※本ページ内の情報は2023年11月時点のものです。

大規模自然災害が毎年のように起こっている災害大国日本。地震や台風、豪雨や土砂災害などのリスクに備え、国や各自治体は平常時から情報の収集と住民への発信、そして安全確保、インフラなどへの影響の極小化や復旧など、あらゆる対策に取り組んでいる。

その現場において電気通信設備の施工や保守を手掛けているのが、岸本無線工業だ。全国の国土交通省の拠点や都道府県、内閣府や総理官邸などの中央防災機関を結ぶ、水位や雨量、地震や道路などの防災に関する情報を伝送する多重無線設備。さらには、ダム放流時にサイレンやスピーカなどで地域住民や一般利用者等に事前に周知させる放流警報設備などのシステムで、災害時の適切な対応、安心した日々の暮らしに貢献している。

また航空保安施設においても、航空機へ方位情報を提供する超短波全方式無線標識や距離情報を無線装置で提供する距離測定装置などの施工で、飛行や着陸を援助。パイロットと管制官の交信や空港監視レーダーなどの対空通信及びレーダー施設の施工も行い、国土交通省や地方自治体などの官公庁からも熱い信頼を獲得している。

1956年に創業し60年以上もの間、私たちが安心した生活が送れるよう電気通信設備の施工保守を行っている岸本無線工業株式会社。長きに渡り安定して業績をあげている理由について代表取締役社長岸本氏にきいた。

社長就任は周年のタイミングではなく突然に

ーー岸本社長はどのタイミングで社長に就任されたのですか?

岸本健太:
入社して最初の5年は本社のある大阪で技術の仕事をしていました。その後、福岡にある支店に異動を命じられました。本社では主な取引先が官公庁で、ダムや河川の業務が中心なのですが、福岡支店は航空関係など本社とは異なる仕事が多かったので、修行のようでした。

福岡勤務を2年程経験した段階で本社に戻るよう言われ、そこからは取締役として取引先の営業を担当しました。父が社長をしていたので、いつかは社長になる日がくるものと思っていましたが、年齢的にも60周年の節目の年に変わるのかなと思っていましたが特にそのような話もなく、昨年突然命じられバタバタと就任する形になりました。

目指すは社員1人1人が経営者意識を持つ会社

ーー社長が目指している理想の会社像を聞かせてください

岸本健太:
1人1人が自分が経営者のつもりで働くような会社にしたいです。社長は私ですが、仮に私が倒れても周囲で助け合い、みんなが経営者として取り組める組織が理想です。そのために全員が同じ方向を向いて仕事に取り組んでいきたいです。

「なんとかせなあかん」の気持ちで一体となって災害・事故対応

ーーこれまでの経験で印象に残ったエピソードはありますか?

岸本健太:
地震や台風などの自然災害が起こると、災害支援や災害派遣として呼ばれることが多いのですが、迅速な対応が評価され、感謝状をいただきました。

2015年4月に広島空港で起きたアシアナ航空滑走路逸脱事故のときも現場に向かいました。破損した滑走路への進入コースの中心から左右のずれを示すLOC空中線を通常よりも極めて速いスピードで復旧したことは大変感謝されました。

人々の生活に直結するインフラに関わる業務を行っているからこそ、社会への貢献を実感しています。

ーーそのスピード感が生まれたのはなぜだと思いますか?

岸本健太:
復旧に関わる全ての方々の「なんとかせなあかん」という思いがひとつになり、一体化したんでしょうね。同じ方向を向いて進めることができたから実現したのだと思います。正直ものすごい激務でした。でも誰も嫌がることなく「やらなあかん」という目的をガッチリ持って災害復旧に取り組みました。終わってから大変だったなと共感し合い、それがまた結束を強くしたんです。

ーー結束感がある社内だと離職率が低いのではないでしょうか?

岸本健太:
その通りです。おかげさまで30年選手が多いんですよ。定着率がとても高く、そのために年齢が上の方の世代の社員が多いのですが、その居心地のよさが弊社の魅力だと思っています。

ーー社員と接するときに気にかけていることはありますか?

岸本健太:
私は立場を考え、タイプによって使い分けるようにしています。それは日頃の仕事の取り組み方でわかるので、本当にゆったりしていて「絶対にこれ言っとかな忘れる」ということは指摘しますが、ほっといてもやるタイプは黙って見守ります。

社長から言われるのってやっぱりストレートですよね。相手の立場になったらやっぱり社長から言われるのは身構えたり重みが違ったりすると思うので、叱るときなどは伝え方をよく考えるようにしています。

社長の役割は「人脈を作ること」である

ーー社長のあり方や経営についてなど日々どのように学びを得ているのですか?

岸本健太:
僕はいろいろな会社の社長に会うのが一番だと思っています。企業のトップに立つ人は、それぞれその人なりの考え方を持っていて、それを真似したり、共感したりしています。

本を読むことももちろん学びになると思いますが、私には「社長って人脈作ることも仕事だよ」と人に言われたことがストンと来て。それからは異業種であってもいろいろなセミナーや交流会に顔を出しています。

いろいろな人と繋がって情報を得ることも大事ですし、繋がっていることで必要とするときに助けてもらうこともできます。僕は社長という立場で多くの人と会って繋がり、学びと人脈を獲得することを大切にしています。

共に挑戦し、失敗する仲間でありたい

ーーもともと社長になりたかったのでしょうか。

岸本健太:
正直受け身です。小さい頃から社長の息子と周囲に言われて意識はしていましたが、就職のタイミングでどうしようかと思っていた時に父より「明日からうちの会社な」と言われて入社しました。しかし入社したからには周りの期待もあるので、腹をくくってやるしかないという思いで頑張っています。
ここまで会社を大きくしたいというより、周囲に求められて大きくなりました。60周年となり、今後も上を向きながら維持していきたいと思っています。そして社員一丸となって100周年を目指していきたいです。

ーー社長の信念をお聞かせください

岸本健太:
疑うことと信じることを同時にやります。その両者をして自分の中で落とし込んで納得すると進めます。疑うことから始め、とにかく自分が納得したら信じる。信じると決めたら信じ切ります。もちろん信じても間違うことはありますが。でも言い訳できるじゃないですか。めっちゃ疑ったし、めっちゃ信じたし、それで間違えたら仕方ないかと。

だから社員には「失敗してください」と思っています。失敗したことは肥やしになります。そして失敗したことを隠さないで欲しいです。100%成功なんて余計に心配になります。年を重ねるにつれプライドもでてきて失敗しにくいと思います。なので若いうちはどんどんチャレンジして失敗して欲しいなと思います。

編集後記

先代の頃から社内全体で「さん」づけで呼び合うという、決して偉そうにしない社風が象徴するように、岸本社長も穏やかで、ちょうどよい距離感をもって社員に接し、社員を信頼している。

私たちが安心して暮らせるよう、無線技術で自然災害や事故から守ってくれる縁の下の力持ち的存在の岸本無線工業。その安定の技術力は風通しがよいことで生まれる強い結束力があるからなのだ。

岸本健太(きしもと・けんた)/1982年大阪府生まれ。摂南大学電気工学科を卒業後、平成17年に岸本無線工業株式会社へ入社。本社及び福岡支店で経験を積み、令和4年9月に代表取締役に就任。