就職後3年以内の離職率は、高卒が35.9%、大卒が31.5%の日本(※1)。高校や大学を卒業して就職しても、就職から3年以内に3割以上の人が離職している現実がある。
このような状況下で、さまざまな働き方改革を通して社員の定着率向上を図っているのが、青果仲卸企業として50年以上の歴史を持つ有限会社三秀だ。
「会社は社員が幸せになるひとつのきっかけ。自社はもちろん、業界全体も良い方向に導いていきたい」と語り、日々奔走する代表取締役の稲垣憲一氏に、今までに取り組んだ働き方改革や市場業界における職人の育て方、今後の展望を聞いた。
(※1)厚生労働省「新規学卒就職者の離職状況(平成31年3月卒業者)を公表します」より
死の間際に父から家紋を渡され社長に就任
ーー先代であるお父様のことを大変尊敬されていると聞きました。社長就任の経緯や、お父様とのエピソードで、印象に残っていることを教えていただけますか。
稲垣憲一:
父が経営者でしたので、小学校5年生ぐらいからは、いつかは会社を継ぐのかな、という気持ちは持っていました。
しかし、友達から「お前はお父さんが社長だから羨ましいよ」と言われると、友達との間に距離を感じてしまい、悔しい気持ちを学業にぶつけて打ち込みました。
数学が得意で、学者になろうと思った時期もありましたね。
自分一人でしっかりと生きていけるという証拠を父親に証明できれば、跡継ぎではなく、好きなことで稼いでいくこともできるのではないか。そう考えて、塾講師の道へ進みました。
しかし、あるとき父親に呼ばれ、「お前が今まで不自由ない暮らしができていたのは、従業員が会社を支えてくれたからだ。だから、その恩返しを引き継いでくれないか」といわれたのです。
そのときに、今まで当たり前にしていた生活は、従業員の人たちのおかげで成り立っていたのだなと初めて気づかされました。
そこから私の意識も変わり、教え子の進学などのタイミングが落ち着いた段階で弊社に入りました。
正直、レタスとキャベツの違いも分からないところからスタートしました(笑)。
それでもいつか来る、社長を継ぐ日に向けて、とにかく毎日必死でしたね。
2017年9月、父が通っていた病院に呼ばれ、がんが全身に見つかり、余命幾ばくもないと告知を受けました。
その翌月、父ががんで亡くなる直前、病床で私に家紋を渡そうと手を伸ばしたんです。すでに言葉も話せない父が、最期に最大の力を振り絞って三秀を渡してくれたのだなと感じました。いつまでも悲しんでばかりではいけない。従業員は皆、絶望の淵に立たされていましたが、光を当てられるのは私だけだという強い思いで、父が亡くなった翌日に会社を継承し、葬儀を執り行うと同時に就任パーティーも実施しました。
多様性を認めた働き方改革で仕事の質を向上
――実際に会社を継いだ後の苦労、乗り越えたエピソードをお聞かせください。
稲垣憲一:
30名ほど雇用した従業員が、一気に辞めてしまった時期がありました。
辞めてしまった大きな原因は、長い労働時間です。当時は人間関係の問題などで、自分の仕事が終わったにもかかわらず、上司の目を気にしてなかなか帰れず、不満に感じている人もいました。
一生懸命に仕事をして、プライベートの時間を削って財を成す。それが幸せだと思う人もいれば、定時で帰り、プライベートの時間を充実させることに幸せを感じる人もいますよね。
ですから、従業員のみんなには人によっていろいろな価値観があるということを理解してもらうよう働きかけて、それぞれの価値観に合った働き方ができるような環境づくりを進めました。
「部下の仕事をコントロールすることは上司の責任である」という考えのもと、
無意味な残業が発生すれば、部下には残業代を出すものの、上司の査定は下げる、などの評価基準を導入。残業時間が大幅に削減しました。
――貴社は、業界内でも先駆けて働き方改革を進めているイメージがあります。
稲垣憲一:
ありがとうございます。実際に残業を減らすことで、働く意欲だけでなく、仕事の質も上がりますからね。
心に余裕ができるので些細なことにも気づくようになり、お客さんへのフォローが手厚くなる。そうすれば、結果としてお客さんに喜んでもらえるようになります。働き方を変えることで従業員の仕事の質が上がり、仕事の幅も広がることを狙いました。
職人を育てるには「教えるのではなく見せる」
――働き方改革の次に、何か目指しているところがあれば教えてください。
稲垣憲一:
次のビジョンとしては、仕事の楽しさをもっと伝えらえるようになりたいと考えています。青果仲卸の仕事は、お客さんのニーズに合った商品を選んで、お客さんから「美味しかった」と言ってもらえたときが最も楽しいのです。
お客さんとのやりとりに楽しさを感じることができれば、もっと野菜の知識をつけようと自ら職人らしくなっていく。つまり、楽しくないと職人やプロにはなれないし、楽しくないと職人やプロを育てることはできません。
そして、仕事を楽しんでもらうためには、上司が教えてはいけません。上司は興味を持つきっかけを与えて、自発的に学びたくなる環境を用意することが大切です。
「名選手、名監督にあらず」という格言があるように、自分の得意なことだからといって、必ずしも上手に教えられるわけではないのです。
多くの職人はつい教えすぎてしまいがちですが、そうではなく「認める・任せる・教えない」の三原則に従うことが、部下や後輩の成長には必要なのだと教えています。
福利厚生のもとにあるのは「従業員の幸せ」
――三秀として今後注力していきたいテーマを教えてください。
稲垣憲一:
福利厚生の強化に力を入れたいですね。実際に積立のがん保険を福利厚生に取り入れて、会社を辞めるときにはその保険ごとプレゼントするようにしました。
その次に導入したのが、損害賠償保険です。たとえば通勤時にケガをしたら保険金が支払われるというのはよくある話ですが、弊社では、会社とは関係のない完全プライベートの時間も対象となるように設定しました。
保険に関しては、団体で入ったほうが安く済むというのもありますが、先ほどもお伝えした通り、幸せの形は人それぞれという考え方が大きく関係しています。
会社という場所は、それぞれの従業員が幸せになるためのきっかけに過ぎません。今後さらに福利厚生を強化したい理由には、会社が従業員から幸せを奪う場所であってはいけないという思いがあります。
編集後記
会社を存続させるためには、仕事が楽しいと思える状態が必要だと話す稲垣社長。
従業員の幸せを優先する三秀の方針について「ウォルト・ディズニーが目指した社会像に近いのかもしれないですね。夢はお客さんだけに与えるのではなく、従業員にも与えるべきだという考え方です」と話す。
多様性を意識した働き方改革など、将来を見据えた組織づくりを続ける有限会社三秀の今後に注目だ。
稲垣憲一(いながき・けいいち)/1974年12月7日ソウル特別市麻浦区生まれ。
東海大学理学部数学科卒業後、株式会社中萬学院へ入社。その後、株式会社東京青果で研修を行い有限会社三秀へ入社。2014年10月代表取締役に就任。