家業の東京カリント株式会社の事業に本格的に乗り出した後に直面したのは、ゼロからの組織づくりだった。
会社の土台を作り、市場における認知度向上の努力を通じて、会社を成長させた社長のここまでの道のりを振り返りながら、おいしいかりんとうづくりへのこだわりと、100周年に向けての展望に迫った。
会社の組織整備をゼロから手掛ける
ーー入社当時は、まだ職人さんが手作業で仕事をするような時代だったとうかがいました。そこから組織整備をされたご苦労についてお聞かせください。
西村光示:
私が入社した頃は、ちょうど個人商店から個人会社へと切り替わる時期だったように思います。入社後は、組織づくりが大きな課題でした。規定もマニュアルも何もないところから、つまり、ゼロといっていいところからのスタートでしたので、まさに1から組織をつくり上げてきたのです。
何人か味方をつくって手伝ってもらって、組織や仕組みを整えていきましたが、苦労も沢山ありました。
当時の職人さんの中には、新参者に対して「気に食わない」「なんだ??」と思った方もいたわけです。「俺らは数字をみて仕事するわけじゃない」なんてね。なかなか分かってもらえないこともありました。そんな中で根気よく説明して、納得してもらって、徐々に仲間を増やしていきました。
ーー社長自ら品質管理部署を立ち上げた、ということですが、背景と経緯はどのようなものだったのでしょう。
西村光示:
会社の仕組みを整備する中で出遅れていたのが品質管理でした。立ち上げは20年ほど前のことです。世の中の動きを見ても、私は「品質管理をしっかりしないとダメだ」とひしひしと感じていたので、完成形はないと考え、今日に至るまで、品質管理部というセクションを少しずつではありますが強化してきました。
品質管理はまだまだこれから成長しなければならないセクションだと思っています。今でも、成長の途中です。
他の組織も、「今のままでいい」といった妥協はせず、常に変化していく必要があると思っています。成長していく過程の中で、組織というのは常に変化して行くべきものだと考えています。
ーー貴社の理念やモットーをお聞かせいただけますか。
西村光示:
何よりも「おいしいかりんとう」をつくりたいというのが、祖父の代からの考え・モットーです。食べ物ですから、お客様が本当に美味しいと感じていただけるものをつくり、美味しいものをお届けしたいという思いが今も昔も我々の原動力です。
200円くらいの商品が中心です。「それいけ!アンパンマンおやさいかりんとう」は、小さなお子さまにも安心してお召上がりいただきたいという思いから原料をこだわり抜いていますが、お子さまたちにまずはかりんとうを食べてみてもらいたいという思いから、お試しいただきやすい価格帯で展開をしています。ヘビーユーザ-の方に向けた商品では300円を超える価格帯のものもあり、原料にこだわりにこだわり過ぎた結果、この価格となっています。
弊社では原料選びからこだわっているものが多いですね。祖父の時代につくった「蜂蜜かりんとう」が代表的な商品です。
蜂蜜かりんとう誕生秘話
ーー「蜂蜜かりんとう」誕生までには多数の工夫があったとのことですが、どんな工夫があったのでしょうか。
西村光示:
かりんとうの生地は生き物です。生地は発酵するので、気温や湿度で違うものができます。戦後すぐの頃のかりんとうは、硬くて満足がいく味のものが少なかった。その中でもっとおいしいものをつくろうという思いがありました。
祖父は天ぷら屋さんの揚げ方を参考にしていました。2度揚げだとか、温度の調節だとか、工夫をしながら改良はできたのですが、どうしても1本1本の仕上がりにばらつきが出てしまう。
試行錯誤の末、蜂蜜を利用することでばらつきが少なくなることを突き止めました。戦後、蜂蜜は高級食材でしたが、今よりもかなり甘いものが求められていた時代でしたから破格の高品質で提供し、その美味しさから人気商品になりました。
さらに、主原料に弊社こだわりの小麦粉を使ったり、油も米油に変えたりと、常に高みを目指し続け、今の蜂蜜かりんとうになっていきました。
ーー創立70周年の記念「ギネス世界記録™」のエピソードをお聞かせください。
西村光示:
かりんとうといえば、「例の黒いかりんとうしかない」くらいに思っている方もいらっしゃいますね。しかし、それだけではお菓子のカテゴリーの1つとして認知してもらえなくなると考え、弊社では毎年毎年、売れなくても新商品を必ず出すようにしました。
昔ながらのお菓子をそのまま作り続けるだけでは時代の変化に取り残されることもあります。「スーパーから消えてしまった昔ながらのお菓子はいろいろとありますが、かりんとうは今も売っている」。その違いはこういう努力の積み重ねからです。
創立70周年には、それまでいろいろな方の協力があって、かりんとうづくりに取り組んでこれたことへの感謝を「何かの形で表したい」と思っていました。ところが、コロナショックでパーティなど、大勢で集まることができなくなってしまいました。それで「ギネス世界記録™で行こう!」ということになったのです。社員が「挑戦したい」と企画したもので、世界最大のかりんとうを製作してギネス世界記録に認定され、おかげさまで大きな話題になりました。
100周年に向けては、お子さまにもっとかりんとうを食べてもらいたいと思っています。
小さいころからかりんとうに触れる機会を増やすことが、日本のお菓子文化のひとつであるかりんとうの将来のためになるという思いから、お子さまに人気の「それいけ!アンパンマン」をパッケージデザインに使用しています。
また、もっと色んな方にかりんとうを楽しんでいただきたいという思いで、神田明神境内のカフェに砕いたかりんとうを使用したメニューを提案し、展開してもらうなど、様々な業種・企業様との取り組みにも力を入れています。
会社創業100周年に向けての展望
ーー100周年に向けてのゴールは、どういったものでしょうか。
西村光示:
売上など、単純な数値の目標は、しっかり事業を行っていれば達成の見通しは立つものです。それより目標としたいのは、顧客にとっても従業員にとっても、「より良い会社」にすることです。良い会社なら、従業員が「自分の子供も弊社に入れたい」という気持ちになると思います。従業員は会社の良い面も悪い面もよく知っているので、本当に自分の子どもを入れたいと思ってもらえるようになるのは難しいことです。
60億、70億円と稼げる企業というのは「良い企業」だと思います。ただ、30億円でも「良い会社」はいっぱいあると思うんですね。なので重要なのは売上だけではなく、人として「良い会社」だと思える会社であることが重要だと思っています。そういった思いが強い会社さんは「良い会社」なのかなと思いますね。
実際に、弊社でも従業員の子どもさんが入ってきていることもあります。今、従業員は約300名くらいいて、一番若い従業員は高卒からで、中途も多いですよ。しかし、10代、20代の数自体、工場勤務がある所などでは減っていることも実感しています。
ーー20代からの成長に対して、社長の思いをお聞かせいただけますでしょうか。
西村光示:
特に夢は応援したいですね。そう思いながら話をする機会を設けています。
たとえば、自分で目標を掲げて、壁を乗り越えていくためには今まで通りのことをやっていてはだめなんです。「着実に積み上げる」という部分は確かに大事で、基本だと思います。でも、「時には熱い思いをもって思い切った挑戦をしないとだめな時もある」と伝えています。
つまり、時には、自分自身で状況を打破し、勇気を持ってチャレンジをする。このような果敢な気持ちを持ってほしいということです。僕らはそんな挑戦を応援してサポートしなければいけない、と思っています。
ーー最後に、貴社が求める人物像とは?
西村光示:
まじめなのが一番ですね。あとは思いやりだと思います。
仕事って、誰かほかの人にやってもらう場合もありますよね。そのとき「こうしてね」とだけ言う人がいる。一方、インプットからアウトプットの方向性まで示すことができる人もいる。こうして言葉だけではない思いを示せることが「思いやり」というものですよね。
就職活動で多くの方が口にする「社会に貢献したい」という思いは、とても立派なものです。ただ、一歩進めて、「みんなの力が合わさって仕事は成り立っている」ということを受け入れることができるかがポイントではないかな、と考えています。
「私はできるんだ」という奢りを持っていると成長しない。業務を進めるうえで、自然と人との連携・つながりを考えられるかどうかという部分は、とても重要だと思っています。
編集後記
「個人商店」からの脱却をリードした西村社長は、正確な仕事ぶり・まじめな仕事ぶりが何よりと語る。しかし、ここぞという挑戦の際には、熱い思いを西村社長が後押しをするという。今後の東京カリントの挑戦が楽しみになるインタビューだった。
西村光示(にしむら・こうじ)/1971年京都府生まれ。慶應義塾大学卒業後、株式会社菱食(現三菱食品株式会社)に入社。同社退社後、1998年に東京カリント株式会社に入社。2014年に同社の5代目代表取締役社長に就任。現在に至る。2021年10月の巨大かりんとうの製作ではプロジェクトの総合プロデューサーとして指揮を執った。