【ナレーター】
社会資本整備の担い手として経済発展の支えとなる建設産業。特にインフラ整備には欠かせない建設機械は、高い技術力と安全性から日本が世界で競争力を持つ産業の一つであり、その継続のため、メーカーはたゆまぬ技術革新を進めている。
そんな中、独自の研究開発によるクレーン車で国内トップクラスのシェアを持ち、国内外に建設機械を提供しているのが、株式会社加藤製作所だ。
「優秀な製品による社会への貢献」を経営理念とする同社は、ショベルやクレーン等の重機のほか、万能吸引車や道路清掃車等の環境機械も展開。
明治28年の創業以来、確かな技術力に裏打ちされたリーディングカンパニーとして、建機業界の幅広い分野で活躍している。
売上が3分の1以下に低迷するという危機的状況下で事業を引き継ぎ、見事立て直してシェア拡大を実現させた経営者が語る、V字回復の裏側と今後のビジョンとは。
【ナレーター】
学生時代から自身が跡を継ぐことを認識していたと語る加藤。しかし、父親からは継がなくてもいいと言われ、それが今でも強く印象に残っているという。
【加藤】
自分が社長になり、子どももいるという状況で考えると、その時言った言葉がよくわかるんですよ。経営が好きでもないのに、こんな苦しい思いを自分の子どもにさせるのはどうなのかというような思いがね。
どうしても会社というのは浮き沈みがありますし、経済の状況によって大きく変わっていくし、突拍子もない事件が起きるなど色々なことがあります。やはり社長とはいえ一人の人間なので、同じように苦しいと感じるときもあるわけです。
そんな時に、「ああ、あの時はこんなふうに弱気になっていたのだな」と。だから無理するなよ、無理して継いでもらうことはないよと、そういう気持ちで父は言ったのだなと後で理解できました。
【ナレーター】
大学卒業後、バブルの崩壊が始まった1991年に加藤製作所へ入社。当時の会社の状況について、加藤はこう振り返る。
【加藤】
一番印象に残ったのは、1年間何もすることがなくて、自分で会社の中を見て回ったことです。その間に、色々な部署に行って話を聞いて、会社の良い点悪い点、そういうことを自分なりに考える時間になりました。
暇すぎるほど暇な時間を過ごして、それはいいことか悪いことかは置いておいて、そういう時間があったというのが今の自分に生きてるのかなと思いますね。
【ナレーター】
会社の内情について理解を深めるにつれ、このままではいけないと危機感を持った加藤は、自分が会社を良くしていこうと仕事に打ち込み続け、管理職を経て、資材調達の本部長や設計の技術本部長を歴任。
その中で、思い入れが深いと語ったのが、中国工場の立ち上げだ。知られざるプロジェクトの裏側に迫った。
【加藤】
最初は非常に反対されました。しかし中国は当時宴会が盛んで、時には倒れるまでお酒を飲むこともありました。
そういう営業活動をして、やはりここで中国に工場をつくらないとこれから先やっていけないだろうということで、箝口令を敷いて、水面下である程度進めていきました。
なんとか形ができてこうなりますよと見通しが立つと、全体像が見えるので意外と安心してもらえます。それが見えない時は、そんなものは駄目だとか、会社を潰す気かとか、本当に色々なことを言われました。その後はうまくいったので、懐かしいと言えば懐かしいんですけどね。
何とか頑張れたのでよかったなと思いますし、本当に感無量というか、最初の一台がラインアウトしたときは、涙がダーっと出てきてしまって。一緒に苦労してきた人は「それは出ますよね」と言ってくれましたけど、感動しましたよね。
【ナレーター】
プロジェクトを成功させ安堵した加藤だったが、その後、加藤製作所に戦後最大の危機が訪れる。
【加藤】
1,000億円以上あった売り上げが300億を切ってしまったんですね。結局2回リストラをして社員も半分程になってしまったという状況もありました。
とにかく先代が体調を崩してしまって、寝たきりではないですが会社に来ても起きていられない。十分に経営ができない状況になりまして、自分ができないからお前が社長をやってくれないかと、急遽先代に言われました。
受けるからにはなんとかしていこうと思いました。ある程度自分も一緒にやっていますから、悪いところもわかっていますし、いいところもわかります。
やはりいいところを伸ばしていくしかないし、悪いところはなるべく消していくしかありません。どん底なので後は上るしかない、とにかくやってやるという気持ちでスタートした感じですね。
【ナレーター】
先代の父の想いを受け継ぎ、代表取締役社長へ就任した加藤。危機を乗り越えるために講じた一手とは。
【加藤】
製品のラインナップを充実させること。それがまず大前提にありました。営業をまた活性化させるために、目標設定理論を使って進めたのが成功につながったと思います。
そこから約8年間かかりましたが、万年2位、シェア30%程から、ほぼ50%に近づけ、シェアトップというところまで何とかこぎつけることができたことが、何とかやったな、良かったなと思っています。
【ナレーター】
シェアトップへ上り詰められた要因について、目標をキーワードに挙げた加藤。その理由について次のように語る。
【加藤】
3つ目標を掲げました。簡単に達成できる目標、そこそこ頑張らないと達成できない目標、かなり頑張らないと達成できない目標の3つです。
ライバルメーカーに勝つという、一番わかりやすい目標を大前提としてドンと掲げて、とにかくそのために何をしたらいいのかをはっきりさせていくと色々なものが見えてきますし、皆のベクトルが一つになる状況が生まれたのではないでしょうか。だから達成できたのだと思います。
経営者プロフィール
氏名 | 加藤 公康 |
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役職 | 代表取締役社長 |
生年月日 | 1968年8月25日 |
出身地 | 東京都 |
座右の銘 | 次なるステージに進化する |
愛読書 | 経済雑誌全般 |
尊敬する人物 | 父(先代) |
1993年7月 監査役室長
1996年8月 技術本部長
1997年6月 取締役技術本部長・資材本部長
2001年6月 取締役・常務執行役員経営企画担当
2004年6月 代表取締役社長
会社概要
社名 | 株式会社 加藤製作所 |
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本社所在地 | 東京都 品川区東大井 1-9-37 |
設立 | 1935 |
業種分類 | 機械器具製造業 |
代表者名 |
加藤 公康
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従業員数 | 767名(連結990名)2024年3月31日現在 |
WEBサイト | http://www.kato-works.co.jp/ |
事業概要 | 建設用クレーン、油圧ショベル等及びその他の製品の製造ならびに販売 |