さびれたシャッター通り、バス路線の廃止。東京が栄える一方で、地方はますます青息吐息。もはやよくある光景で、諦めている人もいるのではないだろうか。しかし、「そんな日本を活性化させたい」と起業したのが、株式会社みらいワークスの代表取締役社長である岡本祥治氏だ。プロフェッショナル⼈材に様々な挑戦の機会を提供することで、地⽅創⽣やスポーツビジネスの推進にも取り組んでいるという。プロフェッショナル人材に様々な挑戦の機会を提供することで、⽇本を発展させる事業について、岡本社⻑にうかがった。
47都道府県を旅してわかった、地方の衰退
ーーねぶた祭りを見て、起業を決意したとお聞きしました。
岡本祥治:旅行が好きで、海外をいろいろと回っていたのですが、意外と日本については知らないことが多いと思ったのが始まりです。そこで、日本史を勉強するより実際に訪れようと、全都道府県を巡る旅をしました。
山陰・山陽の豊かな自然、東北の歴史と文化、北陸の食文化など、日本には素晴らしい魅力がたくさんあります。
一方で、地方の経済が衰退していることも実感しました。県庁所在地の場所でさえも、駅前なのに閉店している商店が目立ちます。しかし、バイパスや県道沿いにはイオンモールなどの大型商業施設が立ち並んでいるのです。
大きな資本が強いのはわかりますが、私は大きな違和感を覚えました。「日本らしさや伝統を活かしつつ経済を発展させる方法はあるのでは」と考えるようになったのです。自分がやりたいことは日本を元気にすることなのだ、と気づきました。
ある夏、私は青森県でねぶた祭りに参加しました。祭りは3日間行われ、優秀なチームだけが最終日に追加で踊ることができます。そこで私がついて回っていたチームの大将が「1年間この日のために生きてきただろう!」と本気で熱く語る姿を目にしました。地方には娯楽が少なく、祭りで出会って結婚する人も珍しくありません。その町の人々は1年をかけて祭りの準備を重ね、開催の瞬間を待ちわびています。ねぶた祭りの熱さに比べ、私の生活は充実していないと身に沁みました。「自分も何かしたい」と、ねぶた祭りの翌日、起業を決意したのです。
なんとなく入った外資系コンサルは学びと競争の世界だった
ーーどのような学生時代だったのでしょうか?
岡本祥治:慶應義塾大学の理工学部出身ですが、学生時代は遊んでばかりで、テスト直前に過去問題集を解いて済ませていました。ほとんどの人は大学院へ進学しましたが、私は就職すると決めました。当時はやりたいことがなく「短期間で自己成長できる業界に進みたい」と考えたからです。なかでも1番人気があった外資系のコンサル業界を選び、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア株式会社)に入社しました。
新卒入社者は入社月を選ぶことができます。私は最後が良いと7月に入社したのですが、これが失敗でした。同期の人たちは非常に優秀な人ばかりで、3月入社者とは完全に差が開きました。自分の未熟さに焦ると同時に、彼らに負けたくない競争心が芽生えたものです。この環境での仕事は非常に刺激的で、ITや戦略コンサルの知識をとても深く学ばせていただき、大きな成長の機会になりました。
年収1000万円を掴むために、ベンチャー企業へ転職を決意
ーーその後ベンチャー企業に移られていますが、きっかけがあったのですか?
岡本祥治:偶然、役員クラスの知人から誘いを受けて転職しました。理由は2つあります。
1つは当時2005年で、ホリエモン(堀江貴文氏)やサイバーエージェント、楽天などがメディアで注目されるなど、新興市場が非常に魅力的に感じられたことです。もう1つは20代で年収1000万円を得たかったからです。このままアクセンチュアで働いても、後数年かかると思い転職しました。結局、アクセンチュアには丸5年在籍しました。
転職先の会社は実に多角的なビジネスを展開していて、子会社は二十数社ありました。ウェブのセールスプロモーションやコインパーキング、コールセンター、香港の上場会社、広告代理店など、ありとあらゆる事業を行っていました。私は経営企画部に配属され、事業管理やさまざまなプロジェクトに携わりました。
先述した“自分探しの旅”に出て起業を決めたのもこの頃で、会社勤務と並行して準備を進めたのです。
フリーランスの友人に仕事を紹介して感謝される
ーー起業にあたり、具体的な事業内容を決めていたのでしょうか?
岡本祥治:いいえ、成り⾏きで始めたので、特に事業内容を決めていたわけではありません。必死で営業活動をし、2年ほどで徐々にフリーランスのコンサルタントとして仕事の依頼が⼊るようになりました。この頃に、ちょうどリーマンショックが起きましたが、ありがたい話に自分一人では対応しきれない程のお仕事をいただきました。そこで、仕事がなくて困っていた友⼈に仕事を紹介することにしました。
しかし、あるとき、⽉150万円の仕事をいただいているクライアントから「岡本だからこの金額を払うのであって、違う⼈なら払えない」と⾔われました。結局、私が仕事を受注し、友⼈に業務委託をする形で納得してもらいました。友⼈が契約不履⾏になった場合、その責任を私が引き受けるという、現在のビジネスモデルの原型となりました。
この仕組みを使い友人たちに仕事を紹介すると、とても喜んでくれました。この感謝されたことへの喜びは、自分でもびっくりするくらいに大きかったのです。
そして2010年、本格的にこのビジネスモデルで事業をスタートしました。フリーランスの方の実力を把握するために、面談でスキルチェックをさせていただくと同時に、起業の理由とやりたいことを聞きました。
すると、「やりたいこと」には3大テーマがあると気づきました。それは「中小ベンチャーへの支援」「地方の活性化」「海外とのつながり」で、どれも日本を元気にする仕事です。しかし、当時はまだフリーランスの地位は低く、私は、同じ志を持つ能力の高い仲間たちが仕事を得られず食べていけない状況に怒りを感じました。そして彼らが活躍する場を作れば日本の未来は明るくなると思いました。これが株式会社みらいワークス創設のきっかけです。
現在は、「プロフェッショナル人材が挑戦するエコシステムを創造する」をビジョンに掲げ、人生100年時代にプロフェッショナル人材が、「フリーランス・起業家・副業・正社員」といった働き方や「都市・地方」といった働く場所、そして自分にとって生きがい・やりがいのある仕事を、ライフステージに応じて自由に選択できる社会を目指して複数の事業を展開しています。
何のために働くのか。それはやっぱり自己実現
ーー「ライスワーク」と「ライフワーク」という概念を拝見しました。
岡本祥治:「ライスワーク」はお金を稼ぐための仕事を指し、「ライフワーク」は自己実現や志を追求する仕事を指します。弊社は当初、高収入のライスワークのサポートをしていましたが、個人がライフワークを追求するには難しい状況があることを知りました。ならばと、ライフワークのマッチング事業を本格的に始めたのです。
すると月150万円といった高収入を得ているプロが、半年間で10万円のプロジェクトを喜んで請け負ってくれました。お金ではない「やりがい」という仕事と、地域支援がつながったのです。そして、優秀で熱量が高い人材が集まる好循環も生まれました。
こんな人と一緒に働きたい。軸としている考え
ーー今後、仲間になってほしい人物像を教えてください。
岡本祥治:弊社の経営理念や、ビジョンに共感していただけるかを重視しています。どのような経験があるか、特定のポジションにどれだけ適しているかといったことは二の次です。社員がビジョンに共感し、実現するために働けばライフワークとなります。私は、支払った給与を単なるライスワークの結果として受け取ってほしくありません。ライフワークとなるように働いてほしいのです。弊社の登録者も社員もライフワークに取り組んでいるので、とても幸せな人たちが多い会社です。
また日本は人材の流動性が低く、経済発展が阻害されています。多様な働き方を広めることで、人材の流動性を高め、日本を元気にすることができます。このようにビジョンの実現を通じて、社会課題を解決しようと思っています。
このような世界観を一緒に作りたいと思う人がいましたら、ぜひみらいワークスに来ていただきたいと思っています。
編集後記
「日本のみらいのために挑戦する人を増やす」というミッションを掲げ、プロフェッショナル人材の方々に新しい働き方を提供しているみらいワークス。労働にはライスワークとライフワークの両輪が必要であるという岡本社長の話には、強い共感を覚えた。
日本の働き方は変わっていき、それとともに地域も活性化し、日本は元気になっていく。そんな未来を感じさせる岡本社長の挑戦に、これからも注目していきたい。
岡本祥治(おかもと・ながはる)/1976年神奈川県生まれ。慶應義塾大学理工学部卒。アクセンチュア、ベンチャー企業を経て、47都道府県を旅する過程で「日本を元気にしたい」という思いが強くなり、起業を決意。2012年、みらいワークスを設立し、2017年に東証マザーズ(現・東証グロース)上場を果たす。プロフェッショナルに特化した人材サービスとソリューションサービスを展開。趣味は読書、ゴルフ、旅行(日本47都道府県・海外100ヵ国渡航)。