
日本にフランスパンの食文化を根付かせた「メゾンカイザー」。率いるのは、明治時代から続く「木村屋總本店」の血筋を引く木村周一郎氏だ。慶應義塾大学卒業後、生命保険会社を経て海外へ。異色の経歴を持つ彼は、帰国後「硬いパンは売れない」という定説を覆してみせた。なぜ安定した家業ではなく、独自の道を切り拓いたのか。AI時代に「非効率」な人の温もりに勝機を見出す真意とは何なのか。常識を疑い、新たな価値を創造し続ける経営哲学に迫る。
異色の経歴と「歴史」を紡ぐための決断
ーーまずは、木村社長のこれまでの歩みについてお聞かせください。
木村周一郎:
慶應義塾大学を卒業後、千代田生命保険(現・ジブラルタ生命保険)に入社しました。当時は金融マンとして、パン業界とは無縁の世界でキャリアを積んでいたのですが、27歳のときに転機が訪れました。実家のパン屋を営む父から、「そろそろ家業に入らないか」と声をかけられたのです。
ただ、職人の世界において27歳からのスタートはあまりにも遅い。そこで選んだのが、父が勧めてくれた「理論」からのアプローチです。米国の研究機関・AIBへ留学し、パンづくりを感覚ではなく「基礎化学」として体系的に学ぶ道を選択したのです。
ーーその後は、どのような経験を積まれたのですか。
木村周一郎:
AIB修了後は、ニューヨークの人気ベーカリー「エイミーズ・ブレッド」やパリでの修行を経て、実践を積み重ねました。その後、イスラエルへ渡るのですが、そこでの出会いが私の「味覚」の原点となる大きな転機になりました。当時、現地のコーヒー会社で製パン部門の責任者を任された際、そこで提供されていたコーヒーを飲み、「これほど美味しいものがあるのか」と衝撃を受けたのです。それまでフランスにいた頃はコーヒーに苦手意識があったのですが、嗜好品が人生に与える豊かさを肌で感じました。このとき持ち帰った豆が、現在のカフェ事業のベースにもなっています。
ーーそこから家業に戻らず、起業された理由は何だったのでしょうか。
木村周一郎:
当初、独立するつもりはありませんでした。しかし、実家の会社内部で少し複雑な事情があり、私が戻るよりも自分で新しい城を築いたほうが良いと判断したのです。
また、歴史の継承は、必ずしも一つの会社の中で行われる必要はないとも考えました。私が外でパン屋として一流になれば、形は違えど、明治2年から続く家業の精神を未来へ繋いでいける。自らの手で新しい道を切り拓くことが、結果として歴史ある暖簾を守ることになる。そう信じて起業を選びました。
「栄養補給」から「心を豊かにする場」へ パンが繋ぐ食卓の絆

ーー創業時、周囲からはどのような反応がありましたか。
木村周一郎:
専門家の方々からは猛反対されました。「日本人は顎の力が弱いから、硬いパンは絶対に売れない」というのが当時の定説だったからです。しかし、麻布十番での堅焼きせんべいの行列や、電車でスルメをかじるサラリーマンを見て、「日本人の顎が弱いというのは後付けの理屈だ」と直感したのです。
結局、硬いパンが敬遠されていたのは美味しい食べ方が知られていなかっただけなのです。例えばパリでは、パンはスープなどに浸して柔らかくして食べています。彼らも決して、硬いまま食べているわけではありません。バゲットのようなハードパンは、料理や飲み物と「テーブルコーディネート」されて初めて成立します。日本に足りなかったのは身体的な能力ではなく、パンを中心に会話が生まれるような「食卓」というライフスタイルそのものでした。
ーーそういった違いがある中で、具体的にどうアプローチされたのですか。
木村周一郎:
現代の日本は核家族化や個食が進み、食事が単なる「栄養補給」になりがちです。しかし本来、食事とは体だけでなく、会話を通じて心も豊かにする場であるはずです。私はパンを介して、食事を「心を豊かにする場」へ変えていきたいと考えました。
当初は、店内におしゃれな食べ方の写真を飾るといった提案をしていましたが、お客様に響かず「うちの食器とは合わない」と敬遠されることもありました。そこで重要視したのが、お客様との相互通行のコミュニケーションです。「昨日のパン、肉じゃがと合わせたら意外と美味しかった」という声に対し、「それはすごい!他の方にも紹介していいですか?」と共感し合う。そうやってお客様自身がパンのある生活に参加する喜びを感じられる場所をつくることが、ブランドのファンづくりにつながっていきました。
伝統と革新の融合が生む「唯一無二」の強み
ーー貴社の事業展開と、パンづくりにおける強みについて教えてください。
木村周一郎:
現在は「メゾンカイザー」の店舗運営に加え、ホテルやレストランへの業務用パンの卸売り、カフェ事業、さらには製パン技術のコンサルティングなど多角的に展開しています。最近では「箱菓子」のプロデュースも行っており、羽田空港で売り上げトップを記録するなど、新たな柱も育ってきました。
パンづくりにおける最大の強みは、「ルヴァンリキッド」と呼ばれる液化天然酵母技術にあります。これは弊社の取締役でもあるエリック・カイザーが確立した画期的な技術で、本来扱いが難しい天然酵母を液状化させることで、安定した発酵力と複雑で奥行きのある風味を実現しました。
ーー天然酵母を扱うことは、技術的に難しいのでしょうか。
木村周一郎:
非常に繊細な管理が求められます。しかし、私が米国で学んだ「基礎化学」としての理論と、フランスの伝統的な製法を融合させることで、高品質なパンを安定して焼き上げることが可能になりました。低温で長時間発酵させることで、イーストの使用を最小限に抑え、小麦本来の甘みと香りを最大限に引き出す。この手間と時間を惜しまない製法こそが、他社には真似できない「メゾンカイザーの味」の根幹なのです。
スタッフの輝きが美味しさを増幅させる「感動産業」の空気感
ーーこれからの時代、パン屋という仕事の役割はどう変化していくとお考えですか。
木村周一郎:
デジタル化が進めば進むほど、人間にしかできない仕事の価値が上がると考えています。たとえば、単にパンを届けるだけなら物流の仕事であり、いずれAIやロボットが最適化していくでしょう。
私たちが目指すべきは「感動産業」です。美味しいパンをつくるのは当たり前。その上で、お客様の心を揺さぶり、感動させるような空気をつくること。これは人間にしかできません。
ーー提唱される「空気づくり」とは、具体的にどのような状態を指すのでしょうか。
木村周一郎:
従業員満足度の話にも通じますが、スタッフがいきいきと働いているお店は、空気が美味しいと感じます。逆に、どんなに高級な内装でも、スタッフが疲弊していれば居心地は悪い。味覚というのは非常に曖昧なもので、お店の雰囲気やスタッフの対応、活気といった空気感によって、美味しさは増幅もすれば減退もするものです。
だからこそ、私たちはパンをつくるだけでなく、お客様と共感し、心地よい空間をつくり出す「空気づくり」をしていかなければならない。これからの時代、機能的な価値はAIに任せ、人間はより感情的で、心に訴えかける領域に特化していくべきだと考えています。
ーー最後に、今後の展望をお聞かせください。
木村周一郎:
人口減少で働き手が減っていく中、業界全体が先細りしていく危機感があります。だからこそ、パン屋という職業を、単なる製造販売業から、自己実現ができる魅力的な仕事へと変革させていきたい。
弊社は「いい人」を採用基準にしています。スキルは後から教えられますが、心のあり方は変えられないからです。心根の良い仲間が集まり、互いに高め合いながら、お客様に感動を届ける。そんな人の力が生み出す熱量こそが、これからの時代に生き残るブランドの条件だと信じています。
編集後記
常識を疑うことから始まった木村氏の挑戦は、単なるパンの販売にとどまらず、日本の食卓の風景を変えることにまで及んでいる。印象的だったのは、AIや効率化が進む現代において、あえて空気づくりや感動という、数値化できない人間臭い価値を最重要視している点だ。歴史ある家系のDNAを受け継ぎつつも、常に新しい視点で業界をイノベートし続ける木村氏。その視線の先には、パンを介して人々の心と生活を豊かにする、新しい商いの形が見えているようだった。

木村周一郎/1969年東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。1991年、千代田生命保険相互会社(現・ジブラルタ生命保険株式会社)に入社。27歳で退社し、米国のAIB(米国立製パン研究所)に留学。1999年、Boulangerie Eric Kayser(パリ)にてパン職人として修行後、2000年に株式会社ブーランジェリーエリックカイザージャポンを設立。