※本ページ内の情報は2023年11月時点のものです。

2021年の日本自動車工業会(JAMA)の報告によると、オートバイの新規販売台数は約41.6万台と、前年比で約13.7%増加。日本国内のオートバイ市場は一定の安定感を持って成長している。

オートバイ業界では、SDGsへの取り組みとして世界的にバイクの電動化を推し進め、電動バイク市場も成長しつつあり、環境への配慮が高まっている。また、メーカーによる新しい安全機能や電動技術の導入が進み、オートバイの安全性と環境への配慮が向上する方向へ、業界全体が舵を切っている。

また、二輪車の購入者の平均年齢が下がり、女性購入者の割合が増えていることにも注目される。購入者の平均年齢が前回調査よりも0.5歳若くなり、特に女性を含む30代以下の購入者の割合が増えている。

20代から40代の若い世代は、メーカーのWebサイトやSNSから積極的に情報を収集する傾向にある。さらに10代から20代の購入者は、販売店での試乗をし、実際の走行感覚を重要視している。モーターサイクル業界の今後は、若年層への訴求や情報提供の方法が重要な要素となっていく。

若い世代や女性を積極的にオートバイの魅力へと引き込んできた、株式会社アールエスタイチの代表取締役社長の松原弘氏は「バイク好きが欲しいもの(必要とされるもの)を作ることが大切」と語る。

「危険」というネガティブなイメージがつきまとうオートバイの社会的評価を乗り越え、「バイク愛」を一般に広げるべく奔走する松原社長に、その経営者マインドを聞いた。

バイク好き仲間との幸せな時間

ーーモーターサイクル業界に入ったきっかけを教えていただけますか?

松原弘:
最初は自転車が好きで、中学生ぐらいからサイクリングをしていたんですけど、その仲間の1人が突然中古のカブ(50㏄の実用車)を買ってきたので、ちょっと空き地で乗らせてもらったんです。そしたら楽で、速くて、これ面白いなって。

そこで、高校生になったら免許を取りに行って、アルバイトで貯めたお金で新車の50ccを買い、親友とツーリングに出かけました。でも、50ccだと30キロのスピード制限があり、走れる距離も限られるんで、今度は中型バイク(400㏄)の免許を取りに行きました。

そんな中、夏休みに本田技研の鈴鹿製作所でアルバイトを募集していたので、1カ月半ぐらい寮に住み込みで働きました。すると、やはり職場にバイク好きが周りに多いんですよね。

土日の休みはレースの応援に行ったり、手伝いに行ったりしているうちに、オートバイへの興味の幅が広がり、モトクロスを始めました。そして、大学卒業後はホンダエスアールという会社に就職して、大阪支店に配属になりました。

初任給は低かったものの、自由で面白い会社で、ショールームでは大好きなバイクや車に囲まれて仕事ができたので、幸せな毎日でした。

創業者、吉村太一氏の人柄に惚れる

ーーどのようなきっかけで貴社の社長になったのでしょうか?

松原弘:
ホンダエスアールの大阪支店で働いていたとき、アールエスタイチ創業者の吉村太一氏が年に何回か来ていました。モトクロスの元全日本チャンピオンで凄く有名なプロライダーだったので私もよく知っていて、支店で会うたびに挨拶を交わしていました。

弊社は当時「アルパインスターズ」という世界的に有名なイタリアのレーシングブーツの輸入総代理店をしていたので、吉村氏に直接お願いして私が使用するブーツを安く売ってもらったんです。

それをきっかけに、どんどん彼の人間性に惹かれて、「僕を会社に入れてくれませんか?」と押しかけて、当時はまだ十数名ほどの小さな会社だったアールエスタイチに入りました。

それからは営業や開発、広告宣伝など、経理以外は全部、本当に自分の好き放題やらせていただいて。そして吉村太一氏は親族に継がせる、というこだわりは全然なかった人なんでね。バイクへの愛情を評価してくださって、2009年に社長を引き継ぐことになりました。

頑張る人を評価すればみんなが恩恵を受ける

ーー社長になってから、どこに一番力を入れましたか?

松原弘:
実際にバイクが本当に好きなので、自分が乗って「ああ、こんなん欲しいよね」というものをどんどん作っていけばいい。だから今まで苦労をしてないんです。一方で、組織的な観点では給与体系の見直しに力を入れました。利益は会社や役員じゃなくて、みんなに返していくという方法をとったんです。

一生懸命頑張って取り組んでる方をどんどん評価したら、結果的に全体の業績が伸びました。そうすることで、そんなに頑張ってない人もその恩恵を受けることで頑張ろうという気になっていきます。

現在は、売上目標を掲げるのをやめて、数字に縛られずに目の前の与えられた仕事を一生懸命やって、新しいことを積極的にやって行く取り組みをしています。新人にもどんどんチャレンジングな仕事をしてもらい、海外出張にも行ってもらって。社員一人ひとりが気付かないうちに成長を遂げてくれることが、うちのマンパワーになっているんじゃないかな。

バイクから「危険」というイメージをなくし、マーケットを広げる

ーー今後どこに力を入れていこうと考えていますか?

松原弘:
やっぱりマーケット自体を大きくしていきたい。そのためには、オートバイの一番の問題=「危険」というネガティブなイメージを払拭することに全力で取り組んでいるんです。「危険」というそのキーワードさえ払拭できれば、ちょっと乗ってみようかなと思う人も増えると思うんです。

そのために、メーカーとしてできることは、やっぱり安全装具を作ること。良いヘルメットを正しく装着して被ってもらうのが一つ。もう一つは胸部プロテクター。これをまず普及させたい。素材選びから始め、形状や機能を独自に開発して、安全性を高めながらできるだけ廉価で提供したい。

この開発に全精力を傾けて、「みんなが安心して安全にライディングできるならばそんなに儲からなくてもいい」という思いで開発しています。若いときに乗り始めて、ライダーの安全が確保できれば、何十年もオートバイに乗り続けてもらえるのでマーケットは確実に広がりますよね。

あともう一つ、女性も大きなマーケットだと考えています。今、女性は全体マーケットの10%もいない。ということは、間違いなくまだ増やせますよね。これはもう当然ながら力を入れていきましょうということで、女性社員に女性目線で商品を開発してもらっています。

弊社の女性スタッフはほとんどがライダーなんです。多くのライディングウェアメーカーは、女性向けの商品を出していても、例えば10種類のモデルの内1~2種類ぐらいしかありませんが、うちはほとんど全モデルにレディースを作っていこうと。女性が安心して男性と同じように好みの商品を選べる。そういう商品展開をしていこうとしています。

モーターサイクルを一つのレジャーに

ーーバイクに興味を持ってもらうために力を入れていることはありますか?

松原弘:
一つはいろんな企業とのコラボですね。たとえば、過去には「バイオハザード」とコラボして、ゲームから入っていただくとかもありましたし、時計のSEIKOやキャップのニューエラとのコラボ、そしてマンダムと共同開発したギャツビー商品「リキッドウインドウォーター」も出しています。

あと、潜在的な顧客の方々に興味を持ってもらうために、直営店舗の近くにオフロードコースを運営していて、そこでのレンタルバイク・レンタルウェアにも力を入れています。手ぶらで来て、ウェア一式とバイクをレンタルして、手軽に一日楽しんでもらおうと。

一般道路だと大怪我したりとか、取り返しのつかない事故になりますけど、クローズされた専用のコースで、しかもアスファルトではなく土の上なので、安心して楽しむ方が増えています。やっぱりバイクに乗るハードルを下げてユーザーを増やしていきたいですね。

編集後記


自転車愛から、バイクの世界への情熱に導かれ、モーターサイクル業界に入った松原弘社長。

「業界関係者が『オートバイっていいよね』って惚れてくれれば、その良さがお客さんに伝わる」と語る。

潜在的にオートバイファンになりうる人や女性ライダーの増加を促進するために、あらゆる課題に取り組んでいる。

「危険」というイメージを払拭するための新商品開発や、異業種企業とのコラボレーションに奔走する取り組みは、業界全体にポジティブな影響を与え続けるだろう。

松原弘(まつばら・ひろし)/1958年大阪府生まれ。京都産業大学経営学部卒業後、株式会社ホンダエスアールに入社し(現在は本田技研工業株式会社に吸収合併)営業を担当しバイク愛の幅を広げる。創業者吉村太一氏の人柄に惚れ、1983年に株式会社アールエスタイチ入社。経理以外ほぼ全ての業務を歴任し、2009年代表取締役社長に就任。現在、一般社団法人全国二輪車用品連合会代表理事として、二輪車アフターマーケットの活性化と二輪車死亡事故撲滅活動にも注力している。