※本ページ内の情報は2026年4月時点のものです。

ねじの専門商社として創業し、独自の測量用品「コノエネイル」で全国的な知名度を獲得した株式会社コノエ。現在は祖業のねじ、測量用品の製造販売に加え、新たに工具分野を第3の柱とすべく事業拡大を進めている。同社を率いるのは、創業者を祖父に持つ3代目の河野裕氏だ。もともと家業を継ぐつもりはなかったという同氏が、ある出来事をきっかけに入社。修行先で抱いた強烈な危機感を原動力に、属人的な経営からの脱却と、強固な組織づくりを実行してきた。「創業100年で売上高100億円」という壮大な目標を掲げ、社員が「朝、行きたくなる会社」を目指す同氏の思いに迫る。

継ぐ気ゼロから一転 厳しい現場で学んだマネジメントの礎

ーーまずは、キャリアのスタートについてお聞かせください。

河野裕:
幼いころは本社ビルの4階で生活していたため、創業者の祖父が働く姿を間近で見ていました。しかし、小学校3年生のときに引っ越してからは接点も年数回に減り、家業を意識することもほとんどなくなりました。もともと家業を継ぐ考えはなく、家族から継ぐように言われたことも一度もありません。大学も農学部に進学するなど、自分の興味がある道に進んでいました。

転機は大学4年生のときです。就職活動も終えたお盆休み前に、祖父にがんが見つかったと連絡が入りました。80歳を超えてもフルマラソンを走るような元気な祖父でしたが、がんの知らせを受けて家族はひどく動揺していました。父は医師の道に進んでいたため、家業を継ぐことができません。そこで、「誰かが支えなければ会社が回らない」と親族内での話し合いが行われ、その場で私が「おじいちゃんを手伝う」と申し出たのです。特に深い考えがあったわけではなく、とにかく祖父に安心して手術を受けてほしいという一心で下した決断でした。自分の意志というよりは、家族の状況とタイミングが重なった必然的な流れだったといえます。

ーー入社後、修行のために他社へ出向されたとうかがいました。その経緯を教えてください。

河野裕:
入社して間もなく、祖父と一緒に取引先であるトラスコ中山株式会社の中山社長へ挨拶にうかがった際、転機が訪れました。中山社長から「よそで働いたことはあるのか」と問われ、大学を出てそのまま入社したことを伝えると、「一度は外の世界で経験を積んだほうがいい」というお言葉をいただいたのです。それを聞いた祖父も「その通りだ」と応じ、その場で「うちの孫を預かっていただけませんか」という話になりました。そこから急遽、面接を受けてトラスコ中山に入社し、修行させていただくことになったのです。

1年目は営業部門でお客様とのやりとりを学び、2年目からは物流倉庫に移りました。そこでは、新入社員15名の指導や、大勢のパート従業員の管理を任せていただきました。上司が私の立場を理解した上で、あえて若いうちから責任ある役割を任せてくれたのだと思います。この時のマネジメント経験が、私にとって大きな学びとなりました。

「創業者が去れば終わる」危機感 属人化から脱却した組織改革

ーー代表就任に至るまでには、どのような経緯がありましたか。

河野裕:
その後は弊社に戻りましたが、トラスコ中山との組織体制の差に愕然としました。トラスコ中山では各部署の長に権限が委譲され、その責任のもとに組織が機能していたのですが、当時の弊社は役職はあっても、実質的には創業者である祖父がすべての決定権を握るトップダウンの体制だったのです。

それを象徴的していたのが、あるとき取締役がほうきを1本買うために、わざわざ私に購入の許可を求めてきたことがありました。その瞬間に「これは駄目だ。創業者がいなくなれば、誰も何も決められなくなってしまう」と強い危機感を抱いたことを今でも覚えています。

そこで取締役会で代表交代を申し出ましたが、当然ながら「まだ早い」という声が上がります。しかし私は「皆さんがまだ指導してくれるうちに交代するのが、組織にとって一番の安心材料ではないですか」と粘り強く説得を続けました。最終的には祖父も私の熱意を認め、2011年6月に代表取締役へ就任しました。

ーー代表に就任後、まず何から着手されたのでしょうか。

河野裕:
最も課題意識を持っていた組織の改革から着手しました。まず、役職ごとの権限や決裁できる金額をすべて明文化することから始めたのです。また、属人的な経営からの脱却を目指し、これまで根拠が曖昧だった評価制度についても、数年かけて見直しを図りました。具体的な目標設定と達成度に応じて評価が決まる仕組みへと作り替えていったのです。

特に重視したのは、会社の発展と社員の生活向上が連動する仕組み作りでした。設定した目標数字を会社全体で上回った分については、決算賞与として社員に還元することを明確に約束しています。「この水準を超えればこれだけ給料が増える」ということが見える化されたことで、社員のモチベーション向上にもつながっていると実感しています。会社も社員も一緒に成長していく組織を目指して、土台作りを進めてきました。

工具の急成長と測量の新価値 100年100億円企業へ挑む成長戦略

ーー改めて、貴社の事業内容についてお聞かせください。

河野裕:
現在の事業は、祖業である「ねじ」、独自の強みを持つ「測量用品」、そして新たに立ち上げた「工具」という3つの柱で構成されています。

なかでも測量用品は、メーカーとしての機能を持つ事業です。きっかけは、祖父が出会った測量士からの相談でした。当時は測量地点の目印に釘を使用していましたが、「すぐに抜けてしまう」「車のタイヤに刺さってしまう」といった課題を抱えていたそうです。「釘のように打ち込みやすく、かつねじのように抜けにくいものはないか」と求められ、開発したのが独自の測量用品「コノエネイル」です。この商品が大ヒットし、会社の知名度を全国に広げ、成長の大きな原動力となりました。

そして私が社長に就任後、ねじと測量に次ぐ第3の柱として工具分野を立ち上げ、現在注力しているところです。

ーー今後に向けて、どのような成長戦略を描いていますか。

河野裕:
私たちは「創業100年で売上高100億円」という目標を掲げています。測量分野はGPS技術の進化で市場が縮小傾向にあるため、ねじと工具分野の拡大が鍵です。

特に工具は、これまで私たちがアプローチしてこなかった未開拓の部分です。そのため、大きな伸びしろが残されています。社内勉強会などを通じて知識を深め、お客様のニーズを徹底的に拾い上げる活動を続けました。その結果、この2年で売上高が3億円まで急成長しました。しかし、自社の成長だけでは目標達成は難しいと考えています。不足分を補うためのM&Aも視野に入れ、長期的な戦略を立てているところです。

また、ブランディング強化として、測量事業における新たな価値創造にも挑戦しています。目指しているのは、これまでの建設工事を目的とした測量だけでなく、記念碑や観光資源として機能する「象徴としての測量」という市場の開拓です。たとえば、東京マラソンのスタート地点にはすでに弊社の製品が採用されました。現在は、富士山のような著名なランドマークにも設置してもらえるよう、自治体への働きかけを進めているところです。メーカーとしてのブランド力を生かし、新たな付加価値を提案していきたいと考えています。

ーー貴社をどのような会社にしていきたいとお考えですか。

河野裕:
社員が朝起きて「会社へ行きたい」と思えるような場所にしたい。これが私の一番の思いです。事業内容は、時代に合わせて変わっていくかもしれません。しかし、社員が毎朝集まるこの「場所」としての価値は、常に高めていきたいと考えています。その一環として、2030年の完成を目指して新社屋の建設計画も進めているところです。社員が「ここで働けてよかった」と思えるような環境を整えること。それが、社長である私の役割だと思っています。

編集後記

取材を終えて心に残ったのは、河野氏の「変化を恐れない強さ」と「社員への温かい想い」だ。祖業を守るだけでなく、新たな柱を次々と打ち立てる柔軟な経営姿勢。その原動力となっているのは、「社員が毎朝行きたくなる場所をつくりたい」という純粋な願いなのだろう。2030年の新社屋完成、そして「100年100億円企業」へ。進化を続ける同社が、次なるステージでどのような未来図を描いていくのか。さらなる飛躍が楽しみだ。

河野裕/2006年、香川大学農学部卒業後、株式会社コノエに入社し、MIC(ミック)チームに配属。その後、広い視野と実務経験を得るためトラスコ中山株式会社へ入社。同社での勤務を経て、2010年4月に株式会社コノエへ復帰し、同年9月に取締役に就任。2011年6月代表取締役に就任。社外で培った知見と現場経験を融合させ、長年にわたり経営の指揮を執り、企業のさらなる成長を牽引している。