【ナレーター】
予期しない形で現在の事業である再生可能エネルギーと邂逅した眞邉。その中で起こったのが2011年の東日本大震災だった。
世界を揺るがしたこの出来事は、眞邉自身にとっても人生を変える大きな転機になったという。
【眞邉】
大変なことが起きている、相当な被害だろうと思いました。
次の日にメールを開けたら、アメリカの再生可能エネルギーのビジネスパートナーの方から、被災地の人たちは困っていると思うから、太陽光で稼働する沼や川、あとは海の水を浄化する機械があるので、それをプレゼントしたいと連絡がありました。
いろいろな方にお手伝いいただいて、最終的には宮城県の女川町、岩手県の大船渡市が受け取ってくれるということで。
約1カ月かかったんですけども、自治体へのご挨拶と、結局2台設置することになったのでどの場所に設置するか、話をするために、2011年4月末に被災地にみんなで行くことになりました。
そこが私の人生を変えるきっかけになったんですよね。
お金儲けではない形で自分の人生を使ってもよいのではないかなということと、再生可能エネルギーのプロジェクトをこの東北でやれば、復興のお手伝いになるのではないかと思ったんですよね。
そこで私が20年前にやった“証券化”が活きてくるんです。
証券化のマーケットは実はリーマン・ショックで一度終わったんですけれども、また同じことが、この再生可能エネルギーのマーケットでスタートすると私は確信していたので。自分がそういうお手伝いができるのではないかと、そう感じました。
ですので、起業するというよりは、自分が再生可能エネルギーを通じて復興のお手伝いをし、それを機に再生可能エネルギーのビジネスを広げていきたいと。要するに自分で考えたことを続けたい。それだけですね。
【ナレーター】
そして2012年にリニューアブル・ジャパンを設立。
太陽光を始めとした再生可能エネルギーのデベロッパーとして成長を続け、2021年12月に本邦初のグリーンIPOとして、東証マザーズへと上場を果たした。眞邉が見据えている今後の展望とは。
【眞邉】
国が再生可能エネルギーを広げていく。そして、カーボンニュートラルを実現するという野心的な目標を持っています。
日本という国は他の国に比べて、ついこの間まではエネルギー源の80%は化石燃料だったんです。こんな国はないんですね。
これをとにかくCOP26などで減らしていきますとか、あとは国でも2021年10月にエネルギー基本計画というのを発表して、再生可能エネルギーをあと8年で1.5倍に広げるということを言っていますと。
ただ、今までもそれなりの電源、50~60GWぐらいのものを太陽光だけでもつくっているんですね。
これをどうやってつくるかというと国民負担なんです。“再エネ賦課金”って聞いたことありますか?実は払っているんですよ。
ですから国民負担を減らしながら、もしくは将来的には無くしながら、当社がマーケットのリーダー、先駆者として新しいスキームやモノをつくって、電源を増やすということをやっていくことが必要だと思っています。
当社が事業を大きくする=カーボンニュートラルに一歩近づけると、そう思っています。
【ナレーター】
事業を推進していく上で眞邉が大切にしている考え方とは。
【眞邉】
リスペクト・チームワーク・ロイヤリティです。
リスペクトですが、当社にとっては業者という言葉がないと私は思っているんです。事業パートナーですと。
金融機関が来て、事業所、発電所をつくっていらっしゃる方が与信を取っていただいて。お金を払う立場であるんですけども、そんな会社の事業はできませんよというところからスタートしているわけですよ。
ですから、多少私どもの信用力が上がったからといっても、事業を皆様と一緒にやらせていただいているということを忘れてはいけないと思っているんで。
ロイヤリティは別に会社に対してだけではなくて、仕事に対してのロイヤリティのほうが大きいと思います。
そして冒頭に申し上げた、イノベーションですね。こういうものというのを私は大切だと思っていまして。
ですので、そういった、弊社の持っているバリュー。そして、先ほど言った3つのミッション。こういったものに共感していただいて、そして先程言った私どものゴールですね。日本の再生可能エネルギーを増やしていくんだと。
そういったゴールを見て、一緒に感じていただけるような方とビジネスをしたいですし、働きたいなと思っています。
-大切にしている言葉-
【眞邉】
「一念通天」。念じると天に通じるという意味ですけれど、要は意志あるところに道ありと。
有言実行とかいう言葉かもしれませんけれども、自分で信じたことは必ず成し遂げるということだと思っています。