株式会社久原本家グループ本社 日本の食文化を支えて130年。福岡発食品メーカーの新たな挑戦と想い 株式会社久原本家グループ本社 代表取締役社長 河邉 哲司  (2022年9月取材)

インタビュー内容

【ナレーター】
1893年創業の老舗総合食品メーカー「久原本家グループ」。

北海道産の卵にこだわった『あごだしめんたいこ』などを取り扱う『椒房庵』や化学調味料・保存料無添加の出汁や調味料を扱う『茅乃舎』など、厳選した素材と、手間暇を惜しまない味づくりを大切にしたブランドを展開し、さまざまなジャンルの商品を開発。

2019年には、新たな柱として北海道の食品や食文化を全国に届けるべく『北海道アイ』を立ち上げるなど、日本の食文化に根ざしたものづくりを行っている。

「つくること、食べることが多くの人をしあわせにするように」。その思いのもと、数々のヒット商品を生み出し続けてきた、4代目経営者が見据える未来とは。

【ナレーター】
かねてから「永続する企業づくり」を掲げ、邁進している久原本家グループ。その実現に向けて、特に注力している2つのこととは。

【河邉】
まず“味づくり”ですよね。やはりこれは長い年月をかけましてね。

「そうすると価格が…」というようなことをすぐに言ってしまって、「仕方ないか」と味を妥協するということってあるんですけれども、当社はやっぱりおいしいものをつくりたいということを考えたとき、どうしても価格が高くなるんですよね。手間暇も掛かります。

それを認めてもらうにはある種、ブランドがないと売れないということにもなるわけですね。

開発メンバーの中には、他社から入ったメンバーもいますが、彼らが一様に驚くのは、これまで勤めていた会社では「価格を安くしろ、安くしろ」と言われてつくってきたけれど、当社では「もっとおいしくしろ、おいしくしろ」と言われることだと。

また、「あなたのところの商品は間違いないもんね」とお客様からはよく言われます。そのように言っていただけることが、一番私にとって冥利に尽きることなんですね。

そしてもう一つは“感謝”です。

当社の従業員は分かってくれていると思いますが、「これは当たり前じゃないよね、当たり前じゃないよね」ということをみんなで繰り返し言い合っています。ですから、「あんたのお店の接客、気持ちいいよね」と言っていただけるわけです。

「あなたに会いたいから会いに来た」というのは確実にあるんですよ。味づくりと感謝、この2つがしっかりしていれば、私が最も大事としている永続に間違いなく向かっていけると思います。

【ナレーター】
河邉の原点は入社時に感じていた想いにある。しょうゆ醸造業を営んでいた父の会社に入社し、しょうゆの販売に従事するも、当時は洋食化が加速しており、売上が低迷していた。

「とにかく売上を上げたい」という一心で、さまざまな取り組みを行う中で辿り着いたのが「たれ」事業への進出だった。

【河邉】
その当時、スーパーがどんどん出店し始めた時代です。

たとえば、ギョーザだったらこれまで家でつくって食べるのが当たり前だったのが、スーパーにギョーザが置かれ出した。

ギョーザは、スーパーに置かれるようになったときに、タレが付き出した。さらに納豆も置かれるようになりました。すると、納豆のタレが付きだした。そのとき、(この市場は)成長しているということが分かったんですね。

当社にギョーザのたれや納豆のたれなどを小袋に充填する機械があったんです。それを使ってたれ事業に入ったらいいのではないかということで。そういうことをスタートしましたね。

【ナレーター】
時流に乗ることができた久原本家グループはその後、順調に業績を上げる。しかし、従業員からのある一言が、浮かれていた自分の目を覚ましてくれたと振り返る。

【河邉】
その従業員が「今どんどん成長して、何か調子よくいっているように見えているけれど、大丈夫なんですか?」ということを私に言ったんですよ。水をぶっかけられた気持ちでした。

でも、実はそれは、私は最も怖かったことでした。分かっていたことなんですよ。

もっとおいしいたれを大手企業が持ってきて、価格を少しでも安くしたら、たとえば納入メーカーは、すごい量を取りますから、大きなメリットがあるわけですね。ですからいつ(シェアを)取られるのかとヒヤヒヤしながら納入していて。

成長すれば成長するほど、怖くなっていった。自分でも分かっていたのに、次の手を打っていなかった。(その従業員の言葉を聞いて)自分は何だったんだろうとすごく反省したんです。

【ナレーター】
どうすれば大手企業に対抗できるのか。考え続けて出た結論は、自社ブランドをつくることだった。しかし既存事業のたれには、すでに大手が参入しておりブランド化は難しい。そこで着目したのは地元福岡の名産品である「辛子明太子」だった。

【河邉】
辛子明太子というのは、いかに売り場の中央に広く置けるかによって売上が違っていたんです。要するに、辛子明太子という括りの中で売れている。ですから、ブランドがあるメーカーが極めて少なかったということが分かったんです。

私は以前から滋賀県に本社を置く老舗製菓メーカーの叶 匠壽庵さん、それから新潟県に本社を置く食品メーカーの加島屋さんという鮭茶漬けのブランドが大好きで、勉強していたんですよね。いつの日かそういうものをしたいなというのが根底にあったんです。

ブランドというものがしっかりある。要するに、売り場の後ろ側にあっても売れるような明太子にしたらいいのではないかという発想に至ったんです。

【ナレーター】
その後、福岡の経営者への師事を経て、1990年に辛子明太子ブランド『椒房庵』が誕生。これを足掛かりに主要事業だった「たれ」でもブランドづくりに着手し、その中で生まれたのが、後のヒット商品となった『キャベツのうまたれ』だ。

【河邉】
これはたまたま私の大学時代の同級生がスーパーを経営していて、焼き鳥がよく売れると言ってきたんです。

「福岡の家庭だったら、焼き鳥を食べるときはキャベツも一緒にして食べないといけない。それには焼き鳥屋にある“酢だれ”が必要だから、お前がつくれ」という話からだったんですよね。

「そんなもの、売れんやろ」って言ったんですけれど、それがもう驚くほど爆発して売れたと。

青果コーナーで売ったものですから、その後、『きゅうりのうまたれ』や『トマトのうまたれ』などの派生商品をつくりながら、徐々に全国に『くばら』ブランドも広げていったというのがスタートです。

『くばら』もOEMのメーカーだったのが自社ブランドの商品がようやくでき始めました。

【ナレーター】
『椒房庵』『くばら』はそれぞれ大きな成果を残したが、河邉は「今の成長が10年後も続いているか分からない」と、暗中模索の中で立ち上げた。それが第3のブランド『茅乃舎』だ。知られざるその裏側に迫った。

【河邉】
母の故郷が福岡の宗像市というところにあるんですけれど、いまだに母屋の屋根が茅葺きなんですよ。もう見た途端、ビリビリっと来ましてね。

伝統のものを守るというスローフードの考えですから、そういう中でやはり日本のこの茅葺き屋根の家というのはまさしくスローフードだと思い、茅葺きのレストランをつくるということで突き進んだわけですね。

そのときに思ったのは、茅葺きという伝統文化を守らないといけない、そして日本の伝統食を守らないといけないというこの2つの文化を守ろうとしたのが『茅乃舎』なんですね。

ファストフードももちろんいいんだけれど、たまには日本食を家でつくって食べようねと思って帰っていただきたいなと思ったわけですね。

【ナレーター】
日本の伝統ある食文化にかける情熱を注ぎ込んだ商品『茅乃舎』は、東京進出を機に徐々に認知度を高め、主要ブランドのひとつとして成長。そして2019年、第4のブランドとして『北海道アイ』を立ち上げる。北海道に着目した理由について、河邉は次のように語る。

【河邉】
1990年に辛子明太子の『椒房庵』をスタートしまして、北海道のタラコを用いてスタートしているんですけど、明太子がブレイクして価格が高くなって、海外卵を使っているメーカーさんが非常に多かった。

でも、やっぱり北海道産がおいしいというのを私も知っていたので、いつの日か北海道に恩返しをしないといけないなと思ったんですよね。

最初にしたのが新卒の大学生の求人だったんですね。なぜかというと、やはり我々工場をつくるということがもちろん、最初の考えでありましたから。そのためにはやはり味づくりができる人を育てないとスタートできないんですよ。

まだ知名度も何もないときにそういう募集をしたら、20数名来ていただいていた。

そのときに私が「実は開発職というのは福岡で開発する仕事ではないんだ。北海道の素材を使って、北海道の人で、北海道のお金で北海道のブランドをつくるんだ。あなたたちはそのためのスターティングメンバーだ。だから、まず福岡でしっかり研修して、あなたたちが育ったら工場をつくります」という話をした。

それで応募した方の中で2人を採用して育ったので、ようやく工場をつくったというのが2022年なんですよね。

【ナレーター】
さまざまな挑戦を続けてきた河邉が、それらを結実させるために意識したことがある。

【河邉】
人の話を素直に聞く。そして、それを取り入れる。これの繰り返しだったと思いますね。

「教えてやろうかな」という気になってもらわないといけないんですよ。「こいつは教えちゃってもいいかな」みたいな世界はあると思うんですよね。「かわいいから教えてあげよう」みたいな(笑)。それはすごくあったと思う。

ある種の、ひょっとしたら甘え上手だったのかもしれませんね。

【ナレーター】
今後、「だし」の世界的な認知度を高めていきたいと語る河邉。描いている夢と次の挑戦に込めた想いとは。

【河邉】
当社は日本食・和食の一番根幹を持っている会社だと思っているんですよね。であれば、やはり世界に出ていかなければいけないと思っていまして。

「しょうゆ」は、やっぱりキッコーマンさんが頑張って世界共通語になりましたけれど、「だし」というのは残念ながらそうはなってない。

一般の人にも分かるような、そして使っていただけるような世界的な調味料にしたいというのが夢なんですよね。

そのためにはぜひ我々が頑張って、「だし」というのを世界の共通語にできるようにチャレンジしていきたいなと思っています。

-大事にしている言葉-

【河邉】
「偶然は必然なり」という言葉が大好きなんですよね。

私はいろいろな出会いがあって、いろいろな人に助けていただいたんですけれども、これもまさしくご先祖や諸先輩方が助けてくれているのではないかなと。

また、この偶然を引き合わせてくれたのではないかなということを常々思っていまして。

ですから、この偶然は決して偶然ではなくて必然だった。それはそういう方々に助けていただいているんだという、そういう見方をしながら、この言葉を非常に大事にしています。

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経営者プロフィール

氏名 河邉 哲司
役職 代表取締役社長
生年月日 1955年4月17日
出身地 福岡県
略歴
78年福岡大学商学部貿易学科卒、家業である当時の久原調味料入社。入社時の従業員は6人。自らが醤油の配達を一軒ずつ行う中で、顧客への感謝の心を醸成し、現場からチャンスを見いだす術を学んだ。

四代目社主を継いでからは、たれや調味料のOEM事業に着手。1990年には明太子で初の自社ブランド「椒房庵」を立ち上げ、直営店舗・通信販売を通じて全国で認知度向上に努めた。2005年、自然食レストラン『御料理茅乃舎』を開業。その後、化学調味料・保存料無添加のブランド「茅乃舎」を立ち上げ、福岡の百貨店を皮切りに、東京ミッドタウンなどへ直営店を拡大。現在は全国に29店舗を展開している。2019年には北海道アイを設立。今年6月には久原本家グループ北海道工場を竣工し、食を通じた地域貢献に積極的に取り組む。

創業から130年目を迎えた今、社内では「ありがとう」の気持ちを何より大事にする企業文化の醸成に注力している。

(その他)
1994年 福岡青年会議所理事長
2016年 第43回経営者賞受賞
2018年 在福岡ラオス人民共和国名誉領事

会社概要

社名 株式会社久原本家グループ本社
本社所在地 福岡県糟屋郡久山町大字猪野1442
設立 1893
業種分類 食料品
代表者名 河邉 哲司
従業員数 1246名(2023年2月末時点)
WEBサイト https://kubarahonke.com/
事業概要 久原本家グループは、明治26年(1893年)創業の醤油蔵を原点とする、総合食品メーカーです。質の高い食品をつくり、全国のお客様に提案しています。 こだわり抜いた商品開発と、これまでになかった新しくユニークな提案が強みです。 グループ全体の経営管理や戦略・立案・商品開発・品質保証を担う「久原本家グループ本社」、製造を担う「久原本家食品」、店舗・通販・飲食事業を担う「久原本家」、量販店向け営業を担う「久原醤油」、北海道において食品の製造販売を担う「北海道アイ」、農業法人「美田(びでん)」、海外で事業を行う「久原本家USA」の7つの会社で構成されています。
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