※本ページ内の情報は2023年11月時点のものです。

埼玉県川口市に本社を構えるサイボー株式会社は、繊維事業と不動産活用事業を営む、東証スタンダード上場の企業だ。グループ会社の事業では、ゴルフ練習場経営、ボウリング場経営、バッティングセンター経営、自動車ディーラー、内装工事請負業など、多角的な経営をおこなっている。

高度経済成長期には、日本を代表する輸出産業であった繊維業は、時代の変化とともに経営の激変を余儀なくされた。同社は創業以来の事業内容を大きく変化させつつも、現在もなお着実に歩みを進めている。

飯塚榮一社長に、変革のターニングポイントとこれからの経営戦略について語っていただいた。

紡績業を取り巻く経営環境の激変

――まずは貴社の事業の歩みについてお聞かせください。

飯塚榮一:
弊社は創業から数えると100年以上になり、私で4世代目の社長です。
1948年に現在の前身である埼玉紡績株式会社を設立いたしました。設立当初は戦後間もないこともあり、特に箱根を境に東日本においては紡績会社が少なく、有事の際には包帯やガーゼですら満足に供給できないこともあり、戦後で最後に国の認可を頂いた紡績会社です。
元々、半農、半機屋でそれに紡績を加え、織機、レース機、ミシンなどを加えていき、川上から川下に向けて徐々にシフトしていくことになりました。

社名を現在のサイボー株式会社に変更したのは、綿(わた)から糸を引くだけの会社ではなく繊維製品全般を扱うようになっていったからです。

有名な織機メーカーはいくつもありますが、紡績工場で豊田の自動織機以外を使ったことがありませんでした。そのご縁で、「トヨタ車の販売ディーラーをやらないか」というお声かけをいただき、カーディーラーを開業しました。その後、自動車の販売台数を増やすことを目的に自動車教習所を開設しました。

その後、原綿を購入していた商社の中で伊藤忠商事はAMFというアメリカのボウリング機械メーカーの代理店で、三井物産がブランズウィックという世界最大のボウリングメーカーの代理店をされていたために、この2社から「ボウリング場をやらないか」と持ち掛けられ、結果的に複数のボウリング場を経営することになりました。

自動車のディーラーにせよ、ボウリング場経営にせよ、思い付きで繊維以外の事業を始めたのではなく、繊維の商売をきっかけとして、様々な事業が生まれることとなりました。

ただ、中国の安い生地が入るようになると、どこの紡績会社も糸を作ることに採算が合わなくなり、時代の変化の中で、弊社が同業他社より早く紡績業から撤退する決断をしました。

地域に根ざした経営の多角化戦略

――地域とのつながりを重視していると伺いました。

飯塚榮一:
もともと我々は埼玉県南に位置した会社で、繊維を中心に、時代(とき)の流れに沿った必要とされる商品を提供していくことが私達の役割だと思っています。

多様な事業を通じて、地域の方々に利便性の高いサービスや施設を提供し、安心・安全な街づくりをすることで貢献したい。地域に根ざして、地域から支持される企業になることが、先人たちの歩みを引き継ぐことになると考えています。

――繊維事業の戦略はどのようなものでしょうか。

飯塚榮一:
繊維メーカーとしては、中国や東南アジアなどの安い人件費を背景とした価格競争には太刀打ちできないと思っています。繊維を活用して何を作るかというところに傾注しなければいけません。

考えついた一つの答えが「法人ユニフォーム」

一方で、私たちのような繊維メーカーは消費者と接している商品が少なく、BtoBのビジネスモデルが主で、確固としたブランドがないのが実情です。

その為、考えたのが製品志向であり、法人ユニフォームの製造販売でした。

例えば、銀行員の制服とか、航空会社のキャビンアテンダントのユニフォームです。正式採用されれば、デザインが次に変わるまでは独占契約ができます。同じ製品でも、まとまったロットを見込むことができ、法人ユニフォームに特化したところ、順調に事業の拡大につながりました。

最近では、テントの販売を始めました。新型コロナの影響で旅行やレジャーが制限されたこともあり、ちょっとしたキャンプブームが起き、この数年はテントの売れ行きがとても順調に推移しました。

また、抗菌・防臭の天然素材を用いた生地を作り、この度SEKマーク(製品認証マーク)を取得しました。抗菌・消臭の帽子なども作れるようになります。このように、ひとひねりした付加価値の高いものを作っていきたいと思っています。

夢を具現化するのが仕事

――読者にお伝えしたいことはありますか。

飯塚榮一:
私のモットーは、正々堂々とオープンに、楽しく仕事をすることです。

私自身、自分のやりたいことを仕事にした側面があります。野球が好きだったので、プロ野球選手に会えるかもしれないと考えた野球のユニフォーム関連事業は、今や主力事業です。そんな他愛もない発想から、商品化された物がいくつかあります。

自分のやりたいことを仕事にすることの良いところは、ストレスがたまらないことです。夢を具現化させるのですから、モチベーションは高まります。

大手コンビニチェーンから累計260万枚のユニフォームの発注を受けている担当が社内にはいますが、それだっていいわけですよ。サイボーはそういう、自分で考えて夢中になれる人材が欲しいですね。

私たちの想いを引き継いで、自分のやりたいことに夢中になり具現化できる人が今後どれぐらい出てくるか。サイボーの未来はそんな人材にかかっていると思います。

編集後記

「時代(とき)と共に歩むサイボー」「地域と共に歩むサイボー」を標榜する飯塚社長。その言葉通り、同社は激動の時代を生き抜き、地域に根ざす企業として歩んできた。飯塚社長の夢を具現化する力が、次のサイボーの道を示すのだろう。


飯塚 榮一(いいづか・えいいち)/1951年埼玉県生まれ、日本大学生産工学部卒。1974年に入社し、アパレル事業部長や繊維事業本部長を経て、2020年6月に代表取締役専務に就任。2021年6月に現在の代表取締役社長に就任し、繊維事業と不動産事業に注力している。