いすゞ自動車株式会社の企業概要
社名 | いすゞ自動車株式会社 |
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本社所在地 | 東京都品川区南大井6-26-1 大森ベルポートA館 |
設立年月日 | 1937年4月 |
代表取締役社長 | 片山 正則 |
株式公開 | 東証一部 |
資本金 | 406.44億円 |
事業内容 | 自動車および部品・産業用エンジンの製造、販売 |
いすゞ自動車株式会社の沿革
1929年(昭和4年) | 株式会社東京石川島造船所(1893年(明治26)設立 石川島播磨重工業を経て現在はIHI)の自動車部門が、株式会社石川島自動車製造所として独立する(いすゞ自動車ホームページによれば1916年創業とある)。 |
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1933年(昭和8年) | ダット自動車製造株式会社(後の日産自動車)と合併して自動車工業株式会社となる。 |
1934年(昭和9年) | 鶴見工場(旧鶴見製造所・自動車工業株式会社)稼働。 |
1937年(昭和12年) | 東京瓦斯電気工業株式会社と合併して東京自動車工業株式会社となる。 |
1938年(昭和13年) | 川崎工場(旧川崎製造所)稼働。 |
1940年(昭和15年) | 12月 社歌を制定。 |
1941年(昭和16年) | ヂーゼル自動車工業株式会社と改称。 |
1942年(昭和17年) | ヂーゼル自動車工業から日野製造所を分離し、日野重工業株式会社(現在の日野自動車)を設立(このためいすゞ自動車は日野自動車とは同門企業に当たる)。 |
1945年(昭和20年) | 3月 疎開工場として現在の長野県佐久市岩村田に長野工場を建設。 |
1949年(昭和24年) | いすゞ自動車株式会社と改称。最初の日本国外輸出先として香港へ進出。 |
1950年(昭和25年) | 2月 長野工場(疎開工場)を閉鎖。 |
1950年(昭和25年) | タイへの輸出開始。 |
1952年(昭和27年) | 台湾への輸出開始。 |
1953年(昭和28年) | イギリスのルーツ・グループと提携し、乗用車「ヒルマン・ミンクス」をノックダウン生産する。 |
1957年(昭和31年) | 1月 三菱商事とタイ向け車両輸出販売代理店の契約を締結。 |
1961年(昭和36年) | 11月 藤沢工場(旧藤沢製造所)稼働。 |
1964年(昭和39年) | 12月 ペルーいすゞ自動車を設立。(戦後第1号の海外投資案件) |
1966年(昭和41年) | 4月 泰国いすゞ自動車を設立。 |
1971年(昭和46年) | 米国・ゼネラルモーターズ(GM)と資本提携(伊藤忠商事の仲介による)。 |
1972年(昭和47年) | 6月 栃木工場(旧栃木製造所)稼働。 |
1974年(昭和49年) | 1社提供ラジオ番組「いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜」(TBSラジオ制作)放送開始。 |
1975年(昭和50年) | 6月 いすゞモーターズアメリカを設立。 |
1976年(昭和51年) | 10月 新社歌の制定。 |
1982年(昭和57年) | 7月 いすゞ自動車海外販売を設立。 |
1985年(昭和60年) | 日本初の自動車メーカーとして、中国・四川省重慶市で小型トラック (エルフ)の現地生産を慶鈴汽車との間で開始。 |
1986年(昭和61年) | 富士重工業(スバル)、いすゞ自動車が北米生産合弁基本契約に調印 |
1987年(昭和62年) | 北米生産拠点としてスバル・イスズ・オートモーティブ(略称:SIA)創立。1989年車両生産開始。 |
1988年(昭和63年) | 鶴見工場(旧鶴見製造所)、川崎工場(旧川崎製造所)へ統合。 |
1994年(平成6年) | 車体工業(株)との合併により、「いすゞ自動車大和工場」誕生。 |
1997年(平成9年)1月 | ポーランドにディーゼルエンジン生産会社「いすゞ モーターズ ポルスカ」を設立。 |
10月 | ドイツに欧州におけるディーゼルエンジン開発会社「いすゞ モーターズ ジャーマニー」を設立。 |
1999年(平成11年) | 神奈川県大和市下鶴間の大和工場(旧車体工業)を閉鎖。トラック運転台製造を藤沢工場に集約。 |
2001年(平成13年) | 1社提供ラジオ番組「いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜」放送終了。 |
2002年(平成14年) | さらなる経営資源の集中を図るため、日本国内でのSUV(ビッグホーン、ミュー・ウィザード)の製造販売、セダン型乗用車(アスカ)のOEM供給を受けることを中止し、9月30日をもって乗用車部門から完全撤退。商用車に専念。(整備・部品供給は続行) |
9月 | この年限りで活動休止が決まっていた野球部が、第73回都市対抗野球大会で初優勝を果たす。 |
10月 | 北海道胆振管内むかわ町のいすゞ自動車北海道試験場を、株式会社ワーカム北海道へ、北海道苫小牧市のいすゞ自動車北海道工場を、いすゞエンジン製造北海道へ分社。 |
2007年(平成19年)1月 | 大型観光バス不正車検で法人として書類送検。 |
4月 | 2001年から6年間社長を務めてきた井田義則が退任、代表取締役会長へ就任。変わって副社長の細井行(ほそい すすむ)が社長に昇格する人事を発表。 |
4月 | カナダにいすゞ車両・部品の販売会社として、「いすゞ コマーシャル トラック オブ カナダ」を設立。 |
11月 | 大型路線バスエルガのリコール問題で、同一箇所の再リコール案件が発生したにもかかわらず、国土交通省への報告を怠っていたと指摘される。この事件で国土交通省は、いすゞ自動車に対して異例の報告書を交付した。いすゞ自動車は、国土交通省の求めに応じてリコール届けを立て続けに提出。 |
2010年(平成22年) | 国内年間トラック販売台数(大、中型の合計)で日野自動車を抜き初めて首位に立った。 |
2016年(平成28年)2月 | UDトラックス向けの中型トラックOEM供給に合意。市場へは2017年(平成29年)に投入される予定。 |
7月 | マツダ向けのピックアップトラックOEM供給に合意。北米を除く世界全域で展開(日本国内は未定) |
2017年(平成29年)4月 | いすゞ初の展示施設 いすゞプラザ開館予定。 |
4月 | ゼネラル・モーターズ(GM)の東アフリカ子会社、GMイーストアフリカを買収予定。 |
いすゞ自動車株式会社の経営理念
いすゞ自動車の企業理念は「運ぶ」を支えて信頼されるパートナーとして豊かな暮らしづくりに貢献するというものです。いすゞ自動車はソフト面とハード面を幅広くカバーし、CVとディーゼルエンジン事業をバランス良く展開していくという理念を持っています。
いすゞ自動車は発展を図りつつも、環境、社会との調和を求めています。環境は企業にとって仲良くあるべき友のようなもの。自動車産業の一員として、いすゞ自動車は自然を守る責務を持っています。いすゞ自動車はユーザーであるドライバーとも良きパートナーとして歩んでいきたいと考えています。
いすゞ自動車株式会社の行動指針
いすゞ自動車の行動指針は信頼を基本としています。いすゞ自動車は3つの対象に行動指針を定めています。一つ目は「商品」に対してです。真のニーズを追求して、魅力のある商品とサービスの創造を目指します。
いすゞ自動車の「自己」に対しての行動指針は「約束を守り、誠実で、迅速な対応」をすることです。事故に対して高い要求を保つ事が、いすゞ自動車の行動指針です。
いすゞ自動車は「組織」に対して「世界の仲間とチームワークで達成」していくことを大切にしています。いすゞ自動車は中国にも工場を持っているので、国を越えてのチームワークが大切なんです。
いすゞ自動車株式会社の事業ポートフォリオ
いすゞ自動車はトラックに強い企業で、ウェブサイトにはいすゞ自動車オリジナルのトラックステーションがあります。トラックステーションにはいすゞ自動車オリジナルのドライバーお役立ちコラムや省燃費、コスト削減のヒントが豊富に提供されています。いすゞ自動車はトラックのことを知り尽くした企業なんです。
いすゞ自動車株式会社の事業案内、サービス紹介
いすゞ自動車株式会社の研究開発
いすゞ自動車は研究開発にも熱心な企業です。「トラックのグローバル設計」を取り入れ、商用車やディーゼルエンジンに求められる基本的な機能を強化するため、毎日研究開発に取り組んでいます。
いすゞ自動車の技術開発の基本となるのが、シーテクノロジー。いすゞ自動車のシーテクノロジーはセーフティ、エコノミー、エンバイロメントの頭文字SEEから来た言葉です。
また近年ではオートマチックのトラックも増えてきていますが、いすゞ自動車独自の機械式オートマチックトランスミッションも高性能な事が認められています。このスムーサーシリーズと呼ばれているいすゞ自動車独自おトランスミッションは運転疲労軽減、燃費やメンテナンスコストを低減する事ができます。
いすゞ自動車株式会社の世界中に広がるネットワーク
いすゞ自動車は世界に広がる大きなネットワークを持っています。ヨーロッパ・オセアニアには小型、中型トラックを販売・輸入する代理店や工場をいくつも持っています。イギリスやイタリア、ベルギーやオーストラリア、ロシアやトルコにまで工場や販売拠点があります。とりわけトルコのいすゞ自動車工場は大きく、中・大型バスやピックアップトラックの製造組み立ても行っているんですよ。
いすゞ自動車は先進的なディーゼルエンジンテクノロジーで、低排出ガスの環境に優しいトラックを生産しています。いすゞ自動車のスパークリーンディーゼルで輸送業界がもっと発達すればいいですね。