
「人材サービスとは、雇用を創出し、素晴らしいマッチングを生み出せる非常に尊いビジネスです」。そう力強く語るのは、世界最大級の総合人材サービス企業、ランスタッド株式会社を率いる猿谷哲氏だ。2015年、39歳という若さで社長に就任。「現状維持は退化である」という強烈な信念を持ち、グローバル共通のシステム導入や、職種別組織への大胆な改変など、次々と改革を実行してきた。AIやテクノロジーが進化し、仕事の定義が揺らぐ現代において、同氏は「人が介在する価値」をいかにして最大化しようとしているのか。証券マンから転身し、失敗と成功を積み重ねてきたリーダーの、熱き信念と勝算に迫った。
「真の貢献」を求め証券業界から人材の世界へ
ーーまずは、キャリアのスタートについてお聞かせください。
猿谷哲:
新卒で日興証券株式会社(現・SMBC日興証券株式会社)に入社したのが、私のキャリアのスタートです。当時は丸の内で勤務しており、資産運用をコンサルティングする仕事自体には非常にやりがいを感じていました。お客様のライフプランやニーズに合わせて、さまざまな金融商品を組み合わせ、最適な提案を行うプロセスは知的で、面白さもありました。
しかし一方で、会社として推進したい商品をどうしてもご案内しなければならない場面もありました。そうした経験を重ねる中で、「もっと一人ひとりのお客様に深く寄り添い、真に必要とされる提案がしたい」という気持ちが次第に大きくなり、人材サービスの世界へ転身することにしたのです。
ーーそこからなぜ人材サービスを選ばれたのですか。
猿谷哲:
人が喜ぶこと、必要とされることに真に貢献できる仕事がしたいという思いが強かったからです。目の前の方の真のニーズと向き合い、心から貢献できていると実感できる仕事に身を置きたいと考えました。当時の人材業界は非常に勢いがありましたし、何より求職者の人生と企業の成長の両方をサポートできる点に惹かれました。良いマッチングができれば、求職者はやりがいのある仕事に出会え、企業は優秀な人材を得て成長できる。そして私たちも対価をいただける。こうしたウィン・ウィンな関係性を築ける構造に、大きな可能性と尊さを感じたのです。その気持ちは、入社から現在に至るまで、一度も変わっていません。
半年で部下の半分が退職 20代の支店長が犯した「優しさ」の過ち
ーー転職後、貴社ではどのようなキャリアを歩んでこられたのですか。
猿谷哲:
実は、入社して3~4年目の頃に、高崎支店の支店長に抜擢されました。若くしてチャンスを手に入れたことは非常にありがたかったのですが、当時は若気の至りもあり、「自分ならできる」と高をくくっていた部分があったと思います。そして、そこで私は大きな失敗を経験しました。
当時の私は、「全社員がハッピーになればいい」と考えていました。その思い自体は決して間違っていなかったと思うのですが、そのために「一人ひとりのニーズにすべて応えてあげることが最適なマネージャーだ」と勘違いしてしまっていたのです。
あるとき、良かれと思って特定のメンバーを認めれば、別のメンバーから「猿谷さんはいいと言ったじゃないですか」と反発が起き、チームとしての方向性はバラバラになってしまいました。結果としてモラルが低下し、半年間で部下の半分にあたる5名が辞めてしまうという事態を招いたのです。
ーーその失敗からどのように組織を立て直されたのでしょうか。
猿谷哲:
そのとき、本当のマネジメントとは全員の機嫌を取ることではないと痛感しました。組織として目指すべきゴールを示し、一定の規律(ライン)を敷く。その上で、メンバーが自己実現できるようサポートし、時には背中を押すことこそがリーダーの役割なのだと気づいたのです。
辞めてしまったメンバーには申し訳ない思いがありますが、私はそこから腹を括って組織づくりをやり直しました。コーチングの手法なども取り入れながら、改めてチームビルディングを行った結果、業績はV字回復し、驚くような成果が出るチームへと生まれ変わりました。高崎支店での経験が、私のマネジメントの原点になっています。
ーーその支店での経験を経て、その後はどのようなキャリアを歩まれましたか。
猿谷哲:
その後は、営業企画部長として本社へ異動し、間接部門を経験することになりました。実はこの経験は、経営者としての視座を養う上で非常に大きな意味がありました。支店長時代は自分の支店がいかに勝つかだけを考えていましたが、企画部門では全社最適を考えなければなりません。
限られたリソースをどこに投資し、どの分野を伸ばすのか。KPI(重要業績評価指標)を導入して数値を可視化し、非効率な部分を改善していく。当時、まだ気合いと根性が色濃かった組織に、論理的な経営管理の手法を持ち込んだ経験は、現在の経営判断の礎となっています。
現状維持は退化 39歳新社長が挑む組織の大変革

ーー社長に就任された当時の心境をお聞かせください。
猿谷哲:
社長就任の打診を受けた際、当時は39歳という年齢だったこともあり、私自身も驚きを感じたのは事実です。「なぜ自分なのか」という思いもありました。しかし、弊社は年齢や社歴に関係なく、能力と意欲のある人間にチャンスを与える会社です。その一貫した文化こそが弊社の強みであり、私自身の抜擢がその証明でもあるのだと、あらためて背筋が伸びる思いでした。
私はもともと、ポジションや肩書にはあまり関心がありません。社長という立場についても「偉くなりたい」といった欲求は一切なく、むしろ「この立場を得ることで、社会に対して何ができるのか」という点にのみ強い関心を抱きました。私たちの人材ビジネスは、雇用を創出し、素晴らしいマッチングを生み出せる非常に尊い仕事です。その社会的責任の大きさと、社長という立場でより大きな社会貢献ができる可能性にワクワクしたのを覚えています。
ーー社長として、どのようなミッションを掲げ、組織を導いていこうとお考えでしょうか。
猿谷哲:
私が最も重視しているのは、社員一人ひとりが自らの仕事に真の誇りを持てる組織づくりです。弊社が扱っているのは「雇用」という、社会にとって極めて重要なインフラの一つです。適切なマッチングを通じて一人でも多くの方に雇用を創出することは、人々の生活を支え、企業の成長を加速させる尊い社会貢献にほかなりません。営業実績を追うことは当然重要ですが、それ以上に「自分たちは社会の重要なミッションを担っている」という自負を、全社員が共有できる会社にしたいと考えています。
そのミッションを遂行する上で、私が組織の行動指針として絶えず伝えているのが「現状維持は退化である」という言葉です。マーケットは常に変化しています。昨日と同じことをしているだけでは、相対的に後退しているのと同じです。ビジネスの成長はもちろん、個々の社員の成長、さらには求職者の方々の成長までも支援し続ける。そのためには、私たち自身が常に「昨日の自分」を超え、変化を恐れずに進化し続けるパートナーでありたい。この飽くなき成長へのこだわりこそが、私が社長として実現したい組織の姿です。
ーー現在、社内の組織においてはどんなことに挑戦されたのでしょうか。
猿谷哲:
大きな取り組みとして、組織の軸を従来の「提供サービス別(派遣・紹介など)」から、「ジョブプロファイル(職種)別」へと転換しました。具体的には、オペレーショナル、プロフェッショナル、デジタル、エンタープライズという4つの専門分野で組織を分けています。
これまでの人材業界では、派遣なら「派遣事業部」、紹介なら「紹介事業部」と、サービス形態ごとに組織を分けるのが一般的でした。しかし、この縦割り構造では、たとえば「今は派遣で経験を積み、将来は正社員を目指したい」という求職者の方に対し、部署をまたぐたびに担当者が変わり、サポートが途切れてしまうという課題がありました。しかし、職種軸の組織であれば、デジタルならデジタルの担当者が、派遣から正社員、業務委託に至るまで、あらゆる雇用形態をワンストップで提案できます。
私たちはこれを「Partner for talent(パートナー フォー タレント)」と呼んでいます。働く人のライフステージやニーズに合わせて、一生涯のキャリアパートナーとして寄り添い続ける体制をつくることが狙いです。
ーー貴社ならではの強みについては、どのようにお考えですか。
猿谷哲:
日本国内だけでなく、世界39の国と地域でビジネスを展開している点は、やはり大きな差別化要因になっています。たとえば、近年日本でも注目されているRPO(採用代行)というサービスは、もともと欧米で生まれたビジネスモデルです。私たちは海外ですでに確立されたノウハウを持っていたため、日本市場へいち早く、かつ高いクオリティで導入することができました。
また、ED&I(※)の分野でも、オランダ本社をはじめとする先進国の知見を活用できます。人事制度の設計や多様な働き方の導入支援など、グローバルで蓄積された膨大なノウハウや成功事例があるからこそ、日本のお客様に対しても、まだ見たことのない新しい解決策を提案できる。これは国内だけで展開している企業にはない、弊社ならではの強みだと確信しています。
※ED&I(エクイティ、ダイバーシティ & インクルージョン):多様な背景を持つ人材(Diversity)が、個々の状況に合わせて公平な機会・支援を受け(Equity)、組織の一員として尊重・包括され(Inclusion)、主体的に能力を発揮できる職場環境を目指す経営概念。
AI時代だからこそ際立つ「人間」の価値
ーー組織やサービスを進化させていく中で、AIやテクノロジーとはどう向き合われていますか。
猿谷哲:
変化を恐れず進化するという意味では、テクノロジーの活用も極めて重要な生存戦略の一つです。弊社は今、世界各国の拠点や人材情報を一つのシステムに集約し、グローバル規模でシームレスに連携できる基盤づくりを急ピッチで進めています。世界中のデータベースを統合し、AIによるマッチング精度を高めることで、求職者様をお待たせしないスピード感を実現したいと考えています。
テクノロジーは「使うか使わないか」という議論ではなく、それを前提として「いかに使い倒して、グローバルな人材流動を加速させるか」というフェーズに入っています。
ーーこれからの人材紹介会社はどのような価値を提供していくべきだとお考えでしょうか。
猿谷哲:
私は、テクノロジーが進化するからこそ、逆に人の介在価値が際立つと考えています。合理化できる部分はテクノロジーに任せればいい。それは省人化が狙いではなく、人間がより高い付加価値を付けられる仕事に就くべきだと考えているからです。たとえば、書店の形が街の本屋さんからAmazonに変わっても、本を読みたいという人間の根源的なニーズはなくなりませんでした。同じように、どんなに時代が変わっても良い仕事に就きたい、自分らしく働きたいという願いは変わりません。
ただ、自分一人の視点では自分の可能性に気づけないこともあります。だから私たちが介在し、「あなたにはこんな仕事も向いているかもしれない」と新たな選択肢を提案したり、一歩踏み出す不安に寄り添い、背中を最後に押してあげたりすることが重要です。そうしたコミュニケーションや共感こそが、AIには代替できない人間の価値にほかなりません。私たちはテクノロジーを武器にしつつ、データだけでは測れない人の温もりや情熱を大切にし、人と企業の成長を支える存在でありたいと考えています。
ーーそうした貴社の強みを届けるための、具体的な戦略はありますか。
猿谷哲:
世界最大級のネットワークを持つ一方で、日本での私たちの認知度は、まだ十分とは言えないのが現状です。残念ながら、まだ「ランスタッドって何の会社?」と聞かれてしまうことも少なくありません。だからこそ、今後は認知を広げる活動に注力します。
戦略としては、「地上戦」と「空中戦」の融合です。現場のコンサルタントが実績で信頼を勝ち取る「地上戦」だけでなく、メディアなどを通じて私たちの思いや強みを広く発信していく「空中戦」。単に知名度を上げるだけではなく、本当にサービスを必要としている方に響くような、実のあるブランディングを展開していきたいと考えています。
ーー最後に、今後のビジョンをお聞かせください。
猿谷哲:
弊社は世界最大級の企業ですが、日本におけるブランド認知はまだ十分ではありません。今後はマーケティングやブランディングも強化し、「ランスタッドなら多様な働き方とキャリアの可能性に出会える」ということを、より多くの方に知っていただきたいですね。
目指すのは、世界で最も公平で専門性の高い人材サービス会社になること。年齢や性別、ハンディキャップに関わらず、誰もが公平に評価され、活躍できる労働市場をつくっていく。それが私たちの使命であり、挑戦です。
編集後記
「現状維持は退化」。穏やかな語り口とは裏腹に、その言葉にはマーケットの最前線を走る経営者としての凄みが宿る。かつての苦い挫折を糧に、個の尊重と組織の規律を高い次元で融合させたマネジメントの礎を築いた。世界規模でのシステム統合や組織改編など、ドラスティックな改革を進める一方で、「最後は人の手で背中を押すことが大事」と語る猿谷氏。テクノロジーとヒューマニティを融合させた同社の挑戦は、日本の労働市場に新たな光をもたらすに違いない。

猿谷哲/1975年群馬県生まれ。高崎経済大学経済学部を卒業後、日興証券株式会社に入社し営業を担当。退職後、ランスタッド日本法人の前身である株式会社フジスタッフ(2011年に経営統合と社名変更)に入社、登録型派遣の営業担当として人材業界でのキャリアをスタート。営業企画部門などを経て、2013年に首都圏本部長、2014年に取締役、2015年1月より取締役副社長、同10月に同社代表取締役社長に就任。