医薬分業が進み、薬剤師に求められる役割は、今や、調剤から患者の健康サポートまで、多岐にわたっている。2016年に創業した株式会社カケハシ(以下「KAKEHASHI」)は 、薬歴記入の簡易化や、患者への適切な指導をサポートするシステム『Musubi(ムスビ)』を開発。医療と患者をつなぐ“架け橋”として、今、注目を集めるベンチャー企業だ。
共同創業者であり、取締役COOの中川貴史氏は、東京大学法学部卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに就職。製造・ハイテク産業分野における様々なプロジェクトで成功を収めた。その後、シカゴオフィスでの勤務を経て、マッキンゼーを退職。代表取締役CEOの中尾氏と共にKAKEHASHIを立ち上げたのだった。
中川氏を起業へと駆り立てたものは何だったのか。同社のビジョンや求める人物像、そして、中川氏が考える「働く」ことの本質に迫る。
不景気による閉塞感を打ち破るために
―学生時代に既にいくつか事業を運営していたと伺っております。起業しようと思われた理由は何でしょうか?
中川 貴史:
私の世代は、バブル崩壊後から続く停滞感の中で育ちました。私が学生で起業をした当時も、ちょうどリーマン・ショックのすぐ後で、景気も良くはありませんでした。
一方で、年功序列や大企業に永久就職するのが良いとされる価値観が崩れ去ろうとしているタイミングでもあり、私自身、そういう閉塞感をベンチャー企業で打ち破っていかなければならないと感じていました。当時は教育系の事業や、音楽を聴くアプリケーションの開発など、色々なベンチャーを立ち上げていました。やってみると楽しくて、どんどんのめり込んでいきましたね。
従業員が輝ける職場をつくる重要性を感じたプロジェクト
―マッキンゼーで印象に残っているプロジェクトはありますか?
中川 貴史:
とある溶接工場の生産性を向上させるというプロジェクトが非常に印象に残っています。
コンサルタントというと、パリッとしたスーツでプレゼンテーションをしているようなイメージがあるかもしれませんが、私はどちらかというと、現場に深く入って、そこで働いている人の気持ちやモチベーション、どういう想いでそこにいるのかということを感じ取った上で、深い部分にある課題を解決し、それを仕組みづくりにつなげることを大切にしています。その現場でも、まずはやってみないとわからないことがあると思い、溶接体験もさせていただきました。
その企業は従業員が数万人単位の大企業でしたが 、そのくらいの大きさになると、現場の方が経営陣と会う機会はほとんどありません。そこで我々は、現場の人たちが頑張っている姿をトップの方に見ていただいたり、現場の人たちに改善アイデアを出してもらったりするという運動を始めました。まさに、今まで陰に隠れていた方々が輝くような場をつくったんですね。
すると、現場の方のモチベーションが非常に高まって、生産性が2倍に跳ね上がったんです。機械化や仕組み化も大切かもしれませんが、それ以上に、中にいる人たちがいかに自分の仕事に対して誇りを持てるかということ、そして、そこに対する会社の姿勢が重要なのではないかと感じたプロジェクトでした。
―そのお考えは今の御社にも通じるものがありますね。
中川 貴史:
そうですね。KAKEHASHIを創業したタイミングでも、実は最初に、400軒もの薬局を中尾と私の2人で回りました。
現場を深く見て、そこで働く人たちの考えや想い、日々どういう生活をしているかを知りたかったのです。「土日に何をしていますか?」とか「最近の悩みは何ですか?」ということまで聞いて、薬剤師の方たちがどういうことを考えているのだろうと、深く深く掘り下げていったんですね。そういった現場感があってこそ、薬剤師の方にとって良いサービスができるのかなと思っています。
チャレンジができる環境にある人間こそ“起業”すべき
―マッキンゼーを退職し、再び起業に至った経緯をお教えいただけますか?
中川 貴史:
そろそろ退職して、起業をしたいと思っているタイミングで中尾と出会いました。やはりもう一度、起業にチャレンジしたいという想いがありましたし、私のような者が起業をして社会を良くしていく義務があるんじゃないかと考えていたんです。
ある意味、失敗してもどこか拾ってもらえるだろうと思っていましたし、独身でもありましたし、お金も私にとってはそれほど重要な要素ではありませんでした。ネットワークも、事業に関する知見もありました。チャレンジできる環境がある人間こそ、立ち上がって、社会をより良くしていく義務があると思っていたんです。
―中尾社長と共にいこうと思われた決め手は何だったのでしょうか?
中川 貴史:
いくつか理由があるのですが、1つ目は、目指しているところが同じだったということです。
中尾も私も、目の前のお金や成功、栄誉といったことにはあまり興味がない。それよりも、自分たちを通して、いかに日本の課題を大きなスケールで解いていけるかということが全てだという考えでした。それともう1つは、純粋に人柄が良かったから。素直に「いいやつ」と言えるのがすごく大事かなと思います。