株式会社 久原本家グループ本社 ~『茅乃舎だし』をはじめ『キャベツのうまたれ』など、独自のブランド戦略で全国に~

Vol.1 事業承継秘話

株式会社 久原本家グループ本社 代表取締役 河邉 哲司 (2014年3月取材)

[もっとみる]

-事業承継秘話-

【河邉】

絶対に家業は継がないと小さな時から言ってきましたので、本当に仕方なく入ったというのが本心です。最近はよく、「お前は家業を継いだ時に大きな夢があって継いだのだろう」と言われますが、全然。本当に、夢も希望もなく、家業を無理やりに継がされたというのが、最初だったのです。

基本的にその時代は従業員が6名しかいませんでしたから。しかも、私どもの会社は醤油屋で、事務所とガラス1枚を隔てて、われわれの家のダイニングがあったほどです。ですから、基本的に会社も仕事も一体という形で、小さい時からずっと仕事の話を聞きながら生活してきましたので、ギャップとかではなくて、そういう意味では、なんとなく入れたわけです。本当に企業と言える状況じゃなかったので、まさしく家業ですよね。小さな田舎の小さな醤油屋に、大学を卒業して、自然に仕方なしに入れられたというわけです。

従業員が6名しかいない醤油屋で、ましてやその当時、福岡県に醤油屋は150社あった。今でも実は107社もあるんです。ということは、1つの町に1社とか、多いところでは2社あるわけです。そしてそれが、ほとんどが宅配です。1軒1軒家を訪ねて、醤油を補充するわけですよ。配置薬みたいな世界なんですね。それで何とか生計を立てるという形でした。しかも、元々醤油というのは、その当時はほとんどが家庭では煮つけなんですよね。ですから、たくさん使っていたんです。ところがだんだん醤油の需要が減ってくるということで、このビジネスモデルが成り立たなくなってきた。業界として右肩下がりで、全然将来性がないということで、会社を継ぎたくなかったという側面もありました。

とはいえ、後継者は基本的に私と姉しかいませんし、もう姉は嫁いでいました。そこで、父に強く言われて、長男でもあるし、仕方なく家業を継いだという流れなんですよ。もし弟か、ほかの誰かがいたら、一番に逃げ出しただろうと思います。とにかく、仕方なく家業を継がされたということです。

結局私が社長になったのは、父が亡くなったあとです。41歳の時でした。実際には、私が家業を継いだ時から、あとはお前に任せたということで、実質的には社長業みたいなことをやっていたのですが、信用がなかったので、社長にしてもらえなかった。たしか34歳の時に、もう代わろうと言ったことがあるのですが、お金のない人間は社長になれないと言われ、その時は社長になりませんでした。

そういう流れがありまして、父が死んでしまって、初めて本当の意味での社長業をしました。最初の仕事で一番印象的だったのが、銀行さんとのやりとりでした。最初はお祝いに来たのかと思ったのですが、実際は実印を押して、保証人にも印鑑を押してもらうという作業でした。それまではどちらかというと、イケイケでやっていましたが、初めて社長業の厳しさといいますか、責任の大きさが分かりました。要するに、下手をしたら全財産がなくなるのですから。 その時、社長にはなれない父が言っていた理由が初めて分かりました。ですから、まず本当に実印を押したということが、忘れもしない、最初の社長業でした。ただ、ほかの作業はもうやっていましたので、別に社長になって特別な何かをしたということはなかったと思います。

小さな会社でしたから、人事改革も何もないですよ。それより、私の右腕として働ける優秀な人間や、左腕になる友人や後輩をいかに連れてくるかということが重要でした。ですから、そういう目星をつけた人を口説いて、引っぱってくることが、実質的には最初の仕事でした。とはいっても、自分でさえ入りたくないと言っていた会社です。それを説得しなければいけないわけです。自分が進んで入りたい会社だったら分かるんですが、自分が入りたくない会社なのに、後輩たちを口説いて、「私と一緒に働いて、明るい将来を」なんていうことは、なかなか言えなかったわけです。そうするうちに、醤油からだんだん脱皮して、タレに入っていきまして、会社もだんだん成長してきた。そうなってから、やっと後輩たちも入社してきて、一緒にやるようになった。こうして、だんだんいい人材が集まるようになり、成長できたということです。ですから、何か特別に改革したという次元の話ではなくて、いかに思いを一つにしてくれるメンバーを誘うかが、私の何よりも大事な仕事でした。

醤油ではどう考えたって飯を食えないわけですから、それはもう学生時代からよく分かっていました。家庭の料理も間違いなく洋風化するわけですから。そうすると、醤油の需要はどんどん減っていく。これはもう明白でした。そこで、醤油を原料にタレをつくったらいいんじゃないか考えるようになりました。たまたま、私がまだ学生だった頃、タレや醤油を入れる小袋の充填機を導入したんです。その機械を私が、1、2カ月に1回ぐらいほとんど営業力がなかったので、売ることができなかったんですが、機械は遊んだままでした。そこで、この充填機を活用するためにも、なんとかタレをつくりたいということから、まず餃子のタレを業務用で売りだして、そこからタレ業界に参入し、おかげさまで醤油専業を脱皮することができました。当時はスーパーマーケットが普及し始めていました。それまでは、例えば餃子も家でつくるものだったんですよ。皮ぐらいは売っていましたが、中のミンチは家でやって、玉ねぎを入れて、自分でつくっていたんですね。当然、タレの酢醤油も自家製だったわけです。ところが、スーパーで餃子を売るようになると、そのパックに餃子のタレが入る。納豆にもタレが入る。ラーメンだったらラーメンスープが入る。そうやって、タレの需要が一気に伸びたのです。ということで、われわれはそこに参入して、後発だったんですが、だからこそ市場の発展に合わせて変化に対応し、チャレンジできたということなんですね。

社長プロフィール

President's profile
氏名 河邉 哲司
役職 代表取締役

応援メッセージ
この社長に直接提案