マザーズ上場企業COOは、退社寸前からキャリアアップを実現。その独自の仕事観に迫る ~地盤ネットホールディングス株式会社 取締役COO 兼 副社長 兼 事業統括本部長 野村政博~

地震の多い日本では、地震のリスクを最小限に抑えるため、建造物を建てる際に地盤の状況を確認し、必要に応じて改良工事を行うケースが多い。そうした地盤の調査を請け負う地盤ネットホールディングス株式会社の野村政博氏は、現在、同社取締役COO兼副社長兼事業統括本部長として、山本社長からも厚い信頼を得ている存在だ。「ぜひ、来てほしい」という山本社長の言葉とともに、同社に入社した野村氏。周囲が認める野村氏のビジネスパーソンとしての手腕は、いかにして磨かれたのだろうか―。

4年間で会社の売上高を約5倍伸ばした方法とは

―前職でのご経験や山本社長との出会いについてお聞かせください。

野村 政博:
私は国立福井高等専門学校を卒業後、トーヨーサッシ株式会社(後のトステム株式会社。現:株式会社LIXIL)に入社し、LIXILグループの他企業への赴任期間を合わせると、35年間をこの企業で過ごしました。最初に配属されたのは、三重県の工場です。それ以降、工場の立ち上げだけではなく、業績不振の工場の経営改善を担ってまいりました。その成果が認められて、2004年には、株式会社LIXILグループの1つで、地盤の調査を行うジャパンホームシールド株式会社の業績をさらに伸ばすため、代表取締役として同社に赴任しました。その当時の営業課長が、弊社の社長である山本です。その後、営業部長となった山本社長とともに、半年間で取り扱い案件を倍増させました。最終的には4年間で売上高を5倍近く引き上げることに成功しました。数年後、2008年に地盤ネットホールディングスを設立した山本社長から連絡をもらい、同社に入社したという経緯です。

―ジャパンホームシールドでは、どのような方法で改革をされていったのでしょうか?

野村 政博:
それまで携わってきた工場の経営改革は、赤字からのスタートでしたので、従業員たちもそれなりに危機感を持っていました。ですので、打てば響く状況ではあったのです。しかし、ジャパンホームシールドの業績は黒字でした。それをさらに上げるということの必要性を説くことに苦労しましたね。一番重要なのは『率先垂範』です。自ら動いてみせることで、部下たちがついてきてくれます。そして、経理関係のスタッフたちに工場での研修を実施し、システムを学んでもらいました。山本社長も、それまでの上司とは全くタイプが異なる私のような者が代表取締役となり、「面白い人が来た。絶対この会社は変わる」と思ってくれたそうです。その後、調査だけではなく、工事までも請け負うワンストップサービスを展開しました。さらに、山本社長を工事部長に任命し、受注案件の数字を全て見える化したことで無駄な工事を行わないようにし、効率化を進めることができたのです。

チャンスに気付く“感性”を持つ

―社会人として前職の会社にご入社されたとき、どのような心構えでお仕事をされていたのでしょうか?

野村 政博:
私は高専卒だったので、どうしてもキャリアの面では出遅れてしまいます。そんなとき、私の上司が「野村、お前のチャンスは少ないかもしれない。でも、お前の感性を研ぎ澄まして、そのチャンスの瞬間を掴むことができるかどうかで、変わるんだ」と説いてくれました。その後、とある大きなクレームが入ったときに行った説明で、会長の目に留まり、名前を憶えてもらうことができました。また、その直後に行われたインダストリアルエンジニアリングのテストで1位を獲得してからは、どんどん新たな仕事を任せてもらえるようになりました。

―チャンスに気付く感性を持ち、そのための努力を欠かさないということですね。その後、工場長にご就任され、業務改善を行われたと伺っております。当時はどのような状況だったのでしょうか?

野村 政博:
私が初めて工場長になったトステム前橋株式会社粕川工場は、全国にあるトステムの工場の中でコストの面でも納期の面でもワーストでした。立ち上げた工場長がほどなく退職し、300人の従業員をまとめるのに、役職者も少ない。そんな状況を立て直すべく、私が赴任しました。工場長という立場でしたが、自分が動かなければ何も始まりません。朝7時くらいに真っ先に出社して、ラインを確認して回り、以前から学んでいたトヨタ生産方式などを取り入れ、少しずつ改善をしていきました。しかし、月に1度の工場長会議では、「なぜこんなに業績が悪いんだ」「一体どうするつもりだ」と問い詰められるばかりで、赴任当初は「何とかします」と繰り返すことしかできませんでした。正直、精神的にも非常にしんどい時期でしたね。ただ、確実に業績は改善していったのです。一番低かった数字が、会議のたびに上がっていくのを見て、会長らも含め「これはすごい。予想していなかった」と驚いていました。そうして、約1年をかけて、立て直すことができたのです。

工場火災からの再起

―今までで一番辛かった出来事は何でしょうか?

野村 政博:
粕川工場がやっと持ち直してきた矢先の出来事です。日曜日の深夜、私は単身赴任先から自宅に戻って就寝中だったのですが、そこに工場の従業員から1本の電話がかかってきました。「工場が燃えている」という報せだったのです。夜中の0時過ぎに爆発が起きたとのことでした。消防車は爆発直後に駆け付け、消火活動にあたってくれていました。そして、村長さんまでもが、「野村さんの工場が燃えている。一刻も早く助けるんだ」と深夜にも関わらず現場に来てくださいました。私が到着したときには、従業員たちはひどく落ち込んでいました。私は従業員たちに「おい、みんな、何弁当が食べたい?コンビニには少ししか種類が残ってないけど、好きな種類を言ってくれ」と言いました。従業員たちは、私に叱られるのではないかと思っていたそうです。意外な言葉に驚いた表情を見せた後、みんな、泣きながら弁当を選びました。

早朝、建設会社の社員が来てくれて、二次災害を防止するために工場をブルーシートで覆ってくれました。「みなさん、一睡もしていないでしょうから、作業が終わるまで休んでいてください」と言ってくださったその心遣いには、非常に感謝しましたね。その後、私は社長や専務に連絡をしたのですが、誰もが、そして私自身も、「野村は終わった」と思っていました。ところが次の日、会長から電話が入り「野村君、よく頑張ったね。村長からもすごい信頼されているじゃないか。これは本社の責任だ。とりあえず、報告に来なさい」と言われたんです。

私は責任を取って退職するつもりで本社に向かい、役員の方々に説明をしました。すると会長が「管理項目があまりにも多く、負担になっていた。これは明らかに本社の設計ミスだ」と言うのです。結局、工場の損害も保険で賄うことができ、さらには機械も新しくしたことで生産性が非常に良くなりました。成績もどんどん上がり、最終的には「君にはもっと大きな工場に行ってもらう」ということで、1000人ほどの従業員がいる岩手の工場へと赴任することとなりました。

「有言実現」を続けていく

―経営不振に陥っている工場の再建や、大きな事故など、厳しい局面をいくつも乗り越えてきた野村様ですが、お仕事をする上で、心掛けていることはどのようなことでしょうか?

野村 政博:
「有言実現」です。通常は「有言実行」というのですが、私の場合は「実行」ではなくて「実現」です。「実行」ですと「実行したけどうまく行かなかった」とか「環境が変わったから」など、場合によっては言い訳を伴ってしまうかもしれません。私が昔、トヨタの研修を受けたときに「ある方法に対して、できない方法は33言える。だけど、トヨタではやる方法を言う。できない理由は聞きたくない」という言葉を聞きました。20代半ばくらいから、ずっとこういう気持ちを持ち続けてきましたので、「提案したら実現しなくてはいけない」という思いで、長年、仕事に向き合っています。

活気あふれる社員たちからの刺激

―御社にご入社され、どのような印象を受けましたか?

野村 政博:
私が入社したのは上場する少し前のタイミングだったのですが、若い社員たちの目がみんな輝いていると思いました。事前に私の経歴などについて紹介がされていたようで、私からスキルを「盗もう」「聞き出そう」という気概があり、「これから非常に伸びる会社だ」と感じました。LIXILグループにいたときも、たくさんの社員たちを預かってきましたが、やはり目の前にいて成長を実感できるというのは、私にとっても非常に刺激になります。率先垂範でやっていかなくてはと、改めて身が引き締まる思いですね。

―今後の目標についてお聞かせいただけますか?

野村 政博:
弊社では今、社内システムを整備して、社員たちの業務の効率化を図ろうとしています。山本社長のそうした方針は素晴らしいと思います。生産性もあがりますし、社員1人1人のモチベーションアップにもつながります。会社を成長させるためには、人と会社のバランスが大切です。どちらか一方が弱くなっても、支えてはいけません。今後は、会社の軸となる人材を育てていくことに力を入れていきたいと思っています。

編集後記

どんな状況でも、使命感を持ってミッションを必ずやり遂げてきた野村氏。1度きりの成功に留まらず、常に努力をし続ける姿勢こそ、厳しい状況を打破する秘訣であり、野村氏の信頼の礎になっているのだと感じた。

野村 政博(のむら・まさひろ)/1956年9月生まれ。国立福井高等専門学校卒。
1977年、トーヨーサッシ株式会社(現:LIXIL株式会社)入社。1998年、トステム前橋株式会社粕川工場取締役工場長に就任し、業績不振に陥っていた同工場を立て直した。2001年、トステム一関株式会社取締役工場長に就任。2004年、ジャパンホームシールド株式会社代表取締役に就任し、同社の業績向上に貢献。2012年、一般社団法人地盤安心住宅整備支援機構代表理事に就任。2013年、地盤ネットホールディングス株式会社取締役COO就任。その後、同社取締役COO兼事業統括本部長を経て、地盤ネット株式会社取締役事業統括本部長に就任。2015年、地盤ネット株式会社取締役COO兼副社長兼事業統括本部長(現任)、及び、地盤ネットホールディングス株式会社取締役COO兼副社長兼事業統括本部長(現任)に就任。座右の銘は「有言実現」、「ローマは1日にしてならず」、「温故知新」。

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