九州トップメーカーの存続危機を救った逆転の一手


フンドーキン醬油株式会社 代表取締役社長 小手川 強二

※本ページ内の情報は2017年2月時点のものです。

江戸時代末期、文久元年(1861年)に大分県臼杵市で創業したフンドーキン醬油株式会社は、醤油、味噌、ドレッシングなどの製造販売を行う老舗メーカーである。醤油、味噌は九州におけるトップブランドであり、生産量も九州1位を誇り、麦味噌に関しては全国1位の生産量となっている。また、近年ではドレッシングを始め、ぽん酢や柚子こしょうなどの周辺分野が、醤油、味噌に次ぐ商品として大きく成長しており、新商品の開発にも積極的である。同社代表取締役社長、小手川強二氏に、フンドーキンの持つ商品開発力や、今後の展望について話を伺った。

小手川 強二(こてがわ きょうじ)/1953年3月生まれ。大分県臼杵市出身。東京大学経済学部卒。75年、日本開発銀行入社。84年にフンドーキン醬油株式会社入社。86年、同社代表取締役社長に就任し現在に至る。全国味噌工業協同組合連合会会長及び一般社団法人中央味噌研究所理事長、臼杵商工会議所会頭を務めている。

経営危機に陥っていたフンドーキン醬油

―学生の頃から、将来会社を継ぐことについて意識されていたのでしょうか?

小手川 強二:
その時はまだ、フンドーキン醬油を継ぐということは意識していませんでした。ただ、大学入学が決まった時、二代目社長の姉で父の伯母に当たる方から「強二は大学で勉強して、将来はフンドーキンを継ぎなさい」と言われたことがあったのです。しかし、私は次男でしたし、そんな風には考えられませんでした。両親も好きなことをやればいいという考えでしたので、特別父からもそういった話は出ませんでした。

大学卒業後、日本開発銀行(現:株式会社日本政策投資銀行)に就職しました。銀行には9年間勤めていましたが、そのうち3年間は大蔵省(現財務省)へ出向していました。出向を終えた後は、福岡支店への転勤を希望していたので、そのまま転勤しました。その時に、フンドーキン醬油の経営状況が厳しいということを知ったのです。後継者不足も問題の1つでした。フンドーキン醬油を誰かが立て直さなくてはと思い、その責任を担おうと覚悟を決め、入社を決意しました。

分析結果から見えた“負のスパイラル”

―経営状況を改善するために最初に着手されたことは何でしょうか?

小手川 強二:
まず、当時の弊社の社内状況や取引先との関係性を把握するため、情報収集から始めました。数多くの人と会い、情報を集めつつ、経営のノウハウを勉強していきました。

私が入社した1984年の段階では、商品開発の体制は全く整っておりませんでした。年間の売上が60億円ほどでしたが、醤油・味噌だけで58億円を占めていたのです。それ以外の商品はほとんどありませんでした。昭和40年代から50年代にかけ、弊社は醤油・味噌でヒット商品を出し、九州ナンバーワンのブランドになりました。そのままトップブランドとして業績が伸びていったのです。競合他社は昭和50年くらいには他の市場に参入していきましたが、弊社はそのまま10年ほど醤油と味噌の市場のみで商品を展開していました。確かに弊社は醤油と味噌ではトップシェアを持つことができましたが、その10年の間でマーケットは成熟化してしまい、それ以上売上を伸ばすことが難しくなってしまったのです。売上を伸ばそうとすればするほどコストがかかり業績を悪化させてしまう負のスパイラルに、当時の弊社は陥っていました。

状況打破のために打った一手

―その状況を打破したきっかけを教えて頂けますか?

小手川 強二:
父の兄は非常に堅実な経営を行う人で、新しいものを造ればメイン商品に傷がつくという考え方でしたが、私の父はどちらかというと新しいことをやりたいと考えていました。そこで、私が入社したタイミングで、商品開発の部署を新設し、様々な商品を造り出すようになりました。多い時には年間200種類の新商品を造っていましたね。しかし、新商品を造れば売上は少し上がりますが、会社の業績は改善しませんでした。

調査した結果、既存の醤油・味噌の部分で悪化した販売コストを穴埋めできるほど、新商品が売れていないということが判明したのです。それまで「とにかくどんどん造れ」という指示で動いていたため、営業マンは得意先から新しい商品の企画をたくさん取ってくるようになりました。しかし、原価計算上では利益が出るようになっていたとしても、多くのロスが出たり、余ったらすべて返品するという条件に応じたりしていました。いわゆる裾物と言われるような、安くて儲からないような商品も、とにかく数を稼ぐために取ってきてしまっていたのです。

父から社長を受け継いだ私は、そこにルールを設けることにしました。利益管理をきちんと行い、営業が“取ってきてよい商品”と“取ってきてはいけない商品”などのジャンルを明確にしたのです。しかし、そうすると必然的に営業マンはなかなか商品企画を取ってくることはできません。それまでは他社が首を横に振っていた商品でも取ってきていたため、簡単に商品を取ることができていたのです。ですので、そこから営業も勉強を深め、ノウハウを蓄積し、新たな基準を造り上げていきました。そうすることで、利益率のよい商品を開発することに繋がり、ひいては醤油・味噌にかかるコストも回収するような商品を世に送り出すことができるようになったのです。

技術者のレベルを向上させた秘訣

―それまで醤油・味噌だけを造っていた技術者の方たちにとって、新商品を造る際に困難なことなどございましたか?

小手川 強二:
弊社の技術者たちには、トップブランドを造っているというプライドがありました。出来上がった試作品にも自信をもっておりましたが、残念ながら他のメーカーの類似品と比べるとレベルが低い状況だったのです。しかし、私が直接意見をしても伝わりにくいだろうと思い、実際に取引先の人に試食して頂きました。蕎麦つゆを開発した際にも、取引先の方から辛口の評価を頂きました。そこで、蕎麦屋さんを呼んで蕎麦つゆを造って頂き、そのノウハウを技術者に直接伝授してもらったのです。技術的なコツがわかると、技術者たちはクオリティの高い商品を造り出すことができるようになりました。

売れる新製品を造るためには、こうした営業や販売サイド、そして技術者サイドの両方の成長が欠かせないのです。

マーケット拡充に向けての新たな取り組み

―現在御社が力を入れている商品についてお聞かせください。

小手川 強二:
弊社の技術者が持つ匠の技を発揮できる商品は、やはり何といっても醤油・味噌になります。現在、醤油・味噌のマーケットは既に成熟していますので、どちらかというとグレードの高い商品造りに注力しています。また、醤油・味噌といった醸造物を基本としつつ、ブレンドの技術で造り上げた商品が、ドレッシングや白だし、柚子こしょうですね。今のお客様のニーズに合うものを造ろうという試みから、これらの商品群が生まれました。


―今後の展開についてはどのようにお考えでしょうか?

小手川 強二:
国内は人口の減少や少子高齢化ということで、食のマーケット自体が縮小傾向にあります。そこをいかに勝ち抜いていくかが、今後の課題になるでしょう。弊社は現在、九州を中心に展開しておりますが、今後は全国にも販路を広げていく予定です。そのためにも、現在の醤油・味噌・ドレッシングに継ぐ新たな柱となる商品の開発を考えております。

また、海外市場も国内同様、熾烈な競争が繰り広げられています。それに加え、カントリーリスクという大きな問題があります。海外マーケットは確かに拡大しておりますが、一方で参入する企業も増えています。その中で勝ち残っていくためには商品に特徴がなければなりません。弊社では、今年中に弊社の醤油でハラール(イスラム教の教えにおいて、食することなどが「許されている」という意味)の認証を受け、『ハラール醤油』としてイスラム圏に向けて発売する予定です。この商品を軸として、場合によっては海外のメーカーさんと協力しながら、さまざまな商品を展開していこうと考えております。

求める人物像

フンドーキン醤油の社内の様子。小手川社長始め役員ら同じ室内で業務を行っているため、すぐにコミュニケーションを取ることができるのが魅力のひとつ。

―御社が求める人材についてお話し頂けますか?

小手川 強二:
弊社では通常、毎年10人程を営業と技術系の半々で採用しております。営業については、素直さと我慢強さを兼ねた人材を求めています。技術系に関しては、菌を扱う勉強や仕事をしてきた経験があればそれに越したことはありません。しかし、基本的には、物作りの仕組みを把握しており、造った物がどのように評価されるかを理解していることが重要だと思います。

いくら良いものを造ったとしても、それを評価するのはお客様です。売れないということは、評価されないのと同じです。その考えさえしっかりと持っているならば、あとは入社してから学んでいけば良いと思います。

また、技術系はいくつかの部門に分かれています。研究部門や開発部門で仕事をするという選択肢の他、実際の生産現場に関わるか、もしくは品質管理部門で出来上がったもののチェックをする仕事に携わるか、あるいはその全てを管理するようになるのかなど、様々な道があります。最終的にどの道に進んでいくのかということについては、本人の適正を判断しつつ決めていきますが、自らがどういう仕事に携わりたいかという視点をしっかりと持ちながら、仕事をして頂ければと思いますね。

編集後記

フンドーキン醬油株式会社という社名は、正確で裏表がない「分銅」と、創始者の小手川金次郎の「金」をつなげたことが由来となっている。社名の通り、職人気質の技術者たちが嘘偽りのない仕事を長年続けてきたからこそ、九州トップブランドとしての座を守り続けているのだろう。伝統と革新をバランスよく取り入れた同社の商品群は、非常に魅力的だと感じた。