※本ページ内の情報は2024年1月時点のものです。

川上喜八郎氏は、「安全で丈夫で使い易い」をテーマに機械工具などの製造・販売・輸出入を手掛ける東邦工機株式会社、6代目の社長。数々の企業に勤務したことや、アメリカに渡って得たことが、現在のキャリアを築いた原体験だ。

中小企業の厳しい状況や、ビジネスの本質に対する深い洞察を示す川上氏の経営哲学を探るべく、その半生に迫る。

独自の道を切り開くべく別会社に就職

ーー最初から家業を継ぐことを目指されていたのですか。

川上喜八郎:
祖父が弊社を創業し、私ははや6代目になりますが、最初から社長になりたいと思っていたわけではなく、「長男として生まれたから、将来は社長になるんだろう」とうすうす考えていた程度でした。大学卒業後は、家業を継がずに三洋電機に就職しました。当時、コンピューター関連の仕事が将来有望だと思い、大きな企業で経験を積むことが重要だと考えたのです。

留学を通して得たかけがえのない経験

ーー海外留学について教えてください。

川上喜八郎:
東邦工機に入社を決意した時、英語の必要性を感じ海外留学を決意しました。
アメリカの言語学校に通い、アメリカ人の友達とのやり取りを通じて、コミュニケーションの大切さを学ぶことができました。この留学中の経験が、後の経営者としてのキャリアにも影響を与えていると思います。周りが違う言語を話すような逆境の中でも、コミュニケーションを取る努力をしたことは、私にとって多くの学びでした。

ーー帰国後はどうされたのですか。

川上喜八郎:
帰国後、東邦工機に入社しましたが、父との相性が悪く、結局退職してしまいました。就職活動をする中で、物事がうまく進まない状況や、自分の将来に対して危機感を覚え、再びアメリカに渡る決断をしたのです。

しかしこの時、わずか1年分の資金しかなく、2年制のシティカレッジを1年で修了する必要がありました。さらには入学資格を得る為の英語力も必要だったので、英語のプレスクールから始めカレッジ卒業までを1年以内に修了させなくてはなりませんでした。

即座に決めて入学してしまった分、勉強量が膨大になり、過酷な課題をこなすことになります。大変でしたが努力が実を結び、期間内にカレッジを修了することができ、1年間の就労ビザを取得することもできました。そこからシリコンバレーで就職を果たし、日系企業に勤務しながら、あらゆる経験を積み重ねました。

解雇をきっかけに帰国

ーーアメリカでの就職からどのように日本に戻り、現在の役職に就かれたのでしょうか。

川上喜八郎:
アメリカでの就職はビザの問題や、クライアントとのやりとりなど多くの苦労がありました。転換点はビザの申請で一度日本に帰国し、1年後にアメリカに戻ったときです。会社に戻ると、顧客の層が不安定になっていました。営業の担当者が代わり、それまで私が仲良くしていた会社とのつながりが断たれていました。その状況を改善すべく、もともと取引のあった企業との関係修復をしたり、営業活動を行ったりしましたが、関係修復できると担当をかえられ厳しい時期が続きました。仕事用のコンピューターの支給もなく、故障したコンピューターをもらってきて、それを修理したり自分で作ったりしながらしのいでいたら、ある日急に責任者が来て解雇を言い渡されました。営業はできるけど従順ではなかったので、まさに「目の上のたんこぶ」だったのでしょうね。

就労ビザを取得していた立場だったゆえ、日本に帰るという状況を受け入れざるを得ませんでした。泣く泣く今までお世話になった顧客にご挨拶をしにいきました。しかし、偶然訪れた会社での出会いが新たな展開をもたらしてくれたのです。日本の本社に電話するよう勧められ、面接を経てアイ・オー・データ機器のカスタマーサポートセンターに配属されることになりました。その後、同社の海外推進課に異動となりました。

海外推進課は大変忙しく、世界中の国々との交渉や文化の違いに苦労しました。フレックスタイムが許可されていたものの、時差や仕事の特性から実際には自由に働くことは難しく、体を壊すこともありました。ユニークな経験も多々ありましたが最終的にアイ・オー・データ機器を離れ、弊社からの声掛けで再び入社に至りました。

アメリカから日本に戻った後が一番苦労しましたが、同時にさまざまな経験を通して、楽しかったとも感じられます。私の素地となる部分は、アメリカでの経験によって培われたのでしょう。

問題点の原因を探り、効率よく改善策を見つける

ーー将来のビジョンをお教えください。

川上喜八郎:
「適応力」が最も重要だと私は考えています。予期せぬ出来事でビジョンが崩れたり、環境が変わったりしても、柔軟に対応する力があれば、前を見て進むことができる。落ち着いた状態で未来を見据えることができると思うのです。

よく私は、企業経営を「穴があいた船」に例え、「かき出す水と塞ぐ穴」の話をします。今やってるのは沈まない為に水をかき出す作業をしているのか、根本原因である穴を塞ぐ作業をしているのか。対処療法的な作業は必要であり効率よくしなければいけませんが、それに集中しすぎて穴を塞ぐのを疎かにしては、いつか船は沈んでしまいます。

工場のような外部との接触が少ない環境で働く人は、変化を嫌う傾向があります。通常業務では行わない穴を塞ぐ作業には大きな反発があります。しかし、決断し多少強引でも、強い信念のもと皆をけん引し、穴を塞ぎ、水をかき出す作業を減らし、強い推進力を持たなければいけないと思います。

編集後記

インタビューを通して、川上喜八郎氏の地道な努力と忍耐力に感銘を受けた。アメリカでの就労経験が川上氏をタフにし、冷静に現実を見極める判断力を身に付けるきっかけになったのではないだろうか。

リーマンショック以降、厳しい状況に置かれている中小企業だが、ビジョンの重要性よりも適応力が経営において不可欠だという川上氏。企業経営を「穴があいた船」に例え、水をかき出すだけでなく穴を塞ぐことがより重要であり、反発の力を見越した強力な変革力が必要だと説く。

川上氏によるビジネスの舵取りが、東邦工機株式会社をより大きくしていくに違いない。

川上喜八郎(かわかみ・きはちろう)/同志社大学商学部卒業後、三洋電機株式会社に入社。1992年に東邦工機株式会社の貿易部に入社し、95年には退職して渡米。Santa Barbara City Colledgeでマーケティングを専攻して卒業し、T-Zone Inc.、ミカサ商事株式会社、株式会社アイ・オーデータ機器を経て、2005年に再び東邦工機に入社。2010年に代表取締役に就任。