※本ページ内の情報は2023年12月時点のものです。

高強度ボルトメーカーとして、独自の実績を積み上げている月盛工業株式会社。東京・六本木ヒルズ建造をはじめ、数々のビッグ・プロジェクトで単独受注納品を請け負ってきた。

時代の流れで廃業に追いやられた勤務先の基盤を生かし、リスタートした代表取締役社長の塩川純一氏。その稀有な発想力や手腕に迫りたい。

学生時代の顧問の言葉「責任感の強い馬鹿者になれ」

――どのような幼少期や学生時代をお過ごしになったのでしょうか。

塩川純一:
私は末っ子の長男でして、4人の姉に囲まれて育ちました。銀行員だった父の真面目さを引き継ぎつつ、大胆なことをやる性分だと自分では感じています。

中学・高校時代はバスケットボール部に所属し、大阪府下で優勝するなど青春を謳歌しました。体力の基礎はその頃にできあがり、70歳を過ぎた今も年を感じず健康を保っています。

中学の部活動の顧問が「責任感の強い馬鹿者になれ」とよく表現していたのが印象的でした。年を重ねてから、「人から馬鹿と言われても責任を果たしなさい」という意味なのであろう、と理解しました。

勤務先の廃業を乗り越えた先の大躍進

――社長として事業を動かすに至るまで、ご苦労が多かったと思われます。

塩川純一:
1985年に、私が勤務していた前・月盛鋼業が廃業しました。当時は対アメリカ向け輸出用のボルトを製造していたのですが、後進国の追い上げによってボルトメーカー全体で倒産や廃業が相次いでいました。

廃業の約2年後、残った設備を数億円で買い上げて事業をスタートしました。もともとは月産1500t、70人程度いた会社ですが、10人足らずでの再出発です。

それからの10年間は無我夢中でした。利益が出る会社かどうかも分かりませんでしたが、従業員の給料だけは払えるようにという点はクリアしてきました。

20年目以降は会社の安定について考え、jis認定工場や大臣認定といった「国の許認可」取得に力を注ぎました。30年目以降に利益を出すため、競争力を強みにしました。例えば、他社では生産量が一人頭12t程度のところ、私たちは20tの生産が出来るよう工夫しました。

――生産量の差は何によって生まれるのでしょうか。

塩川純一:
生産効率をあげるための商品の選定をしました。例えば、1回転で1つの製品を作れる機械では、標準品の3倍の大きさの物を作るようにしました。そうすることで製品重量としては、標準品の3倍の生産性を生み出すことができました。

標準品のメーカーは数千社ある一方で、大きなもの・強度の高いものに対応できる企業は大阪でも2~3社でした。供給側が少ないということは、出荷量が少なくても一定量の仕事が確保できます。

当時は資金力がないため無在庫販売に徹し、受注生産で素早く納品できる体制をとっていました。

日本における冷間圧造製造のインスピレーション

――2018年に日本最大の大型ボルト冷間圧造機M36を導入されました。どのようなお考えがあったのでしょうか。

塩川純一:
ボルトの製造方法は「冷間圧造」と「熱間鍛造」の2種類で、冷間圧造は常温で精度の高い製品を量産できるというメリットがあります。大型機の導入によるコスト・納期の違いは明らかです。将来的に、洋上風力発電用ボルトを安価で供給することも見込んでいます。

――大変高価な機械かと存じますが、このような大きな決断は社長お一人でされるのでしょうか。

塩川純一:
いつも5人の幹部社員に意見を聞き、了承を取り付けます。80歳の現役工場長は私の右腕です。反対意見があったとしても良いものだと思えば進めていくべきですけれどね。

企業が放つ創造性と今後を探る

――塩川社長が目指す、社長や企業の在り方についてぜひお聞かせください。

塩川純一:
常に創意工夫していくことでしょう。家でテレビを見ていても、ちょっとしたことが仕事に活かせるアイデアとなります。

鉄鋼業界は「10年スパンのうち7年間は景気が悪い」というのが一般理論です。私は景気が良い時にこそ、悪い流れになる時のことを考えてお客様とやり取りしています。

社会貢献や奉仕活動ができる企業でもありたく、最近では銀行の「SDGs私募債」を活用して地元の学校にドラムセットを寄付し企業のブランド力を高めることに努めております。

後継者の育成とさらなる生産品質の向上

――後継者についてはどのようにお考えでしょうか。

塩川純一:
社内に身内はおかないため、後継者は工場従業員から選ぶつもりです。有望な人材もおり数年で業務を譲渡していきたいと考えております。

教育や品質向上については、大手メーカーの元技術者など業界経験者にも相談しています。ものづくりは数年で会得できるものではなく、私たちの機械は20~30年でやっと熟練の部類に入ります。生産管理者の教育が永遠のテーマかもしれません。

社員には、苦しい時に「つらい顔」をするのは仕方ないが「嫌な顔」をしてはいけない、と伝えています。これは仕事でも家庭でも、どの分野でも言えると思います。

編集後記

会社のトップでありながら製造の応援部隊であり、出荷の担当者でもあり、現在は管理者教育まで行っているという塩川社長。

「つらい顔は仕方ないが、嫌な顔はいけない」という言葉から、困難を乗り越えた人間が持つ説得力と責任感の強さを感じるインタビューとなった。

塩川純一(しおかわ・じゅんいち)/国内初のハイカーボン鋼35℃冷間圧造に成功した「月盛鋼業」に勤務。1984年、社名を改め「月盛工業株式会社」を設立。八尾市竹渕西に本社工場(国内向け専用工場)を置く。2012年9月、「エコボルトと鋼材削減の工夫」において大阪府ものづくり大賞、優良企業賞を受賞。2021年、高力ボルトの緩み防止機能を有する製品の研究開発を経済産業省より採択される。