商品自動車の輸送を行う東洋陸送社は創業して70年以上の歴史を持つ。業界でもトップクラスの長い歴史の中で、創業当時から物流の安全と効率化を図ってきた。
地に足を付けた堅実な経営で会社を発展させている別所仁社長に、社長になるまでの若き日についてや、東洋陸送社のモットー、2024年問題に関する考えなどについてうかがった。
厳しい下積み生活がスタート
ーー社長は以前、佐川急便にお勤めだったんですよね。
別所仁:
はい。父が弊社の社長だったので、いずれは自分が継ぐものだと思っていました。しかし、ある時、中学の先生に「お前には社長になる器を感じない」と言われてしまったのです。勉強が嫌いだったので大学に行きたいとも思えず、高校を卒業するというときも自分がやりたいことが見つからないままでした。
そこで、「親の力を借りずに、死ぬほど働いてやれ」と佐川急便に入ったんです。当時は配送業者の現場はかなり厳しく、仕事は根性と気合いでやるものだという精神論で育てられました。
厳しかったですが、仕事に対する向き合い方を身に付けられたと思います。
現場で覚えたことを仕事の糧に
ーーその後はすぐに貴社に入社されたのでしょうか。
別所仁:
23歳頃に初めて将来について父と話して「俺の跡を継ぐ準備をしたらどうか」と言われました。そこで、準備のために父の知り合いであった京浜運輸で修業をすることになったんです。
仕事はけっして楽ではありませんでしたが通用して、すぐ役職をもらえるようになりました。当時の社長は10年ほど前に亡くなってしまったのですが、まさに僕の恩人でいろいろ教わりました。お金の大切さだとか、人間としての振る舞いとか。今は奥様が社長をされていますが、仲良く交流させてもらっています。
若い頃は失敗ばかりで恥ずかしいことも多かった
ーー貴社に入社してからは順風満帆だったのでしょうか。
別所仁:
30歳前後で弊社に入るのですが、まだ人間ができていなかったようで、ちょっと失敗しました。人についてきてもらうには、声が大きいだけじゃダメだということが分かっていなかったんですね。
結局、もう一回、外へ出ろと父に言われ、同業の会社に出向しました。そこの社長がまた厳しいんですけど人間味がある方でね。
人のつながりを大切にする会社で、いくら自分だけで頑張っても周りがそれを支えてくれなければ、何もできないということを学びました。
昔を思うと、恥ずかしいと感じることや、後悔することがいっぱいあり、当時の自分は多分クズだったと思います。でもクズで終わらないように、振り返っては反省するということをしていて、それが今につながっているかもしれません。
ビジネスにおいて重要なこととは
ーーその後、再びお父様から呼び戻され、2013年に社長に就任されました。苦労された点や大切にされていることについて教えてください。
別所仁:
この仕事って他力本願なんですよ。自社で何かを作って売るわけじゃなく、他社が作ったものを運ぶ。1台当たり4000万円もするようなトレーラーを持っていても、依頼がなければ使い道がなく、1円も稼げません。そういう商売なんです。コロナ禍では特に苦労しました。
ただ弊社は地に足を付けた堅実な経営が功を奏し、これまで発展してきました。会社がうまくいって急に大金を持つと、余計なことに手を広げたがる人もいますが、弊社は父親の代からそういうことはせずに、本業一筋で事業を展開しています。おかげさまで、今日のように成長できたと思っています。
ーー社長の経営方針としては、事業を多角的に広げるのではなく、今の事業に今後も力を入れていくということでしょうか。
別所仁:
今、本業でやるべきことをぐらつかせてまで、他への投資はできないということです。もちろんこれから先、チャンスがあれば何かにチャレンジする可能性はありますけど、まずは本業をきちんとやるということに、これからもまい進していきたいと思います。
会社には従業員の家族への責任もある
ーーところで先ほど、一度貴社に入社された後、お父様から再び他に修業に行きなさいと言われたとのことでしたが、その当時、何が足りなかったとご自身ではお考えでしょうか。
別所仁:
結果を出そうとあせってしまったんです。だからいろいろ失敗しました。投資の仕方も分からないのに、勝手にやってしまったり。
父の考えは、経営者というのは自分のことも大切だが社員やその家族のことも考えなければならないというものです。周囲の面倒をよく見る“あしながおじさん”みたいなところがありました。その父からしてみれば、私の失敗が社員の家族を路頭に迷わすことになりかねないわけで、見過ごせなかったのでしょうね。
父がよく言っていたのは、従業員が困っていたら親身になってちゃんと聞いてあげなさいということです。今は私も同じように、会社と社員は運命共同体だと思っています。
2024年問題に向けての取り組み
ーー2024年問題に向けてすでに取り組んでいらっしゃることはありますでしょうか。
別所仁:
コンプライアンスを遵守するのは、メーカーとお取引するにあたって当たり前のこと。基本中の基本ですから、きちんと準備しています。
2024年問題といってもやるべきことは、一般的に当たり前と言われることが多いんです。新しいルールと照らし合わせて足りていない部分については、守れる仕組みを整えるように進めています。
また、自分たちだけではできない部分についてはお客様に相談して協力していただきます。たとえば運賃について「もっと高くないと人を集められない」といった交渉は難しいものですが正直にお伝えしています。
今は9割方、2024年問題に対応する準備は整っています。
ドライバーの採用のためにすべきこと
ーー採用強化について取り組まれていることを教えてください。
別所仁:
ドライバーの確保には労働時間の短縮、残業時間の削減とともに、職業としての地位向上を図ることも大切です。そして稼げるようにすれば、自然と人は集まってくると思います。弊社は人への投資を行っていますが、応募数は実際に少し増えています。
待遇が良ければ仕事で少し辛いことがあったときでも、踏ん張れると思います。そういう仕組みをつくると同時に、従業員は家族だという思いを伝えることが大切です。
百年企業を目指して
ーー社長は百年企業を目指すとおっしゃっていますが、それには何が必要だとお考えでしょうか。
別所仁:
同業他社を見てみると、弊社より長い歴史を持つ会社がなかなかないんですね。これはチャンスだと考えています。
私の代で達成できるかは微妙なのですが、百年企業を目指してバトンをつないでいきたいと、専務をはじめ社員にも話しています。じゃあ、それをどうやってつなぐんだ?ということですが、努力しかないんです。百年企業を夢のように語るんじゃなくて、現実的なところで、地に足を付けてやっていくことが重要だと思っています。
編集後記
厳しい下積みと周囲の人との出会いで大きく成長ができたという別所社長は人と人のつながりを大切にし、従業員を守ることをモットーとしている。さらに、ドライバーの地位向上を進めたいという経営者の想いが、これからの運送業界を大きく変えていくのかもしれない。
別所仁(べっしょ・ひとし)/1965年7月11日生まれ。1985年に佐川急便、1989年に京浜運輸に入社。1999年に東洋陸送社に入社した後、2004年に東和運輸倉庫へ出向。2013年に東洋陸送社社長就任。