※本ページ内の情報は2026年3月時点のものです。

金属リサイクル業として創業し、現在は産業廃棄物処理から太陽光パネルリサイクルまで事業を広げる株式会社浜田。同社は「環境ソリューション企業」を掲げ、処理困難物のリサイクルや全国規模の管理ネットワーク構築など独自のサービスを展開している。特に太陽光パネル分野では業界のトップランナーとして注目を集める。IT業界から転身し、家業を継いだ後、40歳で代表取締役に就任した濵田氏は、いかにして多角化と成長を成し遂げたのか。その経営の軌跡と、人材育成への思いに迫る。

異業種からの転身 父親の会社を継いだ決意

ーー社会人としてのキャリアはどのようにスタートされましたか。

濵田篤介:
大学では、電気通信工学を専攻していましたが、この分野は電気工学の中でもアナログな仕組みの理解が不可欠であり、難解な授業が多く、壁にぶつかりました。

一方で、当時普及し始めていたコンピューターの世界は、0と1で構成されるデジタルな世界です。これなら自分にもできるかもしれないと考え、情報システムをテーマとする研究室に進みました。プログラムのロジックが性に合っていたこともあり、卒業後は独立系のシステム開発会社に就職しました。

ーーそこから、貴社へ入社された経緯をお聞かせください。

濵田篤介:
システム会社ではさまざまな仕事を経験し、データベース技術者としてキャリアを積んでいましたが、30歳を目前にした頃、より専門性を高めようと転職活動をしていたのです。そのことを実家で話すと、後日母から「お父さんが会社を継いでほしいと言っている。継がないなら売却するそうだ」と伝えられました。もともと独立志向はあり、自分の好きなようにやってみようと決意しました。

顧客要望から生まれた新たなビジネスの柱

ーー事業を承継された当初、どのような課題を感じていましたか。

濵田篤介:
当時の主力事業は、鉄スクラップを集めて加工、販売するビジネスでした。しかし、鉄の価格は相場によって大きく変動します。自分たちではコントロールできない要因で赤字になることもある、非常に脆弱な事業モデルだと感じていました。そこで、相場に左右されない、もう一つの柱となる事業が必要だと考えたのです。

そこで、新たに産業廃棄物処理事業を開始しました。きっかけは、既存のお客様からの「鉄スクラップと産業廃棄物を一緒に回収してほしい」というご要望があったことです。当時、大手企業は法令を遵守した適正処理を強く求めていました。そこで正規許可を取得し、法令遵守を徹底したところ、「浜田さんはちゃんとやってくれる」と非常に感謝されました。法律を守ることが価値になる業界なら、勝機があると感じたのです。

また、排出事業者と処理業者が直接契約するという法規制が、中小企業である弊社が大手と直接取引をする突破口となりました。最初の大手エレベーター会社との仕事では、多様な廃棄物をリサイクルする仕組みをイチから構築しました。さらに蛍光灯処理機を自社開発するなど、現場の課題解決を積み重ねて取引を拡大しました。

処理困難物に特化した独自の事業特色

ーー現在の事業内容をお聞かせください。

濵田篤介:
金属リサイクルに加え、産業廃棄物処理が大きな柱です。特に蛍光灯やPCB、アスベストなどの処理困難物を得意としています。多品目をまとめて引き受け、分別してリサイクル率を高めるのが特色です。

私たちは単なる処理業者ではなく、「環境ソリューション企業」として、お客様の課題に対して、処理に留まらない解決策を提供したいと考えています。たとえば、「全店舗の蛍光灯をLEDに交換する際の廃棄を一括で頼みたい」というご依頼に対しては、全国の協力会社とネットワークを組み、北海道から沖縄まで対応できる体制を整えました。

ーーその他、注力している事業はありますか。

濵田篤介:
10年ほど前から太陽光パネルのリサイクル事業に取り組んでおり、今ではこの分野のトップランナーを自負しています。京都と東京に専用プラントを構え、今後増える使用済みパネルの適正リサイクルを推進しています。これは、将来を見据えた弊社の重要な戦略の一つです。

環境課題を価値に転換するパーパスの策定

ーー新卒採用はいつ頃から、どのようなきっかけで始められたのでしょうか。

濵田篤介:
2000年頃に市場データを分析した際、廃棄物処理業界は今後、設備産業からサービス産業へ変化していくだろうと予測しました。サービス化が進むのであれば、鍵を握るのは「人」です。そこで、私が社長に就任した2003年から新卒採用を開始しました。

当時は「大卒の学生は来ない」という声もありましたが、それでも毎年、採用を継続しました。おかげで一期生は先日勤続20年を迎え、社員の平均年齢も30代となり、業界内では若手が豊富な組織になっています。特に、サービス化を推進した結果、現在では自社の設備を持たずに全国の手配業務を担うサービス特化の部署も活躍しています。このように、育成した人材が新たな仕組みの中で会社の成長を支えています。

ーー魅力的な会社であるために、どのような工夫をされていますか。

濵田篤介:
社員が主体的に、誇りを持って働ける環境づくりを進めています。オフィスは3年前の移転時に社員参加型プロジェクトで設計し、部署間の壁がない執務スペースやバーカウンターなどを設けました。また、50周年を機に社員全員で話し合い、「環境課題を価値に転換し、世界をインスパイアする」というパーパスを策定しました。

さらに、ご家族にも安心感を持っていただくために、取引先向けの「サステナビリティレポート」を従業員のご実家にも送付しています。この他にも、誰もが楽しみながら資源循環を学べる体験型プログラム「バラシンピック」を開催するなど、社会とのつながりの中で働きがいを感じられる取り組みも大切にしています。

売上100億円を目指して 属人化から仕組み化への挑戦

ーー今後の注力テーマについてお聞かせください。

濵田篤介:
売上高100億円に向けた経営基盤の再構築です。企業の成長には1,3,5の壁といいますが、100億円を成し遂げるには、現状の30億円規模の経営基盤では組織や仕組みを支えることは困難です。

そのため、これまでの属人的な経験や勘に頼っていた部分を、誰がやっても一定の品質を維持できる仕組みへと変えていくことに注力しています。具体的には、ガバナンスの強化や決裁権限の整備、KPIに基づくデータ経営への転換などが挙げられます。また、私自身も60歳を過ぎましたので、次世代を担う後継者の育成も急務として進めています。

ーー次なる成長に向けて、どのような人材を求め、成長を図っていきますか。

濵田篤介:
40代の部長職が3名誕生するなど社内育成が進んでいます。その一方、銀行出身者や取引先企業のベテラン社員など、外部人材も積極的に登用しています。成長には多様な知見が必要です。今後はM&Aなども視野に事業を拡大したいと考えており、ケミカルやITなど様々な専門知識を持つ方々と、次のステージへ挑戦していく所存です。

編集後記

IT業界での経験を生かした市場分析と大胆な事業戦略。濵田氏の話からは、常に未来を見据える経営者の姿が浮かび上がる。しかし、その根底にあるのは「会社の未来は人がつくる」という信念だ。20年以上続く新卒採用や社員主体のオフィス作りは、その理念の表れと言える。100億円企業という目標に向け、着実に土台を固める同社の挑戦はこれからも続く。

濵田篤介/1963年大阪府生まれ。1986年大阪電気通信大学卒業後、大手システム開発会社に入社し、システムエンジニアとして勤務。1993年株式会社浜田に入社し、取締役に就任。2003年に同社代表取締役に就任。公益社団法人大阪府産業資源循環協会の会長、一般社団法人太陽光パネルリユース・リサイクル協会の代表理事なども務める。