※本ページ内の情報は2023年9月時点のものです。

たけのこは「湯を沸かしてから掘りに行け」といわれるほど、鮮度が命の食品だ。京都はたけのこの名産地として知られており、特に 西山丘陵で育てられる京たけのこは「白子たけのこ」と名付けられるほど白く、えぐ味のない柔らかな歯触りが絶品である。

西山丘陵に工場を構える小川食品工業株式会社では、伝統の栽培手法で京たけのこを育て、地元農家と連携して京たけのこを日本全国へ送り届けている。創業1927年、まもなく100周年を迎える小川食品工業の代表取締役社長・小川修司氏に、産地へのこだわりや農家への思い、これからの展望について聞いた。

従業員はみんな家族。人一倍働く父親の背中を見て育った

――幼少期から社長になられるまでのお話をうかがいます。社長は三代目ということですが、子どもの頃から後を継ぐようにと育ったのですか?

小川修司:
幼少期から将来は工場の仕事をするものとして学んできましたね。
小川食品工業は、祖父と父がこめ油の製造(株式会社小川製油所)を始めたのが事業の興りです。ちょうど会社を立ち上げたとき、僕はまだ保育園に通う年頃でした。
保育園から家には帰らず食品工場へ行って、両親が働くそばでみんなと仕事して、夕飯も工場のみんなと食べて、眠たくなったら家で寝る、そんな生活です。GWも遊びに連れて行ってもらったこともない。春はたけのこ製造の繁忙期ですからね。家業優先で育てられたので、学校を卒業する頃には工場長みたいな立場になっていて、僕が知らない仕事は何もなかったですね。

――大学は大阪工業大学を卒業されています。こちらは、たけのこの加工と関係があるのですか?

小川修司:
工場の機械に使われている電気工学のことがわからなかったので、「お前大学行って勉強してこい」と送り出されました。大学に行く前に、東洋食品工業短期大学で缶詰の勉強もしています。

――缶詰の製造は社長の代から始められたのでしょうか。

小川修司:
もともと家業として缶詰の製造をしていました。たけのこの缶詰は、一斗缶へ詰めるだけなら昔ながらの製法でよかったのですが、一斗缶だけではこれからの時代に合いません。贈答用の丸缶とか、缶詰を使った二次製品を手がけるために、東洋食品工業短期大学で学びました。大学へ行かせてもらったのもすべて事業のためですけど、いろんな技術や理論を学ばせていただきました。先生方とは今でもつながりがあって、ありがたいと思っています。

――2002年に社長に就任なさってから、苦労したエピソードがあればお聞かせください。

小川修司:
僕が社長になるまでは、実は役職というものがなかったんです。とりあえず社長だけ決めて、あとは全員平社員でした。小川一家みたいな感じで、従業員はみんな家族。
父の考え方は、一生懸命に自分が頑張って先頭を走ればみんなもついてきてくれて、何とかご飯ぐらいは食べさせられるというものでした。僕もせめて父の半分くらいでも頑張れば何とかなるかなと思っていましたけど、さすがにたけのこもこめ油も、製造も販売も全部僕がやるのはしんどい。自分の子どもたちに「同じことをして後を継いでくれ」とは言いにくい。僕が一人でやるのは大変なので部長や課長などのポジションをつくって、新しい人を採用して、各部門を統括できる後継者を育てていく必要があると感じています。

鮮度が命の京たけのこは、収穫してすぐに“ゆがく”

――たけのこの仕入れから製造まではどのように行われているのですか。

小川修司:
小川のたけのこは、当日の朝に掘られたものしか仕入れません。鮮度が命なので、昨日掘ったたけのこではもうダメなんです。農家さんは朝の2時くらいに懐中電灯つけて掘って、昼までに出荷されてます。熟練の技が必要ですし、体力も要ります。そうやって仕入れた大切なたけのこを入荷し、どんどん茹で上げ、全国の高級料理店などに卸します。

――大変な作業ですね。価格設定についてはどのように決めているのですか。

小川修司:
本音を言えばもう少し高く売るべきでしょうけど、うちのお客さんは長く継続して購入してくれる方ばかりですから、「値上げします」って言い出せなくて。
これで儲かるんですかってよく言われますけど、儲かるか儲からないかギリギリの価格です。儲けよりも、地元の人達に小川の製品を良いと思ってもらいたいし、かわいがられる企業でありたいですから。
とはいえ、農家さんを守るためにも、国産の水煮たけのことしては最も高い価格をつけさせてもらっています。

京たけのこを広めるために特殊冷凍機と高温殺菌機を導入

――京たけのこを広げていくために、冷凍京たけのこや水煮パック、佃煮の真空パックを開発されたと思うのですが、苦労されたエピソードはありますか。

小川修司:
京野菜の最たるものは京たけのこだと僕は思ってるんですけど、関東へ行くと知名度が低いのが実情です。なんとかして関東に出荷したいけど、これが難しい。京都の市場では京たけのこには個人選別というシステムがあって、細かくサイズや状態で分類して値段をつけています。東京の市場で個人選別なんか無理ですし、京たけのこで全部一括りにされたら値段が安くなってしまいます。

食べてもらえば京都のたけのこは他のたけのことは違うとわかってもらえるはずですが、缶詰では違いがわかりにくい。手を加えれば加えるほど、京たけのこの良さが伝わりにくい。これではあかん、缶詰以外の製法で京たけのこを一年中味わってもらうために何とかせなあかんと、高温殺菌や冷凍の製品をつくりました。

――設備費にはかなりの費用がかかっているのではありませんか?

小川修司:
高温殺菌機や特殊冷凍機の設備費はかなりの投資でした。それでも、一番良いたけのこを扱っている小川が設備を持っていないでどうするんやという矜持があります。

最高品質の京たけのこを最高な状態・製品にして、全国の方々へお届けしたい。その思いで、役員の反対を押し切って、補助金などを取り入れながら導入しました。

国産米100%の小川のこめ油づくり

――次に、もう一つの事業として展開されているこめ油について。こめ油は創業時から製造なさっていたのですね。

小川修司:
小川のこめ油は国産米を100%使用しています。遺伝子組み替えされたものではありませんのでとても良質です。最近では学校給食などに使用していただくことも増えてきました。こめ油は天ぷらやドレッシングなどさまざまな料理に使える万能な油で、コレステロールを下げる効果もありますから、どんどん召し上がっていただきたいですね。ただ、原料となる米糠が不足しています。日本人がお米を食べる量が減っているので、お米を食べてもらわないと米糠が手に入らない。パンやパスタも美味しいけど、お米を食べていただけるとうれしく思います。

事業の拡大よりも地元の良いたけのこを守りたい

――創業100周年に向けたビジョンがおありなのですね。

小川修司:
小川のたけのこは京都西山丘陵一帯で収穫した京たけのこと、自社栽培のものを厳選したこだわりのたけのこです。大量生産できるものではありませんので、事業を拡大するというより、
地元の良いたけのこをつくり続けたいという気持ちです。
生まれたときからたけのこ畑が身近にある環境で育ってきたので、これからもこの景色を守りたいと考えています。そのために僕らに何ができるかというと、もっと京たけのこの良さを発信して、価格が高くても京たけのこが欲しいと言ってもらえるような製品をつくることです。

こめ油については、国産なので、食料自給率に貢献できるのではないかと考えています。日本人にとってはなじみのある食品ですし、アレルギーの可能性も低い。医薬品や化粧品への展開も注目されている食品なので、もっとこめ油の良さを知っていただけるように努力していきます。

編集後記

京たけのこは、土から顔を出す前の小さなひび割れを見つけて掘り起こされる。傷をつけないように掘り起こすには熟練の技が必要で、8年ほど修行をしてやっと一人で掘れるようになるという。収穫期を終えても休むことなく世話を続ける生産者を守るためにも、小川食品工業は美味しい京たけのこを全国へ発信している。今後の展望に注目したい。

小川修司(おがわ・しゅうじ)/1956年生まれ。東洋食品工業短期大学、大阪工業大学卒業。2002年に小川食品工業代表取締役社長に就任。伝統の栽培手法でつくられる京たけのこを全国に広めるため、高温殺菌・特殊冷凍技術で一年中美味しく味わえる製品に開発。京たけのこと農家の想いを未来につなげるため、日々研鑽を続けている。