※本ページ内の情報は2026年4月時点のものです。

化粧品容器をはじめとするプラスチック製品の製造において、業界内で「プラシーズなら叶えてくれるかもしれない」と厚い信頼を集める株式会社プラシーズ。来年には創業95周年を迎え、100年企業への足跡を確かなものにしている。現場からの叩き上げでトップに就任し、「マイナスのない人は、何もやっていない人」と語る代表取締役社長の尾形淳氏に、自身のキャリアから見出した組織のあり方、そしてものづくりにかける圧倒的なこだわりについてうかがった。

運命を変えた7月26日 経営者として選んだ「任せる」という決断

ーーまずは、貴社へ入社された経緯から教えてください。

尾形淳:
岩手県の製造企業で成形などの業務を経験した後、2001年に現在のプラシーズの前身となる企業へ入社しました。四代前の社長から声をかけられたのがきっかけですが、当時は外注先でゼロから成形をはじめることになりましたが、私以外は全員未経験で社内にノウハウが乏しく、事実上ゼロからのスタートでした。知識も経験もないアルバイトの方々を束ね、文字通り手探りで現場の体制を築き上げたのが私の原点です。

その後、釜石工場での勤務を経て、転機が突然訪れました。現会長の田中雄一氏から「東京で一緒にやろう」と呼ばれ、さらには社長就任を打診されたのです。その日は7月26日。東京行きの決断も、社長就任の辞令も、不思議とこの日付に重なっています。私にとって7月26日は、単なるカレンダーの一日ではなく、人生の舵を大きく切った運命的な日となりました。

ーー社長に就任されてから、ご自身の意識や視点に変化はありましたか。

尾形淳:
社長になって最も痛感したのは、「プレーヤーとして自分一人で完結できる仕事はなくなった」ということです。かつては現場の最前線で先頭を切ってきましたが、今は一歩引き、社員を信じて任せるステージにいます。その時々の「一過性の場面」だけを切り取って指示を出すことは、かえって現場を混乱させる危険があると考えているからです。現場が積み重ねてきた物事の経緯や蓄積を尊重し、時間をかけて現場と接することが少なくなった以上、それぞれの役割で社員を信頼し、現場を任せています。

もちろん、危険予知やアラートが必要な緊急時には、いきなり割って入り、口を出すこともあります。しかし、それ以外の業務に関しては、現場や部長から都度報告が上がってくるため、状況を正しく把握したうえで安心して彼らと対話ができています。私がむやみやたらと口を出さなくなったのは、現場や部長、そして会長がしっかり見てくれているという絶対的な安心感の裏返しでもあります。ここ半年は彼らに現場をお任せし、現場で真摯に向き合う仲間たちが失敗を恐れずに挑戦できる環境を整えることに専念しています。

ーー失敗に対する寛容さが、貴社の組織づくりの根底にあるのでしょうか。

尾形淳:
私は「失敗しないように支える」よりも、社員には「失敗してもそれを経験して成長していく人材」になってほしいと考えています。仮に失敗したとしても、私だけでなく周囲がフォローし、会社全体でその失敗を受け止め、支えられる環境があれば、未熟であっても必ず乗り越えられます。逆に言えば、「マイナスのない人は、何もやっていない人」でもあるのかもしれません。全てが完璧な人などそうそういませんし、間違えるのは何かに挑戦している証拠だと思います。間違いに気づき、それを自ら改善できるからこそ人は成長できるのだと信じています。

「他社がやらないこと」をやり続けるプラシーズの絶対的な強み

ーー貴社のものづくりにおけるこだわりや、他社にはない強みはどこにありますか。

尾形淳:
他社があまりやりたくないもの、手を出さないもの、あるいは面倒くさがるものをずっとやり続けてきた経験の歴史こそが、私たちの最大の強みです。新しい材料へのトライや、他社が流動解析をして「製造不可」と判断された案件でも、何事も諦めずにやり続けて形にしてきました。もちろん、コストが見合わなかったり、市場に受け入れられなかったりしたこともありますが、泥臭く何度もトライアンドエラーを繰り返すことでしか培われない技術が確実に存在します。

ーー他社が断るような難題とは、具体的にどのような製造ですか。

尾形淳:
たとえば、完全な球体に近いキャップや、平面ではなく曲面に直接模様を施す難易度の高い容器などがあります。他社が受注を試みたものの技術的に叶わず、最終的に私たちのところに持ち込まれるケースも少なくありません。最初はハードルが高くても、他社が無理だと諦めたものでも、基本的には断りません。まずは「やってみよう」というスタンスから着手するのがプラシーズのやり方です。

容器を超えた「トータルパッケージ」の価値 諦めず挑戦する組織へ

ーー多くの競合が存在する中で、あえてプラシーズに頼みたいと指名を受ける理由はどこにあるのでしょうか。

尾形淳:
容器単体にとどまらず、紙箱などのパッケージ全体をトータルで設計・製造できるのは弊社の大きな武器です。容器をより美しく見せるための箱を自社内で設計し、お客様がディスプレイとしてそのまま店頭に飾れるような工夫も凝らしています。中身の充填を行う企業は多いですが、私たちはあえて外装やパッケージに特化し、そこに一つのストーリーや世界観を持たせることで、他社との明確な差別化を図っています。

ーー最後に、今後の展望についてお話いただけますか。

尾形淳:
日本の人口が減少し、化粧品などの消費も縮小していく中で、いかにして独自の価値を見出し差別化を図るかが問われています。これまで貫いてきた「他社にできないモノを作る」「何事も諦めない」というスタンスは一切変えず、箱と容器をトータルパッケージで提供できる強みをさらに広くアピールしていきたいです。

また、多品種を扱うがゆえの製造の難しさはありますが、汎用機をうまく活用した自動化や省人化など、コスト改善にもしっかりと取り組む必要があります。時代が変わっても自分たちの「色」をブレずに持ち、新しいことにチャレンジしながら古い慣習は大事にしつつも改善していく。そして、社員一人ひとりがやりがいを持ち、失敗を恐れずに挑戦しても皆で支え合う、そんな環境をつくり続けたいと思っています。これからもいろいろなジャンルに挑戦し、何事も諦めず、泥臭くものづくりに真摯に向き合っていく組織であり続けたいですね。

編集後記

取材を通して見えてきたのは、尾形氏の現場に対する深い愛情と、挑戦を恐れない強靭なマインドだ。他社が尻込みする案件をあえて引き受け、基本的には断らずに泥臭く形にしていく姿勢こそが、100年企業を見据えた同社の確固たるブランド価値を築いている。変化の激しい業界の中で、容器からパッケージまでをワンストップで担う同社が、今後どのような革新を生み出していくのか期待が高まる。

尾形淳/1967年生まれ。高校卒業後、地元岩手県の製造企業に就職し、成形業務に従事。新製品開発から金型製作、メンテナンス、成形機の操作・修繕に至るまで、ものづくりの全工程に携わる。2001年、当時の社長に声をかけられ、現在の株式会社プラシーズの前身企業に入社。釜石工場で成形業務を担当したのち、生産管理、工場長、営業部長、生産部門本部長を歴任し、2024年に代表取締役社長に就任。現場を知るトップとして、プラシーズを牽引している。