日本最大級の電子コミック配信サービス『まんが王国』を運営する株式会社ビーグリーは、魅力的なコンテンツやサービスを武器に、電子コミック業界においてその存在感を際立たせている。そんな同社の成長曲線を更に引き上げるべく、『社長の右腕』として2017年12月に入社したのが、プロダクトサービス部・営業企画部執行役員の山田 浩平氏だ。入社後、わずか数ヶ月たらずで大胆な改革を成功させた山田氏。その類まれなビジネスパーソンとしての能力が培われた背景に迫る。
密な人間関係の中で磨いたコミュニケーション能力
―どのような学生時代をお過ごしになられたのでしょうか?
山田 浩平:
大学ではスキー部に所属し、12月中旬から4月までスキー場の宿舎に泊まり込んで、インストラクターなどのアルバイトをしながら練習をしていました。色々な仲間と濃密な時間を過ごすことで、人間関係には非常に恵まれたと思います。経営学部でしたので、当時からマーケティング系の仕事やIT業界には関心がありました。ただ、大学4年生の時には、「海外で仕事をしたい」、「日本の技術で発展途上国のインフラ整備を行いたい」という気持ちの方が強かったので、それなら商社に行くのが良いだろうと思い、就職活動は商社に絞っていました。
大手商社の内定を蹴って入社を決めたリクルートの魅力
―新卒でリクルートにご入社されたと伺っております。その経緯についてお教えください。
山田 浩平:
当時のリクルートは、関西の学生たちの間では「せいぜい求人の会社だろう」くらいの印象しか持たれておらず、知名度もありませんでした。ただ、リクルートが就活生の内定を出すタイミング等を確認したいのであろうタイミングでで、私は、就職活動の空き時間に梅田にあるリクルートのオフィスにふらっと立ち寄って、人事の人と情報交換をしていました。そんな中、大手商社から内定を頂いたので報告に行ったのですが、その日の晩、飲みに連れていかれまして、そこでリクルートについて説明を受けたんです。先輩社員の話を聞くうちに「面白そうだ」と思い、「わかりました。お世話になります」と、その場で入社を決めてしまいました。
―当初希望されていた大手商社に内定後、そこを断ってまでリクルートに入社したいと思った要因は何だったのでしょうか?
山田 浩平:
一番は「人」ですね。私が惹かれたのは、お会いした人が全員、等身大で自分の話や会社の話、お客さんの話をしてくれたというところです。大学時代の仲間と同じ感覚でした。「ここで一緒に仕事をすると、心地良いだろう」と感じたんです。また、社員の方から「一生懸命仕事をしている」というオーラが出ていました。体育会系の部活の中で学生時代を過ごし、自分は切磋琢磨していくことで成長するということがわかっていたので、こういう人たちに囲まれていた方が、社会で生き残るための能力が養われるだろうと思いました。
「成長は続かない」ことを肝に銘じた経験
―リクルートではどのようなお仕事に携わられたのでしょうか?
山田 浩平:
通信事業部門の営業職に配属された後、28歳の時にマーケティングマネージャーとして、パソコン活用誌【PC相談室】の立ち上げを行いました。当時は一家に一台パソコンが普及し、インターネットも身近になってきた時代でした。ただ、残念ながら2年弱でその事業がクローズすることになってしまったんです。それでも、立ち上げのプロセスやインキュベーションする難しさを知ることができました。そして何より“筋・タイミング”のようなものが大切だということを学べた点は、ビジネスパーソンとしての人生の中で、非常に大きな糧となっています。
―その後、オールアバウト(旧リクルート・アバウトドットコム・ジャパン)へ出向されていらっしゃいますが、同社ではどのようなご経験を積まれたのでしょうか?
山田 浩平:
同社では、広告営業部の部長を経て、モバイル事業部部長を務めました。ちょうどインターネット広告が盛り上がりを見せていた時でしたので、右肩上がりに倍々ゲームで業績が伸びていきました。
ですが、成長が3年ほど続いた後、新興のコミュニティサイトやCGMといったBlog,ゲームサイトの隆盛によって、広告の出稿先がどんどんそうした企業に奪われていってしまう事態が起こりました。ユーザー数も、広告売り上げも鈍化していく。過去の成功体験が直近であった中で急に潮目が変わったということもあり、非常に辛い時期でしたね。「伸びているのが当たり前」という思いで仕事をするか、「いずれ落ちる」という心構えで仕事するかで、落ちた時の結果は大きく変わると思います。そこでいくと、この経験も非常に良いものだったと思います。
新たな領域への挑戦に駆られ、ビーグリーに入社
―その後、一度起業をされたのち、マクロミルにご入社。そして、御社に転職されたとのことですが、起業や転職は何がきっかけだったのでしょうか?
山田 浩平:
30代後半になり、かねてから思い描いていた起業に挑戦したのですが、継続的な収入の不安定さは否めませんでした。そんな中、取引先から「うちに来ないか」というお声がけを頂くようになり、最終的に、自分にとってまだ体験したことのないビジネスであったネットリサーチを行うマクロミルに興味を抱き、入社を決めました。子会社の取締役としてある程度事業を軌道に乗せたところで、再度、新しいことをしてみたいと転職を考え、出会ったのがビーグリーです。
―ビーグリーにご入社を決意された理由についてお教えいただけますか?
山田 浩平:
コミック領域も音楽領域のように、配信収益がメジャーになっていきますので、今後の成長にも期待できましたし、事業について話を聞く中で、自分がジョインすることで大きく伸ばせる余地があると確信が持てました。ただ、一番の理由は代表の吉田と「一緒に仕事がしたい」と思えたからですね。面談を終えた後の会食で、年齢や職業観において共通点が多いことがわかり、共感を持ちました。ビジョンや成長戦略をお互い遠慮なく語り合えたのも嬉しかったですね。
―入社後、たった数ヶ月で『社長の右腕』として既に吉田社長と強い信頼関係を構築されていらっしゃいます。そうした関係性はどのようにして築かれたのでしょうか?
山田 浩平:
吉田とは定例ミーティング以外でもコミュニケーションを頻繁に取っています。週に一度は一緒に食事に行きますし、普段からよく話し合っています。吉田と私の視点は異なるので、そこは密に意見交換をするようにしていますね。それまで吉田は経営面だけではなく、事業面もしっかり見ていたので、私が進めようとしているプロジェクトについて「これもやってみたらどう?」と、時折、どうしても自分の思いを追加しようとしてくるんですが、そこは流すこともあります(笑)。私自身も、吉田が経営に専念してもらえるよう、早く安心させないといけないと思っています。『社長の右腕』というのは、自分にとって良いプレッシャーになっていますし、やりがいでもあります。そうしたポジションとしてビーグリーに入社しましたので、そこは期待以上の成果を出していきたいですね。
更なる成長に必要なのは“全ての摩擦を受け止める覚悟”
―現在、御社で挑戦されていることは何ですか?
山田 浩平:
成長させていく上で、社員が立ち返ることのできるようなビジョンフレーズを策定しました。それが『ココロ動かす まんが王国』です。今はこのフレーズを現場に浸透させている最中ですが、当社のブランドとして長く大切にしていきたいと思っています。
また、当社はECビジネスを行っているので、もともとデータドリブンの会社ではありました。ただ、あまりにも細かい係数まで注視していたので、リソースが分散していたんです。そこでBIツールを導入し、注視すべきデータを絞ることで、戦略、戦術を明確にしました。更に、今までは吉田が事業全体を見ながら経営を見るといった、1人2役をこなしていました。そのため、どうしてもトップダウン型になりやすかったのです。そうなると、必然的に社員の意識はカスタマーではなく、社内に向いてしまいます。ですので、自律分散型思考でスピード感を持ち、各部門でアイデアを具現化できるような組織づくりを行うことで、今、変化をもたらそうとしています。
―そうした改革に対して、社内からの反発が出てしまうこともあるかと思いますが、その点はどのようにお考えですか?
山田 浩平:
基本的に、何でもモノを動かす時には摩擦が起きるものです。特に大きく変えようとすれば、今までのやり方が否定されるような形になるので、反発を覚えるメンバーもいると思います。ですが、今よりも更に成長するためには、少々の軋轢があっても摩擦を起こす必要があると考えて外の人間を入れたのですから、私はそれを職責として担い、そうした摩擦も全て受け止めて緩衝材となる覚悟です。
―改革を推進した結果、現在、具体的にどのような成果が出ていますか?
山田 浩平:
例えば、広告投資の仕方も、今までは1人当たりの獲得単価で考えていましたが、そうではなく、お客様のライフタイムバリューを加味した投資の仕方を考えていきましょうと、見るべき指標を変え、それに合わせてオペレーションやパートナーさんも大きく変えました。その結果、獲得単価だけではなく、初回オーダー単価も改善しています。メンバーもそれまでとは異なるやり方に当初は戸惑いもあったかと思いますが、今はパフォーマンスが上がり、自信にも繋がっていると思います。
私は、失敗してもいいと思っているんです。そもそも、個人が失敗して会社が大打撃を受けるような人材配置や資金の使い方をしてはいません。ですので、やってだめなら次に違う方法を考えたり、もう少し工夫して改善したりすればいい。ですが、今と同じことを続けていても、3倍の成長は期待できないでしょう。次は、成功事例をどう上手に再現して、もっと大きくしていくかということが課題ですね。
3年以内に市場トップを取る
―会社として、そして個人として、それぞれの今後の展望についてお聞かせください。
山田 浩平:
当社としては、我々はまだこのマーケットでは2番手グループなので、ここで甘んじてはいけないと思っています。このマーケットでナンバーワンを3年以内に取ることが目標です。私個人としては、事業を通し、カスタマーに明日を楽しく生きていける勇気や安らぎ、癒しを与えられるようなサービスを提供することで、日本、世界を元気にしていけるような社会貢献をしたいと考えています。
―そのためにも、今、必要としているスキルなどはありますか?
山田 浩平:
新しいアイデアを生み出す能力は足りていないと感じています。ベンチャー企業というのは、スモールスタートでスピーディーに具現化していくことで、結果的にすごい成長を実現するサービスを持っています。そうしたエッセンスを当社にも取り入れたいですし、そういった会社とともに事業を行い、経験を積みたいと思っています。スポンジはふんだんに持っているつもりなので、これからも必要なスキルは吸収して血肉にしていきたいですね。
編集後記
社長に対しても忌憚無き意見を述べることで、企業の利益を第一優先にする山田氏の姿勢は、吉田社長にとって非常に頼もしい存在に違いないと感じた。山田氏の意思決定のスピード感と、実行力、そして、改革によって生じる摩擦を受け止める覚悟は、吉田社長を支え、ビーグリー社を更に飛躍させる一助となるだろう。
山田 浩平(やまだ・こうへい)/1972年2月20日生まれ。神戸大学経営学部卒。1994年、株式会社リクルートに入社し、通信事業部門の営業に配属。2000年、マーケティングマネージャー職として、PC活用誌 『ISIZE PC相談室』の創刊に携わる。その後、米国会社とのJV、株式会社オールアバウト(旧 株式会社リクルート・アバウトドットコム・ジャパン)へ出向。広告営業部部長、モバイル事業部長を経て、2010年、メディア・営業コンサルティング事業の株式会社ソウルサプライトを設立。2012年、株式会社マクロミルに入社。広告会社セクターのリサーチ事業部長、マーケティングプラットフォーム部長、子会社である株式会社エムプロモの取締役を歴任。一貫して、IT・メディア・マーケティング領域での仕事に関わり続け、2017年12月、株式会社ビーグリーに入社。プロダクトサービス部・営業企画部執行役員に就任。座右の銘は『無私の心、奴隷のように働き、王様のように遊べ』。愛読書は『はじまりの日』(岩崎書店)。趣味は、サーフィン、音楽鑑賞、愛娘と過ごすこと。