ハンカチを持つ人が減少している中、ハンカチ王子とのパートナーシップ契約で注目を集めた川辺株式会社。過去には大変な経験もしている。近年売り上げの向上が難しいハンカチ業界で会社を復活に導けたのはなぜか。
今回は代表取締役社長の岡野氏から、さまざまな思いをうかがった。
野球がつないでくれた人との縁
ーー入社から代表取締役になるまでの経緯を教えてください。
岡野将之:
新卒で入社後、私は東京本社でスカーフやマフラーの企画担当として、面倒見の良い先輩たちに恵まれて4年間働きました。
26歳の時に母親が体調をくずし、地元に近い福岡支店へ異動希望を出し転勤に。上下関係が厳しくはありましたが、熱い気持ちを持った人たちが多く、本社とはまた違った良さがありました。
また入社時に私の指導員だった方と福岡支店で再会し、その方のサポートもあり私も福岡支店に馴染むことができました。
福岡支店には全国大会に出るレベルの社会人野球チームがあり、私も誘われて参加しました。その時の監督が前代表取締役社長で、野球を通じて礼儀作法などを学びました。
その後、31歳で結婚し子供も産まれ、妻の実家の近くである福岡に根を張るつもりでしたが、4年後に社長から東京異動の内示を受けたのです。最初は断るつもりでしたが、妻の母から背中を押されて、東京本社に戻ることにしました。
東京ではハンカチの企画を担当し、海外出張など新しい挑戦に夢中で働いたものです。私が課長に昇進した2011年、東日本大震災が起こったため「東北応援プロジェクト」を立ち上げました。チームを率いる中で管理職に必要なものが何かを学ぶためにビジネススクールに通いました。
会社からは「そこで学んだことを実践して欲しい」と言われ、2018年に「商品本部」「企画部」「マーケティング室」「広報室」の4部門の長を任され、その翌年の2019年6月、社長就任に至ります。
人間関係を優先して自分のやりたいことを貫けなかった少年時代
ーー少年時代はどんな人物でしたか。
岡野将之:
私は7人家族で3人兄弟の末っ子でした。とても田舎で近所の人も全員知り合いというような環境で育ちました。子供の頃、兄の影響で野球を始めましたが、高校受験の時に、志望校の野球部からスカウトをもらったのです。
その学校は、野球部に入ると試験の点数に加点がもらえます。しかし、「もし私が追加点をもらって入学したら、その分、誰かが入学できなくなるかもしれない」と考え、野球をやりたい気持ちを抑え、一般受験で合格しました。このように、周りに気を使って自分を貫けない少年でした。今でも「野球をしていれば人生どう変わったのかな」という思いはあります。
ーー高校での思い出はありますか。
岡野将之:
2年生の時に生徒会長になりましたが、生徒会長として初めての挨拶はボロボロで、そんな姿を見た担任から「ラジオを聴きなさい」と勧められました。ラジオは映像がなく、話だけで大切なことを伝えなければいけません。そこから私はポイントを絞って話すスキルを身に付けました。今でもラジオはよく聴いています。
ーー大学時代についてはいかがでしょうか?
岡野将之:
大学が福岡県にあり、初めて一人暮らしをしました。親の仕送りだけでは足りず、当時は珍しいセレクトショップだったギンガムという洋服店でバイトを始めました。働き始めて1年後、福岡で初のBEAMSのフランチャイズとなり、私もBEAMSで働けることになりました。そこでは洋服の“いろは”や接客、大人との交流などの基礎を学び、とても楽しかったです。
就職は大学から大学職員への推薦をもらっていましたが、BEAMSを第一志望にしたくらいです。しかしBEAMSの幹部の方からは、「お前を育ててくれたギンガムの社長を支えてあげるべきだ」と言われ、自分が行きたい方か人間関係をとるかという、高校受験時と同じように迷った結果、ここではどちらも選ばないという選択をしました。
当時のBEAMSのお客様に川辺の社員がいまして、BEAMSの従業員の草野球チームでも縁があったことから、その方からに推薦されて川辺株式会社への入社を決意したのです。
コロナ禍を乗り越えて一念発起するまで
ーー苦労したエピソードがあれば教えてください。
岡野将之:
社長に就任した直後に新型コロナウイルスが流行し、商品が売れなくなるという事態に直面しました。主要商品のハンカチは3月、12月が繁忙期になりますが、この年は売れず就任初年度は赤字でした。
その後も従業員を出社させられず、工場も停止させなければならないなど、解決策が見つからない状況が続きました。会社を残すための苦渋の決断として2021年の10月に希望退職を募りましたが、その時は本当に辛かったです。
ーー風向きが変わったのはいつからですか。
岡野将之:
2022年の4月以降です。翌年2月には創業100周年を迎えるため、「自分自身の進退をかけてでも何とかしなければ」と気合が入っていました。
そこで思い切った事業の再構築、またハンカチ王子の名でも知られている元プロ野球選手斎藤佑樹さんとパートナーシップ契約を結んだこの年は、社長になって初めての黒字を出すことができたのです。
ーー今後の展望について教えてください。
岡野将之:
おかげさまでフレグランス事業はこの十数年で大きく成長しています。香りをまとうことに関心のある人が増えているためだと思います。ハンカチと同様に主力事業として今後注力していきたいと考えています。
人材教育に情熱を注ぐ理由
ーー影響を受けた本はありますか。
岡野将之:
課長職に就任した時に参考書を探していたところ、野村克也監督の本が目につき、そこには「結果だけでなくプロセスを見るべき」と書いてありました。野球選手は練習を重ねても時の運などで結果が出ないときもあります。ビジネスも同じで、自分自身に対しても部下に対しても、そこが重要だと思っています。
ーー新しく取り組まれていることはありますか。
岡野将之:
「企業は人なり」という言葉がありますが、私自身の経験からも人が大事だと感じています。外部に教育を依頼するのも良いのですが、私は「自分自身で熱のこもった教育をしたい」と思い、昨年から管理職研修を開催しています。
ビジネススクールで学んだことを自身の経験に置き換えてケーススタディをしています。それが好評で若い世代からも要望があり、「次世代の育成委員会」を毎月開催するようになりました。出席は希望制ですが毎回満員です。
ーー研修の中で大切にされていることはありますか。
岡野将之:
管理職研修では、「部下を褒める」「傾聴する」この2つが大事だと伝えています。実はこの2つは私の課題でもあり、自身への戒めも込めてそう伝えています。
人と人との関わりを通じて、AIにはない感動を
ーー感動したエピソードがあれば教えてください。
岡野将之:
私が社長に就任した時に、長男が百貨店でボールペンを買ってプレゼントしてくれました。当時高校1年生の息子が、学生服で、普段行かない百貨店に行って買った。そのボールペンを買いに行った息子を想像すると何ともいえない気持ちになり、「人が人を思うときの感動は現代も色褪せていないのだ」とその時に感じました。
その経験をもとにメッセージ入りのハンカチを開発しました。365日、毎日どこかでドラマがあり、「その時の気持ちを贈る」という思いから商品化につなげました。
ーー成功の秘訣を教えてください。
岡野将之:
私は自身が「人と運に恵まれてきた」と感じています。最近、地元、大分の人や久しく会っていなかった友達とも再び縁ができ、本当に良い縁に恵まれていることを実感しています。斎藤佑樹さんとパートナーシップ契約を結べたのも、野球との縁があったからだと思います。
周りから良い環境を与えていただき、今は「会社を守る」という思いでやっています。業績が悪化すれば退く覚悟も持っていますが、「離れる前に人だけは育てたい」という思いがあります。
編集後記
幼少時代から人との縁に恵まれ、その恩恵に感謝しつつビジネス人生を歩んできた岡野社長。人との関わりを大切にすることを信条に、現在は社内教育、人材育成にも力を入れている。
「人にしかつくれない感動がある」。そんな思いを持ってサービスを提供しつづける川辺株式会社は、今後も人から愛される会社として成長していくことだろう。
岡野将之(おかの・まさゆき)/1969年1月11日生まれ。大分県国東市出身。
第一経済大学(現日本経済大学)経済学部を卒業後、1991年に川辺株式会社に入社。2018年から執行役員営業統括本部商品本部長兼企画部長兼マーケティング室長兼広報室長を務め、2019年に代表取締役社長に就任。