ドライヤーや電子レンジ・掃除機など、私たちの生活に欠かせない家電商品。大手のパナソニックや日立、強豪のアイリスオーヤマなど、日本には数多くのメーカーが集結している。
そんな中でも一風変わった商品で人気を博しているのが「コイズミ」ブランドを展開させている小泉成器株式会社だ。実は同社は家電メーカーとしての顔だけでなく、海外の有名ブランドの販売代理店として卸業を並行して営む企業である。
同社代表取締役会長である田中裕二氏は、自社のビジネスモデルについて「床屋で使っているドライヤーを一般に広め、金物屋で売っている石油ストーブを家電に持ち込むなど、生活シーンの中で必要なものは外部から持ってきて提案するのが弊社の歴史です」と語る。
メーカーと卸業、二足の草鞋を履くに至った経緯とは? 300年以上続く小泉グループの小泉成器の戦略と今後の展開についてうかがった。
不況の時代を乗り越え掴み取った就職
ーー入社したきっかけは何ですか?
田中裕二:
当時は第1次オイルショックの影響を受け、日本経済は厳しい時期でした。就職活動の際も、新卒の募集をしていない会社が多く、大学卒業前の年明けになっても就職が決まらず進路を決めかねていた最中、学校の就職課から「こんな元気の良い会社があるよ」と小泉成器(当時の小泉産業)を紹介いただき、1976年に入社しました。
ノンフライヤー商品を日本に広めた立役者
ーー入社後はどのような活躍をされたのですか?
田中裕二:
営業で入社し、最初の赴任地は名古屋でした。当時は家電製品と家具を担当しており、年末年始の休みもほとんどなく、結婚してからも子どもが起きる前に家を出て、家族が寝静まってから帰宅するという生活を送っていました。
その後、商品事業部に異動し、10年程商品担当をしていました。当時は冷凍庫が売れていた時代で、小泉ブランドの冷凍庫をつくろうと模索しましたが、海外のブランドをそのまま使って日本で定着させていこうという流れになりました。
そこで私は海外ブランド商品の仕入れ担当を任され、海外メーカーと交渉の日々を過ごしました。最初は冷凍庫の仕入れだけでしたが、その後さまざまな海外メーカーとの交渉を進め、フィリップスやティファールなど、今では誰もが知る海外ブランドを弊社が日本に拡大していきました。
もちろん、私自身積極的に日本市場で売れる商品の発掘と、日本仕様のアドバイスをしていました。2013年にフィリップスノンフライヤーを販売し、単体で50億円も売れる大ヒット商品となりました。
ーー営業、商品担当、取締役を経て、2014年に社長就任されましたが、就任後はどのような業務に取り組まれたのですか?
田中裕二:
企業の寿命は30年と言われていますが、私の社長就任後がちょうど小泉成器として家電の事業を始めて30年経つくらいの頃でした。ここを乗り越え、国に貢献できるような利益体質の会社にしていくため、組織体系などの改革に取り組みました。
メーカーと卸業の二刀流ビジネスで不況の時代を乗り越える
ーー貴社の強みを教えてください。
田中裕二:
弊社は創業300年の長い歴史を通して、その時代に合った商品を探しながら販売していく変化対応術を身に付けてきました。大手メーカーほどの資本力はないので、「コイズミ」ブランドのメーカーとして商品を生み出すだけでは生き残っていけません。代理店として100社以上の強力な仕入れ先を確保し、取扱商品の幅を広げてお客様のニーズに応えていけるところが強みです。
ーー時代の変化に対応されてきたとお聞きしましたが、リーマンショックや新型コロナウイルス感染拡大による苦難はどう乗り越えられたのですか?
田中裕二:
弊社の事業モデルは不況時にこそ強く、経済市場の変化にも大きな影響は受けませんでした。たとえばコロナ禍の時期には、外出を控えていたためビューティー商品などは全く売れなくなってしまいましたが、家で料理をすることが増えたため調理家電は売れ行きを伸ばしました。取扱商品の幅が広いがゆえに、その時代に合わせた商品の提案をすることで安定的な利益を生み出すことが可能になります。
販路の拡大へ
ーー今後の注力テーマを教えてください。
田中裕二:
家電商品の販路の拡大を図っていきます。今の販路は家電量販店が圧倒的に多数を占めていますが、弊社の主力である小物商品はもっと幅広く、さまざまな売り場でクロスオーバーしていくべきだと考えています。
たとえば日本酒を温める際に使う酒燗器であれば、実際にお酒を扱う酒屋に置いてもらってPRすることもできます。お客様の目につき「ついで買い」してもらえるような売り場の開拓をするべく、人員配置も含め見直しているところです。
やりたいと思ったことは、とことんチャレンジできる会社
ーー今後採用活動をされるにあたって、求める人物像はありますか?
田中裕二:
思い切りが良く、元気な方に来ていただければと思います。能力的な部分は、仕事を覚えていく上で先輩に教えてもらい、取引先の方とのやり取りの中で自然と身に付いてくるものです。
コロナ禍の影響もあり、コミュニケーション不足が叫ばれ転職する方もさらに増えている状況ですが、小泉成器は入社したらほとんどの方は定年まで迎えるようなやりがいにあふれた会社です。
営業が商品開発に携わるなど、大手企業では任せてもらえないような部分も、弊社であればある程度自分の裁量で仕事を進めていくことができます。雇用が流動化している今の時代にマッチしているかは分かりませんが、長きにわたってさまざまな仕事に携われることが弊社の魅力の1つだと思います。
編集後記
300年以上続く小泉グループの歴史の中でも、電気製品・家具の製造販売をスタートさせた激動の時代に入社した田中会長。数々のヒット商品を生み出し、長きにわたり会社を支えてきた。
今後は人材育成にも力を注ぐべく、営業スタッフのためにアメリカで海外研修を実施する予定だという。「今後どのような小売業が強くなっていくのか、弊社はどの企業と組んでいったら良いのか、という経営の目を養い営業部隊を育てていきたい」と語る。小泉成器の躍進に今後も目が離せない。
田中裕二(たなか・ゆうじ)/1952年岐阜県生まれ。中央大学卒業。1976年に小泉産業株式会社入社。2008年に取締役就任。2012年常務取締役、商品事業統括部長兼第一商品部長就任。2014年常務取締役、営業本部長就任。2014年代表取締役社長就任。2023年代表取締役会長就任。