幸せを」に込めた思いをお聞かせください。
島三博:
弊社の最大の強みは、糸を機械にかけるだけで一着を編み上げる「ホールガーメント®」技術にあります。これにより必要な分だけを作るオンデマンド生産が可能となり、アパレル業界の深刻な課題である「大量生産・大量廃棄」を解決する唯一無二のソリューションを提供しています。
そして、この課題解決力をアパレル以外の領域へも広げたいという思いを込めたのが、パーパス「創造の力で未来に幸せを」です。弊社の3D成形技術は、自動車のカーシートやメディカル、航空宇宙といった非アパレル分野でも大きな可能性を秘めています。素材や形状の自由度を活かし、在庫を持たない環境に優しいものづくりを全産業に広げていきたい。それこそが、私たちが目指す未来の幸せの形です。
ーー「ニットの機械屋」という縛りにとらわれない柔軟な姿勢は、今後の事業戦略にどのように反映されていくのでしょうか。
島三博:
その最たる例が、長年守り続けてきた「自前主義からの脱却」です。これまで弊社は部品の約70%を自社で製造してきましたが、今後はこの方針を大きく転換します。汎用的な部品は外部の知見を積極的に活用し、自社でしか成し得ないコア技術にリソースを集中させる。変化の激しい時代において、一社でできることには限界があるからです。グローバルな強みを活かし、世界中の知恵を結集できるオープンな環境を整えることが不可欠だと考えています。
この開かれた体制において価値の源泉となるのは、やはり「一人ひとりの独創的な発想」です。コロナ禍を経て、世界中のパートナーや才能と瞬時につながることが可能になりました。多様な知恵と感性が混ざり合う環境こそが、AIには決して生み出せない、人間ならではの新しい価値を創造する場になると信じています。
自由な発想で未来を拓く、次世代へのメッセージ
ーー最後に、読者に向けてメッセージをお願いします。
島三博:
AIが進化し情報が溢れる時代、多くのものが均質化していきます。その中で真に価値を持つのは、一人ひとりの独創的な発想です。弊社は、皆さんの自由な発想で、世の中のためになる面白いものやサービスを生み出せる場所でありたい。ぜひ、私たちと一緒に未来を創造していきましょう。
編集後記
ソフトウェアエンジニアからキャリアを始め、全くの未経験であった営業職への挑戦。そして、ファッション業界や社内の「不文律」という大きな壁に挑み、後の主力事業となる3Dシステムの開発を成し遂げた島氏。その歩みは、常に「変化」と「挑戦」と共にある。社長就任後も、過去の成功体験に固執することなく、自社の在り方そのものを変革しようとする強い意志がうかがえる。同社が掲げるパーパス「創造の力で未来に幸せを」は、アパレル業界の枠を超え、より広い世界に向けられている。島氏の挑戦は、まだ始まったばかりだ。

島三博/1961年和歌山県生まれ。日本大学理工学部を卒業後、1987年に島精機製作所へ入社。研究開発、生産、営業の各分野で責任者を務め、多岐にわたる業務経験を積む。さらに取締役として経営にも携わり、2017年6月に代表取締役社長に就任。豊富な現場経験と経営手腕を活かし、企業の成長と革新を牽引している。