合同衛生株式会社は、大阪の街の環境保全を続ける企業だ。創業100年を超え、一般廃棄物や産業廃棄物の収集・運搬・処理・リサイクルを一貫して行っている。
「海にごみを出さない」という社会全体の意識を向上させていくことを目標にした「海と日本PROJECT」に参加し、環境保護の大切さを広める活動にも取り組んでいる。
今回は代表取締役の林博之氏に、事業の内容や社長就任時の心境、苦労したエピソード、今後取り組みたいことなどについて話をうかがった。
大阪を拠点にした廃棄物処分・リサイクルの事業を展開
ーー貴社の事業内容について教えてください。
林博之:
大阪市内を中心に一般廃棄物と産業廃棄物の収集や運搬を行っています。主要な顧客としては、あべのハルカスや高島屋が挙げられ、そこで日常的に出てくる廃棄物と資源物のリサイクルに長く携わってきました。
百貨店などに弊社のスタッフが常駐しているので、お客様と毎日顔を合わせながら仕事できることが強みです。
ーー代表取締役に就任したときの心境を教えてください。
林博之:
35歳の時に就任したのですが、最初は何をすれば良いのか全くわからなかったのが正直な気持ちでした。同時に「従業員やその家族をしっかり食べさせていくために失敗はできない」という責任の重さも感じていました。
リサイクル施設立ち上げ時は地域住民から反対運動が起きた
ーーゴミの回収・リサイクルについて、昔と今とで変わったことはありますか?
林博之:
廃棄物そのものの種類が大きく変わったので、それに応じて仕事のやり方や処分の仕方も変わりました。
昔はゴミは全て燃やしていましたが、法律で分別することが決まり、それからリサイクル施設を立ち上げることになりました。
ーー今までで苦労したエピソードがあれば教えてください。
林博之:
リサイクル施設を立ち上げた時が一番苦労しました。弊社は西成にリサイクル施設があるのですが、立ち上げた時は地域住民からの工場建設反対運動が起きてしまいました。理解してもらうために地域住民への説明会を行ったのですが、当初は全く理解が得られませんでした。
最初は全く話を聞いてもらえなかったのですが、私が長年親しくしている焼肉屋さんの社長がおり、その方が住民に訴えかけてくれたおかげで、一気に話を聞いてくれるようになりました。あの時にその社長へ相談していなければ、リサイクル施設をつくることはできなかったと思っています。
その後は、大阪市の手続きを終えて許可をとり、約4年の歳月を経て無事にリサイクル施設を立ち上げることができました。
それから現在に至るまで、施設周辺の掃除を毎日するなど、地域への配慮を忘れずに取り組んでいます。
当時からすると考えられないことですが、今では地域住民から感謝状が届いたり、町会の祭りにも参加できるようになりました。
「海と日本PROJECT」への参加のきっかけ
ーー「海と日本PROJECT」にはどのような意図で参加していますか。
林博之:
主催元から「プロジェクトへ参加しないか」と声をかけていただき、参加することを決めました。
産業廃棄物の処理やリサイクル活動についての良いイメージを世の中に広めるために、それらの業務を長年専門に行ってきた企業である弊社に声をかけていただいたのだと思います。
産廃事業の大切さを広めつつ新たなリサイクル分野にも取り組みたい
ーー今後は産業廃棄物処理の事業のイメージをどのように変えていきたいですか?
林博之:
昔から産業廃棄物の取り扱い事業は悪いイメージがつきやすいので、とても大切な事業であることを伝えていきたいですね。人は皆生まれてからゴミを出し続けていますが、出した先で何が行われているか知らない人がほとんどだと思います。
それがわかると、ゴミの出し方や意識も変わってくると思うので、特別な何かをするのではなく、まずは「弊社が何をしている会社なのか」ということをただ知ってもらいたいと希望しています。
そして、それが弊社だけでなく、この業界全体のイメージを変えることにもつながると考えています。
ーー今後取り組んでみたいことがあれば教えてください。
林博之:
食品リサイクルに取り組んでみたいと考えています。百貨店では、閉店時間になると食品ロスの商品が全て廃棄されているのが現状です。これでは食品が無駄になってしまうだけなので、弊社でリサイクルを行えるようにしたいと思っています。
この事業は利益が出やすいというわけではなく、また国からの補助金もないのですが、どうにかして持続可能な事業を行えるような仕組みがつくれないかを考えています。
今までとはまた違った分野への挑戦となりますが、弊社が社会貢献できる幅をさらに広げるためにも必ず達成したいと思います。
編集後記
社長就任時は「何をすれば良いかわからなかった」という状況の中、周りに支えられながら今まで走り続けてきた林社長。
リサイクル施設を立ち上げた時は地域住民からの猛烈な反対運動により苦しんだものの、知り合いの社長や大阪市の協力もあって乗り越え、今では地域全体から感謝される会社となった。「産廃物処理業の大切さをもっと知ってほしい」という思いを胸に、今後は食品リサイクルなど、新たな分野へも挑戦していく。合同衛生株式会社のこれからの飛躍が楽しみだ。
林博之/1970年生まれ、1991年に合同衛生株式会社に入社、2005年に代表取締役に就任。一般社団法人大阪市一般廃棄物適正処理協会の会長を歴任。