株式会社巴川製紙所 大赤字からの再起。老舗製紙メーカー5代目社長が語る挫折を成長へ変化させるヒント 株式会社巴川製紙所 代表取締役社長 井上 善雄  (2021年12月取材)

インタビュー内容

【ナレーター】
創業100年を超える老舗製紙メーカー「株式会社巴川製紙所」。

20世紀初頭に電気絶縁紙の初の国産化に成功し、以来「紙」だけにとらわれないエレクトロニクス分野を中心に「高機能性材料メーカー」として成長。

世の中にないモノをつくる“TOMOEGAWAマインド”は世界的にも評価を受け、トナー専業メーカーとしては世界トップクラスのシェアを誇る。

近年では、『iCas®』や『GREEN CHIP®』などのオリジナルブランドを中心に、DXやSDGsといった世界の潮流を支える領域においても、積極的に商品を展開している。

多くの危機を乗り越えた経営者が語る、挫折を成長に変化させるヒントとは。

【ナレーター】
電気と化学、双方に精通していることがビジネスモデルの特徴と語る井上。成長戦略について、アメリカの例を引き合いに、井上は次のように語る。

【井上】
ゴールドラッシュで金を掘り当て大企業をつくった、という例はあまり聞いたことがありませんでした。

逆に長続きして大企業となったのは、金を掘りに行く人たちのために交通手段を、後の鉄道となる駅馬車を提供した人の会社や、アメリカの有名なジーンズメーカーです。

「DXのジーンズメーカー」になるというのが当社の成長戦略だと思っています。強みである「熱」「電気」「電磁波」などの化学の力を使って、いわゆるレッドオーシャンではなくてブルーオーシャンで勝負していこうというのが当社の考え方です。

【ナレーター】
大学卒業後、銀行へ入行し、3年目にシンガポール支店へ赴任した井上。当時、現地から見た日本の印象について次のように語る。

【井上】
「日本を見習おう」という政策で、日本の真似をしてアジアは発展するというような時代だったため、日本人は尊敬されていて、そういう意味では居心地が良かったですね。当時は一部の日本人が「アメリカから学ぶものはない」みたいに言っていたくらいで、勢いがありました。

【ナレーター】
1993年末に帰国した井上は、主に融資関連の業務に従事。順風満帆の日々を過ごしていたが、1998年、33歳の時に父親からのある衝撃的な一言を受け、井上の運命は大きく変わる。

【井上】
ある日、父がいきなり勤めている銀行に来まして。「余命8カ月と言われた」と。当時、弟たちはまだ学生でした。「当社に入社しないのであれば、大手の傘下に入り、経営は諦める」と父に言われましてね。

銀行員でしたから財務分析をしたのですが、「この会社は何かおかしいぞ」と。「借金がこんなにあるのに、その借金の7割ぐらい現預金で持っている。これを返したら、それだけでもずいぶん経常利益よくなるんじゃないか」と。

「これは何かおかしい。少しいじれば、すぐ株価は良くなるのではないか」と思いました。加えて、半年でも1年でも父と最後一緒に仕事がしたいと思い、33歳のときに銀行を退職することを決断し、当社に入社しました。

【ナレーター】
入社当時の仕事について、ある程度成果が出ていたが課題もあったと井上は振り返る。

【井上】
「自分の分野はこの分野」という感じでやってきた方々が多かったので、よく私は「間にボールが落ちる」と言うのですが、この人の分野とこの人の分野の間にポコッとボールが落ちるようなことがありました。

私は部長として入社しましたが、遊軍的に社内を見て回り、仕組みの改善とキャッシュフローの管理を行ないました。そこにITバブルが重なって、2000年前後は非常に業績を上げることができました。

【ナレーター】
そして2002年、代表取締役社長に就任。かねてから新製品が全く立ち上がっていなかったことに危機感を持っており、新製品の開発に着手した井上だったが、手痛い洗礼を受けることとなる。

【井上】
当社は世界で初めて湿式AGLR低反射フィルムを発明しました。それから、プラズマディスプレイ用の光学粘着というのでも非常に高いシェアをとりました。

「テレビの市場は伸びるに決まっている。このテレビで、需要が減っている製品を全て補って、なおかつ1000億規模の会社にしよう」と思いました。2年で約100億円という、当時の会社の規模にしては大きな設備投資をしました。

しかし、本当に悔やんでも悔やみきれないのですが、地デジ化が加速した途端に製品が売れなくなったんですね。1平米あたり約2,000円だったフィルムも、瞬く間に500円を切るようになってしまいました。

テレビ関係の事業縮小、ジョイントベンチャーとして切り離すなどしてコストを削り、なんとか赤字を解消しました。

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経営者プロフィール

氏名 井上 善雄
役職 代表取締役社長
生年月日 1964年11月8日
出身地 東京都
座右の銘 人の行く道の裏に道あり
愛読書 宮城谷昌光氏の中国歴史小説
尊敬する人物 西郷隆盛
略歴
1987年 3月  慶應義塾大学経済学部 卒業
1987年 4月  株式会社日本興業銀行 入社
1998年 3月  株式会社巴川製紙所 入社
1999年 6月  株式会社巴川製紙所 取締役
2000年 3月  株式会社巴川製紙所 常務取締役
2002年 6月 株式会社巴川製紙所 代表取締役社長(現任)

会社概要

社名 株式会社巴川製紙所
本社所在地 東京都中央区京橋二丁目1番3号 京橋トラストタワー 7階
設立 1917
業種分類 パルプ・紙
代表者名 井上 善雄
従業員数 連結1,285名、単体380名(2023/3/31現在)
WEBサイト https://www.tomoegawa.co.jp/
事業概要 ・紙、不織布およびパルプならびにこれらと他の材料との複合物の製造、加工、輸出入販売 ・プラスチックスおよびこれと他の材料の複合物の製造、加工、輸出入ならびに販売 ・電子写真用現像剤、複写、印刷、記録用材料の 製造、加工、輸出入ならびに販売 ・電子機器用部分品、電磁機器用部分品、通信機器用部分品および電池用部分品の製造、加工、 輸出入ならびに販売 ・磁気記録カード・テープおよび集積回路内蔵 情報記録カード等の製造、加工、輸出入ならびに販売 ・上記製品類の原材料の輸出入ならびに売買
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