「音と映像のプレゼンテーター」として、音響・映像設備の販売と、コンサートをはじめとするイベントの音響・映像サービスを展開しているヒビノ株式会社。音と映像の融合から生み出された数多くの実績には、アーティストのみならず大手企業から官公庁までもが厚い信頼を寄せている。
ハチの巣状の構造体のような強靭な事業構造をつくりあげるべく「ハニカム型経営」を打ち出し、新たな領域へ挑戦している。
スタジオ等の音響設計で培ってきた独自の「音」のノウハウを、どのように活かすのか?同社代表取締役社長の日比野氏に、主力事業の歩みと今後の展望をうかがった。
音響機器をおもちゃ代わりにしていた幼少期
ーー家業であるヒビノ株式会社を継がれていますが、入社の経緯を教えてください。
日比野晃久:
幼少期から音楽や映像に触れる機会が多い環境で育ちました。実家の1階を会社、2階を自宅として使っていたので、当時、音響装置の製造をしていた父の仕事を間近で見ていました。レコードをいじったり、小学生の頃にはトム・ジョーンズの来日コンサートの裏側を見せてもらったりと、ワクワクすることの連続で、小さい頃から自然と「この仕事をやりたい」と思い続けていました。
父から実家の会社に入れと言われたことはありませんでしたが、大学4年生で時間を持て余していた私はアルバイトとして会社を手伝っていたため、そのままの流れでヒビノ電機音響株式会社(現ヒビノ株式会社)に入社しました。映像サービス事業を立ち上げ事業部長等を経験した後、2002年に社長に就任しました。
ーー入社後に苦労したエピソードをお聞かせください。
日比野晃久:
当時は新事業として映像の仕事を始めたばかりで多忙を極め、今の時代ではなかなか許されませんが、1年で休みは3日ほどしかありませんでした。ほぼ24時間働きづめでしたが、とにかく夢中になって楽しみながら仕事に没頭していました。
音響機器の販売とサービスを展開してきた弊社が新たに映像の仕事を始めるにあたって、「ライブでの高揚感を音と映像で伝えることで弊社の強みが活かせる」と思い、コンサート映像の事業を始めました。アーティストのコンサートでステージの中央にモニターを設置し、カメラで撮った映像をバックに流すコンサート映像演出を提案しました。今では当たり前の風景ですが、おそらく弊社の取り組みが国内初だったのではないでしょうか。
1988年に東京ドームができ、福岡、大阪、ナゴヤドームが相次いでオープンしたことでコンサートの映像人気に火がつきました。時代の波にのってモーターショーなどの展示会や企業イベントのパフォーマンス、そして大規模コンサートにも数多く利用いただき、需要が増えて急成長を遂げました。
スクリーンから広がる音と映像の可能性
ーーコンサート以外にも幅広く映像サービスを展開されていますが、どのような事例がありますか?
日比野晃久:
人が集まるところであれば大抵は提案できます。たとえばプレゼンの時に大型モニターで内容を共有することも弊社が先立って提案を始め、大手企業の株主総会で使用していただきました。
スポーツ業界では競技場の大型モニターの設置や、長野冬季オリンピックでは15会場で大型映像表示を担当しました。官公庁からも声をかけていただき、ご大葬の行事として初めて皇室内に中継カメラが入り、中の様子をスクリーン越しに国民に伝えることができました。
ーー数多くの企業に愛されている貴社の強みは何でしょうか?
日比野晃久:
人間には目と耳があり、この2つの器官で90%の情報を得ていると聞きます。そのため物事を伝えるには映像と音響が不可欠ですが、それを両輪でおこなっている会社は世界的にも珍しいと思います。
販売の事業では、放送局やスタジオ、ホール、シアターなど、音と映像の送り手であるプロのお客様に、音響・映像・照明・制御・ネットワークまでトータルのシステム提案が可能です。プロの現場で培った技術力、商品調達力、サポート力を高く評価いただいています。
またコンサート・イベントサービスの事業では、世界中を回って数多くの現場を重ねてきました。社内で共有し蓄積されたコンサート関連業務の圧倒的なノウハウ・情報量は誰にも負けません。
ーー社長就任後はどのような事業に注力されたのですか?
日比野晃久:
LEDディスプレイ製品の開発・製造を開始しました。青色LEDが発明された瞬間に、付き合いのある日亜化学工業株式会社と共同でスクリーンを作成し、世界で初めて4K対応LEDプロセッサーと高輝度・高精彩LEDディスプレイによる映像を世に出しました。10年ほど前に設置したQFRONT壁面のQ'S EYEや渋谷駅前ビジョンなど、今や渋谷のスクランブル交差点の顔ともいえる大型ディスプレイも弊社の製品です。
また、先代社長の悲願であるジャスダック上場(現東証スタンダード)を2006年に果たし、売上高1000億円の実現に向けて、スピード感のある成長を遂げるためM&Aの強化を進めてきました。
不況への危機感から生み出した戦略「ハニカム型経営」
ーー新たな経営方針として掲げられている「ハニカム型経営」について、詳しくお聞かせください。
日比野晃久:
バブルが崩壊した日本の姿を見て、優れた1つの事業だけで儲けるのではなく、組織として強固な体制を組む必要性を感じました。
目指すのはオンリーワン企業、ナンバーワン企業の集合体です。1つのビジネスは小さくても、ニッチトップが100個集まれば会社の体制は強化され、10億の事業を100個やり切れば1000億円に達します。ハチの巣(ハニカム)のように六角形を隙間なく並べた構造にちなんで、強固で衝撃に強いことから「ハニカム型経営」と名付け、既存の事業にその周辺事業を埋め合わせていく方針を固めました。
ーー今後注力していきたいことは何ですか?
日比野晃久:
中長期的な目標として世界進出を果たすため、現在はその下地を整えている状況です。欧米はコンサートの規模も大きくクリエイターも優秀な方が多いので、コンサート・イベントサービスを中心に展開しシェアの獲得を目指します。
アジア圏は今後発展していく中で、文化・教育施設が充実することが予測されますし、増加するアーティストに充分なサービスが提供できるよう、弊社の販売施工体制を整えておく必要があります。
すでにアジア・北米・欧州に拠点展開していますが、アジアでは販売施工、北米ではコンサート・イベントサービスに注力するなど進出地域に応じた事業展開を進めており、日本と同様の音響と映像を中心に販売施工とサービスを組み合わせた弊社独自のビジネスモデルを海外に提供するには時間がかかります。
海外の方から「ヒビノは自分の国の会社だ」と言われるようになるには、やはりM&Aが1番堅実な手法ですので、現地の方と良質なコミュニケーションをとり開拓を進めてまいります。
日本トップレベルの音のノウハウを活かし、新領域へ挑戦
ーー音と映像を駆使して、新しい領域に挑戦されるとお聞きしましたが、どのような事業をお考えですか?
日比野晃久:
コロナ禍ではリアルに人が集まる場がなくなってしまい、コンサート・イベントサービス事業が頓挫してしまった状況に危機感を抱き、「ハニカム型経営」の構造をアップデートする必要性を感じました。エンターテインメント以外にも新たな領域を増やすべく方向転換していきます。
現在進めているのは、弊社グループの「音」のノウハウを活用した騒音対策です。多数の空調を設置する商業施設などの室外機騒音や高速道路や鉄道の走行音、住宅街にあるゴミ処理場の機械音など、騒音を改善してほしいというニーズは非常に増えています。
そこで、これまで建築音響設計を手掛けてきた弊社グループのテクノロジーを結集させ、「この壁をつくって防音すると周辺の騒音は何デシベル下がる」など具体的な提案を可能にしています。
また、音というのは空気の振動です。同様に振動のジャンルとして、サイバー攻撃などの電磁波対策や、駐車場・高速道路の防振対策など、さまざまなマーケットを見出し開拓しています。
ーーこうしたアイデアはどのようにして生み出してきたのですか?
日比野晃久:
お客様や現場に精通する社員、取引先の方などから、「世の中でこういう商品やサービスがあったら良いね」という会話から出てきたものばかりです。
たとえばコンサートを演出する際、「音響にこだわったライブをしたい」という話が出れば、オリジナルスピーカーを開発するなどして即座に対応してきました。アーティストの方々の質への追求はとてもレベルが高く、そこに真摯に向き合ってきたことで、私たちもプロとして育っていったのだと感じています。
今後も安さに流されて大量に生産・レンタルするのではなく、プライドを持って質の高い製品・商品・サービスを提供できるよう精進してまいります。
編集後記
大物アーティストのコンサートや、東京五輪、宮内庁行事を映像と音響で支え、大企業からの信頼も厚いヒビノ株式会社。第一線のエンターテインメントを支える影の立役者である日比野社長だが、とくに苦労は感じていないという。
「好きなことを仕事にでき、ワクワク楽しみながらここまでやってきました。これまでの経験は幸せな苦労です」とにこやかに語った。同社による新たな領域への挑戦は、新しい日本の未来を切り拓くだろう。
日比野晃久(ひびの・てるひさ)/1962年生まれ、東京都出身。1985年東海大学工学部卒業後、ヒビノ電気音響株式会社(現ヒビノ株式会社)に入社。AVCシステム事業部事業部長、映像事業部事業部長、常務取締役などを経て2002年、代表取締役社長に就任。ハニカム型経営を推進し、オンリーワン、ナンバーワン企業が集まるヒビノグループのさらなる拡大を図る。