東大阪市に本社を置く森村金属株式会社は、建築用金属建材の製造・販売を行うものづくり企業だ。1950年の創業以来、建築業界における自社製品を「モリソン」ブランドとして確立し、多くの建造物の天井や壁に使用されてきた。今回は2代目・代表取締役社長となった森村泰明氏に、就任までのエピソードを伺いたい。
ゼロから社長へ:森村金属の物語
ーーご入社されてから、代表取締役になられるまでの経緯をお聞かせください。
森村泰明:
1976年に東京の大学を卒業して、同年4月に森村金属に入社しました。当時は学園紛争が各地で起こり、世界的なオイルショックがありまして、どこの会社も大不況でした。父のコネを頼りもしましたが、なかなか就職先が決まらないため仕方なく地元へ帰りました。
森村金属を継ぐといっても、父からは「森村から村を外してゼロからやれ」と言われ、「森」という名前で入社したのです。苗字を父に取られて、いち社員として高校を卒業した方と同じスタートを切りました。
父には結果的に感謝しています。まずは工場で働いて、機械の仕組みや生産工程を学びました。出荷作業やトラックの運転も経験し、あらゆる現場の勉強ができたわけです。
その後は生産管理や出荷の配送管理、営業職にも就きました。全工程を把握していることにお客様は喜んでくださり、「森ちゃん」と呼ばれ可愛がられたものです。入社から5~6年ほど経った頃、東京で営業をやることになりました。
東京での修行と「森村」としての帰還
ーー東京ではどのようなご経験をされたのでしょうか。
森村泰明:
東京の営業部は工事も請け負っていたので、物を売るだけでなく設計士さんや職人さんを動かす必要がありました。
営業所長から「現場のことは自分で勉強しなさい」と言われていましたので、親方に教えを請いました。実際の工事現場に携わると非常に面白く、営業の仕事もはかどりました。
4年間ほど東京で過ごし、いよいよ本社へ戻ることになりました。今度は「森村」の名前で帰ったので、私が社長の息子であることを知らない人は声を上げて驚いていましたね。
開発室の室長を1年ほど勤めて総務に入り、人事に精を出しました。全国の私立大学に願書を届け、自ら就職部へ足を運び、幹部候補を集めました。次の社長はその中から決めるつもりです。
社長就任後のエピソード――プラス思考のリーダーシップ
ーー社内の変化など、社長にご就任された時のエピソードをお聞かせください。
森村泰明:
経理担当や各種役員に就いたのち、1995年8月に代表取締役を任されました。会長となった父は「勝手にやりなさい」と完全に引退してしまい慌てましたが、今ではほったらかされたのも正解だったと思えます。
私は自分の右腕や左腕となってくれる存在を見つけて、社内で色々な相談をしながら、みんなで決めていくことにしました。何事もプラス思考でいれば全てが叶うと思っています。
社員の失敗やミスもポジティブに許します。ただし、物事には原因と結果があるので、報告書には失敗のことは書かないかわりに原因を書かせます。「絶対に自分たちでものづくりをする」という気構えで、経営理念に「自らの創造で社会に貢献しよう」と掲げているため、積極性と責任感のない人間は弊社にはいません。
ーー人事評価や採用活動にもつながるお考えでしょうか。
森村泰明:
そうですね。会社を船に例えると、同じ方角を向いていないと目的地に着かないわけです。目的地に向かう中長期的なビジョンを作り、1年間の企業目標を立て、それに基づいて私が人事評価しています。
年3回、私が1人50分ずつ面談して、給料改定やボーナス支給を決定しています。お互いに納得がいくまで話し合うほか、会社の売上高や人件費もすべて明確に公表しています。
中小企業だからこそ掴めた大きなチャンス
ーー明瞭化による信頼関係は貴社の強みにも感じますが、他の強みについてはいかがでしょうか。
森村泰明:
「世の中にない新しい製品を作っていこう」という、会社としての柱も我々の強みです。お客様が次に求めているものをキャッチするべく、営業担当にも製品を押し売りしなくてよいから、情報を持ち帰ってほしいと伝えています。
弊社はおかげさまで、JR・私鉄関係との繋がりがあります。駅の建物は、設計事務所やゼネコンと、その上には発注元のお施主様がおられます。その施主に営業をかけたことがきっかけです。ダメ元でJRさんへ行ってみたところ、「ぜひうちにお任せください」という流れになりました。
大企業は1年ごとにお金が回らないと仕事になりませんが、弊社のような中小企業は駅建設のプロジェクトに参加して4〜5年後に回収できればそれで構いません。隙間を見つけることが強みでもあります。
マンスリー提案制度から生まれた「サンシャインウォール」
ーー続々と新製品を開発されていますが、ヒット製品の「サンシャインウォール」についてお話を伺えますか。
森村泰明:
弊社では「マンスリー提案制度」と称して、「○○な製品があったらいいな」といった社員の提案を受け入れています。
「サンシャインウォール」は女性事務員の提案から生まれた製品です。「入浴時に外からの視線が気になる」「体のシルエットすら映らない、しかも外の光が入り風も通す、そんな窓が欲しい」との要望を受け、私は「そのうえ外からは絶対に中が見えないが、中からは外が見えると安心だろう」と考えました。
その構造は不可能だと社員に言われましたが、私は折れませんでした。2人の開発担当者をユニバーサル・スタジオ・ジャパンや三重県の伊賀流忍者博物館へ遊びに行かせ、そこでヒントを得てもらったのです。内側からのみ外の景色を視認できるよう、小窓にカラクリをしつらえた新製品を完成させました。
我々が思いついても、販売価格の高さなどがネックとなり製品化されないケースは多々あります。それでも、今後も積極的に新製品を開発していきたいと考えています。
編集後記
利便性が高く、オンリーワンな新製品を世間に届けるべく、日々アイディアを光らせている森村社長。私達に刺激を与えてくれる類稀な発想力と軽快なトークは、2023年5月からスタートしたラジオ番組「モリソン 明日に向かって」(ラジオ大阪OBC)でも楽しめるとのことだ。
森村泰明(もりむら・やすあき)/1953年大阪市生まれ。1976年3月に東京・中央大学経済学部を卒業。1976年4月、父が経営する森村金属株式会社へ入社。1988年7月、取締役へ就任。1995年8月に代表取締役社長へ就任。