株式会社佐藤製作所は、「銀ロウ付け」という溶接技術をはじめ、金属加工全般を幅広く手がける会社だ。同社の技術力は、さまざまな業界から高い評価を得ている。日本では多くの分野で職人の高齢化が進んでいるが、銀ロウ付けの技術を受け継ぐ同社は、この問題にどのように立ち向かっているのか。常務取締役の佐藤修哉氏に、銀ロウ付けの技術を活かした事業の戦略や強み、さらには今後の展望などの詳しい話を聞いた。
「結果が出てきたのは10年ほど経ってから」業界の知識ゼロから会社を経営
ーーどのような経緯で佐藤製作所を承継したのですか。
佐藤修哉:
会社を継ぐことを決めたのは、28歳までフラフラと生きてきて、特にやりたいこともなくこのままだとダメな人間になってしまうという危機感から、1度腹をくくって真剣に家業を頑張ろうと思ったからです。とはいえ、会社の実態や仕事内容の事は全く分からなかったため、まずはあらゆることを知り、勉強するところから始めました。入ってから、赤字が10年続いていることや、超高齢化が進んでいる危機的状況だということを知りました。
2、3か月にわたる後継者育成合宿で経営の基礎について学び、金属加工についてはお客様やベテラン社員から話を聞きながら学ぶようにしました。
ーー常務取締役に就任後、どのようなことに取り組みましたか。
佐藤修哉:
まずは、①赤字をすぐにでも食い止めること、②若い人材を獲得すること、の2点に全力を注ぎました。どちらも深刻な状況でしたので、余裕は全く無く、待ったなしでした。就任当初はまだ社内に一体感がなく、何か施策を掲げたところで上手くいかないことがほとんどでした。
そのため最初の数年間は、施策を掲げてチームで取り組むというより、僕一人で仕事を進めることが多かったですね。具体的には、赤字を食い止めるために支出を減らし、収入を増やすことに注力しました。
弊社は中小企業なので、僕一人が新たにお客様や受注を獲得するだけで、分かりやすく数字として結果に反映されました。ただ、利益を出しづらい案件などもとってきて、最初の頃は周囲からひたすら怒られていましたね。新しい案件への抵抗と、その仕事をやったところで評価や待遇が変わらない事などが理由でした。
不良品が減り、適正な利益が出る仕事について僕自身が分かるようになったのは、会社に入社して5年ほど経ってからです。その間に新たに入社した若手社員たちの責任感も育ち、不良品が出たときに「自分のせいじゃない」とする他責思考の人も少なくなっていきました。
後継者不足で廃れつつあることを強みと捉え、あえて「銀ロウ付けの会社」としてPR
ーー貴社の事業内容を教えてください。
佐藤修哉:
弊社は銀の含有率の高いロウ材を使用する「銀ロウ付け」という接着技術により、さまざまな部品を製造している会社です。パソコンやスマホ、無線通信、美術・工芸関連などの分野に弊社の部品が使われています。特に、医療系や通信インフラ系での活用が多いですね。銀ロウ付けは手作業で行うもので、男女問わず挑戦できることから、最近は女性の希望者も増えています。
一般には流通していない商品をつくっているため、銀ロウ付けという技術があることや、銀ロウ付けを活かした仕事があることを知っている人はあまり多くありません。そのため、ものづくりが好きな学生が集まる学校へ足を運び、会社や技術に関する説明会を頻繁に行っています。こうした地道な活動を10年ほど続けたことで、女性も含め銀ロウ付けに興味を持ってくれる人が増えています。
ーー会社の強みはどういった点にありますか。
佐藤修哉:
銀ロウ付けの技術自体が非常にニッチで珍しく、手がけている会社が少ないことが強みです。後継者不足の問題などから銀ロウ付けを行う会社は減っているため、弊社のような銀ロウ付けをあえて売りにしている会社は目立っています。
ただ、僕たちは最初から「銀ロウ付けの会社」としてPRしていたわけではありません。最初は「金属加工であれば何でもできる会社」として宣伝していました。しかし、アピールポイントがなければ仕事が増えないことに気づいたのです。そこで、他社と差別化しながら、PRできるようなものが会社にないか探した結果、銀ロウ付けの技術に辿り着きました。
自分たちにしかできない仕事を増やすことでオンリーワンを目指す
ーー貴社の社風について教えてください。
佐藤修哉:
僕は社員たちに対して、後悔しないように生きてもらいたいという強い思いがあります。そのため、社内は仕事をしっかりやりますが、プライベートも優先しやすい雰囲気ですし、社員たちもどんどん有休を取得する自由な社風です。何より、僕が家族や子供の予定で休みを取ることが多いです。
会社の利益と自由な社風の両立には難しさも感じますが、その点についてはしっかりと両立できるように努力していく必要があると考えています。
ーー最後に、今後の展望を聞かせてください。
佐藤修哉:
社員たちには常日頃から「ほかの会社にできない仕事、ほかの会社がやりたくない仕事にチャレンジできるようになろう」と伝えています。弊社にしかできない仕事をどんどん増やして、収益性を上げていくことが目標です。世の中のニーズを拾える組織体制を整えて、そのニーズの中で希少価値の高いものを一つずつ形にすること。この積み重ねによって、オンリーワンの会社を目指します。
編集後記
さまざまな業界で職人の高齢化が進み、佐藤製作所の銀ロウ付けも同じ状況にある。佐藤社長は若者向けに銀ロウ付けの説明会を行うなど、目先の利益だけを追求するのではなく、技術の継承という側面まで考えて事業を運営している。熱い思いを持つ同社長の努力が実を結び、銀ロウ付けに興味を持つ若者たちがどんどん増えてくれることに期待したい。
佐藤修哉/1986年生まれ。東京・目黒区の学芸大学で生まれ育ち、目黒区立鷹番小学校から中学受験で慶應義塾普通部に入学。慶應義塾大学理工学部電子工学科を卒業後、大学院に進学。修了後、IT企業を経て2014年に祖父が創業した株式会社佐藤製作所に入社。若手社員とのコミュニケーションと2人の息子の世話に励む。