2025年、大阪が世界から注目を浴びる重要なイベント、日本国際博覧会(略称:大阪・関西万博)が開催される。
世界各国、日本全国から多くの人が訪れるこの機会をチャンスととらえ、大阪の食文化を国内外に広めようとしているのが、大阪府枚方市に本社を置く恩地食品株式会社だ。
1926年に恩地製麺所として創業し、しなやかさとコシを感じられる中細の麺が特徴の『京うどん』や、かつおやいわしなどの削り節を使った『本鰹だし』などを販売している。
長年「あ~おんちかった」のフレーズが印象的なテレビコマーシャルが関西地区で放送され(現在は放送終了)、3代目社長の恩地宏昌氏はローカル番組へも多数の出演経験がある。
またフランスでのJapan Expo出展や、海外への輸出など、外国への販路も拡大している。
恩地宏昌氏は「大阪の食文化を日本に、世界に発信し、大阪の街を元気にするのが私の使命」と語る。
地元・枚方で愛される企業であり続けながら、うどん文化を世界に広めることで大阪の活性化を目指す恩地社長の思いを聞いた。
海外への輸出に向けた半生うどんの開発
--社長就任から今までの振り返りをお聞かせいただけますでしょうか。
恩地宏昌:
2003年の6月に社長に就任してからこれまで山あり谷ありでしたね。特に苦労したのが日持ちのする半生うどんの開発です。
社長就任後にまず宣言したのが「私たちが発信者となり、日本中・世界中に大阪の食文化を広めていく」ということでした。
ただ、海外に輸出するとなると船で輸送しなければいけないため、賞味期限を大幅に延ばす必要がありました。
そこで海外向けの商品を開発するため新たに「大坂のおうどんプロジェクト」を立ち上げ、讃岐うどんのメーカーさんにOEMという形で日持ちのするうどんの製造を依頼することにしました。
大阪うどんの歴史と讃岐うどんの技術を融合させて海外に進出するため、うどんメーカー同士タッグを組むことを決断しました。
開発にあたって、大阪府立大学と産学協同で大阪うどんの歴史について掘り下げていきました。
そこで、断面が四角形の讃岐うどんや手打うどんが出てきたのは戦後のことで、もともと断面が丸かったということがわかり、海外にうどんの歴史を伝えるために丸い麺を作ってもらうよう依頼しました。
そこから何度も試作を重ね、常温で3か月間、日持ちする半生うどんの開発に成功しました。
うどんを世界に広めることで大阪の活性化を目指す想い
--2025年には大阪・関西万博が開催されます。日本全国あるいは世界各国からも多くの方が訪れることが予想されますが、万博に向けた新たな取り組みなどはありますでしょうか。
恩地宏昌:
これまで道頓堀周辺や新大阪駅、大阪国際空港などのお土産物屋さんに商品を置いていたのですが、新型コロナウイルスの蔓延で一時ストップしていたんです。
そろそろお土産の販売を再開しようと思ったときに、せっかくだから万博に向けて新しい商品を作ろうと。
そこで世界で健康への意識が高まっていることから、食塩不使用の乾麺の開発を始め、今年の秋頃の発売を目指しています。
また、海外向けに食塩不使用の乾麺の出荷も考えており、日本食レストランやホテルで大阪うどんを使ったメニューを提供してもらいたいと思っています。
例えばタイではトムヤムクンにうどんを入れたりフォーの代わりに使ったり、ヨーロッパではパスタの代わりにパスタソースを絡めて食べてもらうなど、うどんは海外の食文化ともコラボしやすい食材なんですよね。
海外の方々にも粉もの文化に興味を持っていただき、「本場に行って食べよう」と大阪に観光に来てもらうことで街の活性化や経済効果も期待しています。
うどん文化を広めて大阪を元気にすることが、大阪の食文化であるうどんを製造する企業の使命であると考えています。
海外への販路拡大に注力するようになったきっかけ
--なぜ海外展開に力を入れようと思われたのでしょうか。
恩地宏昌:
他界した二代目の社長である私の父が、昭和50年からタレントの浜村淳さんを起用し、およそ30年に渡りテレビとラジオでコマーシャルの放送をしていました。
そのおかげで関西の方々には恩地食品を認知していただいているので、父親とは違うステージに行くために世界に進出したいと思ったのがきっかけです。
ただ、私たちの会社を有名にしたいというわけではなく、大阪万博に向けて大阪の製麺組合を中心に大阪の食文化を世界に発信し、京都・東京と並んで大阪をメジャーな都市にしたいという思いが強くあります。
--その他、うどん文化を広めるために続けている活動はありますでしょうか。
恩地宏昌:
大阪の食文化を伝える一環として、うどん姫というオリジナルキャラクターを作り、400年前の大阪にタイムスリップしてうどんが誕生したルーツについて学んでいくというアニメを作成しました。
大阪うどんを提供しているお店や大阪うどんの特徴、お出汁と具材の種類についても紹介し、大阪のうどんに興味を持ってもらうきっかけのひとつになればと思っています。
日本語、中国語、韓国語、英語の四か国語に対応していて、スマホで読み込んで閲覧できるようQRコードを印刷したチラシをお店に置いてもらっています。
また、関西に来たら大阪うどんを食べてもらいたいということで、大阪の飲食店で大阪うどんを使ったメニューを提案してもらっています。
大阪・枚方への地域貢献
恩地宏昌:
大阪のうどんを世界に発信すると言っていますが、まずは地域に愛される企業でなければならないと常々思っています。
少しでも地域貢献になればと、枚方の七夕伝説を広めるため、枚方市出身で私の幼馴染でもあるタレントの川﨑麻世さんと「しあわせのモニュメント」制作に取り組み、彼がデザインを担当して私は枚方市へ寄付をする形で協力しました。
あとは関西外国語大学とコラボしておりひめちゃん・ひこぼしくんをデザインした「天の川紅白そうめん」(6月~8月限定販売)も作りました。紅色の麺を織姫に見立てていて、使った後に箱を切り取ったら短冊として使えるようになっています。
今後の注力課題
--これから力を入れていきたいことについて、詳しくお聞かせください。
恩地宏昌:
「人事評価制度の構築」には力をいれていきたいと考えています。
私は大学卒業後、経営戦略や販売促進などを学ぶために広島にあるタカキベーカリーで働いた後、経営についてさらに学びを深めるため、兵庫県福崎町にある中小企業大学校に通いました。
卒業してしばらく経った頃、摂南大学の教授が話されていた人事評価制度のことを思い出しました。
これまで恩地食品では勤続年数に合わせて給料を上げていく、いわゆる年功序列のやり方をとっていました。
しかし、頑張って成果を上げても他の社員と給料が変わらないので、仕事ができる社員のモチベーションが落ちてしまうんですね。やはりきっちり評価しないと社員が伸びない、結果として会社も伸びていかないと気付きました。
そこで恩地食品オリジナルの人事評価制度を作り、上司との面談で社員それぞれの目標を設定し、配置転換や能力開発をしながら今もブラッシュアップを続けています。
商品開発における女性のエンパワーメント
--貴社では入社3年目の女性が商品開発のリーダーを務めていたと伺いました。
恩地宏昌:
はじめは男性社員の多い、男性社員がリーダーの商品開発チームを作ったのですが、女性社員が本音で発言している場面が少ないなと感じたんですよね。
そこで既存の商品開発チームとは別に私直轄のメンバーが女性社員だけの商品開発チームを立ち上げ、入社3年目の女性社員をチームリーダーに抜擢しました。
そのメンバーでスーパーに視察に行った際、女性社員たちから「なんで麺売り場ってあんなに殺風景なんですか?可愛さがないですよ」と聞いたときには、私にはない感覚だと衝撃を受けましたね。
スーパーで買い物をするのは女性が多いので、女性の感性を刺激するようなデザインパッケージやコンセプトを考えることが大切だなと実感しました。
今は商品開発チームを1つに戻し、女性社員の割合を多くして女性ならではの感性を活かしていこうと取り組んでいるところです。
若い方々に伝えたい想い
恩地宏昌:
これまで地元の大学とコラボしてきたのは、企業としてのメリットだけでなく、学生たちに、自分が携わったものが商品として形になるという経験を通し、自信や誇りを持ってもらいたいという思いがありました。
彼らは日本の未来を担っていく人たちなので、「もっと可能性があるよ」と勇気づけたいですね。
「どうせ自分はこの程度だ」「どこかの企業に入ってそこそこやっていければいい」という人もいるけど、自分次第で人生は自由にデザインしていけるんですよ。
チャレンジすれば失敗もするけれど、そこでもうダメだと諦めるのではなく、失敗から学んで改善し続ければ必ず成功をつかめると思っています。
誰しもそれぞれ能力や物事を成し遂げるパワーがあるはずなので、存分に発揮できるよう自分自身をブラッシュアップしていくのが重要だと思います。
あとは若い子たちにはアルバイトやコミュニティ活動、ボランティア、なんでもいいので幅広い年代の人と付き合いなさいと伝えるようにしています。
会社を辞める人の多くは仕事が嫌いだとか、自分には務まらないというよりも、人間関係が原因で辞めることがほとんどなんですよね。就職したら直属の上司や役員、社長がいて、世代によって考え方も違います。
そこで自分とは考え方が合わないとシャットアウトするのではなく、「この人たちはこういう風に考えているんだな」と受け入れるといいのではないかなと思います。
座右の銘
恩地宏昌:
私の座右の銘は「継続は力なり」ではなく、「継続こそ力なり」です。
あるとき、社員たちに「どんどんチャレンジしていこう」と言い続けているにも関わらず、自分自身が何も挑戦していないことに気付き、あえて苦手な長距離走に挑もうと地元のハーフマラソンに出場することに決めました。
エントリーしてから本格的にトレーニングを始めたのですが、本番では2時間57分59秒で完走できました。次の年にはホノルルマラソンにも参加して、2009年から新型コロナウイルスの蔓延で中止になる2020年まで、毎年出場していました。
この経験から、自分が苦手だと思っていたことも、継続すれば必ず実を結ぶということを身を持って実感していますね。
編集後記
大阪の食文化を世界へ広めようとさまざまな仕掛けをする一方、地元である枚方市の地域貢献にも力を注ぐ。「世界だけを見据えて商売していては足元をすくわれる。やっぱり大事なのは一丁目一番地である枚方だ」と語る恩地社長。食を通じて大阪活性化のためにチャレンジし続ける恩地食品株式会社の今後に期待だ。
恩地宏昌(おんち・ひろまさ)/1962年12月20日生まれ。桃山学院大学経営学部卒業後、1986年株式会社タカキベーカリー入社。1989年恩地食品株式会社入社、1993年常務取締役に就任後、2003年6月3代目代表取締役社長に就任。関西ローカル番組へ多数出演。