株式会社三共製作所(大阪市)は給湯器の部品メーカーとして1955年に設立された。立ち上げ当初は90%給湯器に依存していたが、技術革新を重ねながら他業界に進出してオールラウンドメーカーへと発展してきた。
独自の加工技術が高い評価を受ける一方、近年は人材サービス業などにも力を入れ、多面的な経営を加速させている。
人材サービスの背景となる国内の外国人労働者数は、2022年に前年比5.5%増の約182万人となり、届出が義務化された2007年からほとんど減ることなく増え続けている。人口減少を抱えて労働力の補充が喫緊の課題となった日本では、外国人雇用の伸びは自然な流れといえる。
1998年から三共製作所の舵取りを担ってきた代表取締役社長の松本輝雅氏に、就任時代やこれからの展望について話を聞いた。
眠れない日が続いた社長就任時代
ーー入社までのいきさつと入社後のご経験について教えてください。
松本輝雅:
会社は生まれる前からあり、「お前はここの社長になる」と言われて育ってきましたから、子供の頃からそういう自覚はありました。学生時代の就職時には他社に内定をもらっていましたが、自分より先に母が断っていたりして、結局は家業に入ることになりました。
入社後は製造、資材、品質管理と会社の部署をまんべんなく経験しました。その中で、歳が一回り上の外注先の経営者の皆さまとの親交が深まったのですが、その方々から会社の経営や仕事のいろんなことを勉強させてもらったのは大きかったですね。
ーー社長に就任なさってからはいかがでしたか?
松本輝雅:
40歳くらいで専務になってから、すでに社長と同じ業務をしていました。ところが実際に社長に就任してからは眠れなかったですね。
専務の時は、自分が決めたことは社長を経由して、承認を得て進んでいく。一方で社長になった途端、決めたことがダイレクトに進んでいく。スピード感はあるけれど、同時に怖さもあるんです。誰も止めてくれないという怖さです。
そういうプレッシャーと闘っていましたから、就任から3年でげっそり痩せましたよ。
好奇心の賜物である人材サービスと加工技術について
ーー人材派遣事業について教えてください。
松本輝雅:
現在は加工事業だけでなく、人材交流・派遣への取り組みに注力しています。
私はもともと好奇心が強く、人のことを「知りたがり」なんです。30歳の頃に「1000人の友達をつくる目標」を立てて実際に達成しました。その時、役に立てればと思い、知り合った人をまた別の人にマッチングさせて、紹介し始めたんです。
それが人材事業の礎になったのでしょう。今では世界中に人脈ができたおかげで、人材に困ることはないですね。フランス、スペイン、キルギス、ウズベキスタンを一例に、どんな国の人材でも紹介することができます。
ーー加工技術面の強みはいかがでしょうか。
松本輝雅:
他社との差別化ポイントは多くあります。異形品を機械で加工する時にどこかをつかむ必要があるのですが、大抵は丸いものしかつかめない機械が多い中で、弊社の技術では変幻自在にどんなものでもつかめる特長があります。三角でも丸でも、練ったものも含めてすべてです。これができるのは国内に10社ぐらいありますが、そのうちの1社が弊社です。
また精密切削加工には特に自信があります。チタンを含めてどんな材質でも削ります。以前は銅など簡単なものを扱っていましたが、現在は逆に難しい素材ほど歓迎しています。
普通、下請けというとどこかの下で仕事をもらいますが、私たちは数ある仕事から選んで受注しているので、人からはそうは思われていません。安い仕事はあえて選ばずに、難しい仕事を集めていると言っても過言ではありません。
介護業界への人材サービスを推進
ーー福祉方面に着目されているとお聞きしました。
松本輝雅:
介護業界は慢性的な人材不足に陥っていますから、介護施設に外国人を派遣する人材サービスに力を入れていく方針です。
知り合いに介護方面に詳しい方がいまして、「ノウハウを全部提供するから始めるときは教えて」と言ってもらいました。あとはオペレートの部分を勉強し、進めていく予定です。
介護系の仕事は「人が持つノウハウ」が重要になりますから、外国人に施設のスタッフとして育ってもらって、会社としてもその分野で活躍の場を広げていく計画です。
編集後記
これまでに他業種への進出を数多く果たしてきた松本社長は、現在も全国で「生産革新セミナー」を開催するなど、多角的な活動を続けている。
会社を大きくしたいかの質問には「大きさよりも内容を高度にしたい。そしてこれが面白いからやろうというアイデアを皆で普通に出せる会社にしたい」と変わらず優しく丁寧な口調で話した。
この先も引き出しの多い同社長と三共製作所を追いかける楽しみは尽きない。
松本輝雅(まつもと・てるまさ)/1955年5月7日生まれ。1979年3月関西学院大学経済学部卒業。2015年3月同志社大学大学院博士課程後期修了(技術・革新的経営博士)。1979年3月三共製作所㈱入社。1998年代表取締役に就任。社長就任頃から給湯器メーカーから脱却し、自動車・センサーなど他業界に進出した。