※本ページ内の情報は2024年2月時点のものです。

大阪市に本社、広島県福山市に倉庫を構え、衣料用ニット・織物全般・製品も生産・販売するのが井上ニット株式会社。

会長の井上雄嗣氏は「低価格・高付加価値は当然のこと、自社生産・備蓄・短期納入、輸出・サンプル提供・試作等を一貫して行える日本唯一の会社である」と自負している。

今回は、そんな井上ニット株式会社の会長、井上雄嗣氏に、学生時代や社長就任後の取り組み、そして今後の展望などについてお話を伺った。

団塊の世代。学生時代について

ーー学生時代について教えてください。

井上雄嗣:
私は広島県出身です。広島県立福山誠之館(せいしかん)高校を卒業後、上京して学習院大学に入学しました。団塊の世代だったため倍率がすさまじく、早稲田大学など80倍だった記憶があります。

大学のときはアーチェリー部に所属し、朝から晩まで練習をしていました。4年の時はインカレでは個人2位でしたが、団体では主将として日本一の王座校になりました。親からの仕送りは少なく、依頼があれば自分で描いた絵を売って生活の足しにしていました。大学卒業後は商社に勤め、ずっと商売を続けてきたわけですが、一族には僧侶、教師、画家、詩人、作詞家、カメラマン、弁護士などが多かったため、もしかすると文化系の才能があったのかもしれません。

当時はとても貧乏でしたし運動部でも特に厳しい指導を受けていました。しかし、若い時にひどい苦労を体験すると人格形成にプラスになると思います。その後の人生で「これ以上きついことはない」と頑張れるようになったのは、この時の経験があったからこそと考えています。

高度経済成長期、商社で経験したハードワーク

ーー大学卒業後は、どのような経緯で井上ニット株式会社の社長になりましたか?

井上雄嗣:
商社に入りたかったこともあり、教授の推薦で伊藤忠商事に内定しましたが父に勧められた蝶理株式会社に入社しました。当時は高度経済成長期で、毎月給料が上がっていく時代でした。ボーナスも4カ月分ほどもらっていたと思います。仕事が好きで、毎日喜んで残業をしていました。

5年ほど働いていましたが、景気が次第に悪くなってきたため、父に「肩を叩かれる(解雇される)前にやめろ」と言われたのです。これは「辞めて早く後を継げ」という意味だったのでしょうか。

その後、弊社に入社して、営業からはじめることになりました。社長になったのは44歳の時です。31年前になります。その後会社のやり方を全て改めて今のシステムに変えました。

ーー社長になってからは、どのようなことで苦労しましたか?

井上雄嗣:
「こういうもの作ってくれ」と頼まれて生産したにもかかわらず、製作途中で契約を破棄してくる会社もありました。それ以来、契約を交わしてからしか作らないようにしましたし、自社のリスク生産のオリジナル商品に替えていきました。委託生産から自社生産・販売に替えて、2年位殆ど売上げが無くなり、ブローカーの様な仕事をして凌いだ時は厳しかったです。

また、採算割れで納品するように求めるなど無茶をいってくる会社もあり、苦労をしました。

日本で作ったもの、日本でストックしたものを、日本のグレードで売っていく

ーー今後の展望を教えてください。

井上雄嗣:
弊社の社是は「BIGよりBEST」「No1よりOnly1」です。会社を大きくするのではなく、「なくなっては困る代替の利かない会社」になっていきたいと考えています。

今後、アメリカや中国の情勢によっては、国内回帰が加速して日本で生産する比率が増えていくでしょう。

その時、国内生産品で製品のサンプル帳からカット見本まで一貫して提供できるのは、日本で唯一弊社だけだと自負しています。1アイテムの生産ロットが10万Mもあるうえこうした細々(こまごま)としたことは、大手の商社や他社にはできないことですから。

いつか弊社がより必要とされる時期がくるでしょう。その時に、弊社は大きく伸びると考えています。しかし、会社を大きくしたいわけではないのです。

「日本で作ったもの、日本でストックしたものを、日本のグレードで売っていく」このように考えています。

「継続は力なり」。社会に出ても勉強を継続する。

ーー直近、会長に就任されたかと存じますが、後継者にはどのような人を選んだのですか?

井上雄嗣:
「一番できる人」に会社を引き継ぎました。私がいう「できる人」とは、何より心遣いのできる人であることと、好奇心の持ち主であることです。きっと部下がついてくるでしょう。我儘だとか、思いやりの足りない人は中小企業の経営者としては向かないと考えています。

経営には優しさと厳しさが何より重要です。しかし、優しいのと甘いのは違います。誰よりも厳しく強い人が優しさを出すこと、これが大切です。誰にでも優しいだけの人は、その甘さで会社を潰してしまいます。ちなみに私は大学時代、アーチェリー部で主将を務めていた時は「鬼の井上」と呼ばれていました(笑)。

ーー最後に若手社会人に向けてメッセージをお願いします。

井上雄嗣:
社会に出たら、大学時代の3倍から4倍は勉強しないと世の中のスピードについていけません。特に読書をしましょう。できるだけ多くのジャンルを読んだ方がいいのですが、もっとも読んでほしいのは「十八史略」「三国志」です。他に「孫子の兵法」「坂の上の雲」もおすすめです。

私の座右の銘は「継続は力なり」です。私は現在、社内向けの文書発行を7年以上、日記も50年以上そしてアーチェリーは大学時代から今まで休むことなく58年間続けています。徹底的に継続してください。必ず続けていればものに成ります。

編集後記

18歳から58年間、ずっと努力を継続してきたと胸を張る井上雄嗣氏。高度経済成長期を支えた「団塊の世代」として、厳しい競争にさらされながらも、並々ならぬ努力で道を切り開いてきた。

だからこそ重みのある「継続は力なり」。人材の流動性や多様性が重視される昨今だからこそ、一度立ち止まって考えたい言葉である。

井上雄嗣(いのうえ・ゆうじ)/1948年生まれ。広島県出身。広島県立福山誠之館(せいしかん)高校卒業後、上京して学習院大学に入学。卒業後、蝶理株式会社に入社して5年勤務する。その後、現在の井上ニット株式会社に入社。営業からはじめ、44歳にて社長に就任。「なくなっては困る、大切な会社」を目指して経営してきた。座右の銘は「継続は力なり」。