
2017年4月に創業し、東京とフィリピン・セブ島に本社を置く株式会社ストロングジャパンホールディングス。「日本人が海外に挑戦するハードルを下げたい」という理念のもと、資金ゼロでの海外挑戦を可能にする「0円留学」で急成長を遂げている。現在はセブ島内で生活が完結する独自の経済圏構築やマルタ共和国への進出など、その勢いは留まることを知らない。今回は、「42歳で引退し、政界へ進出する」という構想を公言する、同社の代表取締役グループCEOの寺本雄平氏に、設立の経緯から独自の経営戦略、そして未来図について詳しく聞いた。
「海外に行けば何か見つかる」ビジネスチャンスを探す旅
ーーご経歴と、セブ島へ渡った経緯について教えてください。
寺本雄平:
高校卒業までは仙台で過ごし、大学進学を機に上京しました。大学では中学校と高校の教員免許を取得しましたが、卒業後は教職の道へは進まず、不動産ディベロッパーに就職。その後は、商社や外資系金融企業も経験しました。
サラリーマン時代の私は「いかに楽をして成果を出すか」というタイプでした。がむしゃらに働くのではなく、要領よく最短距離で数字をつくることに長けており、営業成績は良かったのです。しかし、当時の環境では「年収1000万円」や「部長」を目指すのに10年から15年はかかってしまう状況でした。その期間が私にはあまりに長く感じられ、「もっと稼ぎたい、早く上に行きたい」というはやる気持ちから、次第に起業を志すようになったのです。
とはいえ、当時は起業のアイデアも知識もありませんでした。英語力ゼロの状態でしたが、「とりあえず海外に出てしまえば、英語なんて簡単に話せるようになるだろう」と思い、渡航を即決しました。
ーー現地では、どのような転機があったのでしょうか。
寺本雄平:
セブに渡ったものの、入社から数週間後にその会社がセブ島から撤退を決定してしまったのです。日本拠点への転勤も提案されましたが、覚悟を決めて渡航していた私は現地に残る道を選び、そのまま退職しました。そこから2週間ほどは住所不定の無職のような状態で、「このままでは日本に帰れない」と焦りました。そんな中、縁あって日系の語学学校に転職することになり、そこで人生を変える教育事業の面白さに触れたのです。
ーー未経験の教育業界へ飛び込み、どのような手応えを感じられたのですか。
寺本雄平:
その学校で留学カウンセリングを担当する中で、不動産営業時代にも感じていた「人の人生に関われる喜び」を、よりダイレクトに実感するようになりました。
やがて社内ベンチャーとして、自分達の学校のコンセプトに合わない希望者を他の学校へと紹介をする、留学エージェント事業の立ち上げを任されました。この事業を8ヶ月ほどで黒字化させたとき、「このビジネスなら独立できる。これこそが自分のやりたいことだ」と確信を持てたのが、のちの起業へとつながっていきました。
留学業界の課題を打破したビジネスモデル
ーー創業時のご苦労や特に印象に残っている出来事はありますか。
寺本雄平:
創業時は日本で起業するよりもライバルが少なく、挑戦しやすい環境だったと感じています。ただ、その後に訪れたコロナ禍による渡航制限では大打撃を受けました。
2年半ほど、事業の柱である留学関連の売上高はゼロどころか、毎月多額の赤字を発生させ続けたのです。非常に苦しい時期でしたが、「自分たちの学校は絶対に廃校させない」という強い意志があったため、キャンパスの家賃や在籍する先生たちの給与を捻出するために必死でした。
ーー未曾有の危機をどのように乗り越えられたのでしょうか。
寺本雄平:
コロナ禍において、0円留学の運営の為に立ち上げ直後だったセブ島のコールセンターやBPOセンターがあったことが、何とか生き残れた大きな要因です。
当時はパンデミックの影響で多くの日系企業がセブ島から撤退し、日本人も8割ほどが帰国してしまいました。しかし、残りの2割の中には「職を失ってしまったが、日本には帰国せずセブ島に残りたい」という方が数多くいたのです。弊社ではそうした方々を状況を問わず積極的に採用しました。その結果、多様なバックグラウンドを持つ方々が集まってくれたのです。
折しも日本国内では、パンデミックの影響でオンライン商談やテレアポといった非対面業務のニーズが急増していました。仕事はあるが人はいないという市場環境の中で、現地に残った彼らとともにこれらの業務を数多く引き受けられたことが、苦境を乗り越える原動力となったのです。
また、沖縄拠点の開設も、コロナ禍における苦肉の策から生まれたものでした。当時、セブ島で働きたいという内定者が30人ほどいたのですが、入国制限で渡航の目処が立たずにいました。彼らから「いつ行けますか」と聞かれても、私たちも分からない状況でした。そこで、「それなら沖縄に住居と英語の先生を揃えて、働きながら英語が学べる拠点をつくったら来ますか」と提案したのです。すると半数ほどが「行きます」と応じてくれました。セブ島で展開予定だった「0円留学」のモデルを、まずは国内の沖縄で形にしたわけです。
そうして状況に合わせて臨機応変に拠点を増やしていった結果、コロナ禍を生き残れただけでなく、会社として大きく成長することができました。すでに飽和状態だった業界に新規参入し、コロナ禍を乗り越えられたことは、現在の大きな自信につながっています。
あらゆるニーズを自社完結で支える多角化経営

ーー改めて、貴社の事業内容について教えてください。
寺本雄平:
弊社は教育事業、海外不動産事業など数多くの事業を展開していますが、その中心にあるのはセブ島の本社で運営する学校法人です。最大の強みは、英語学習と海外勤務を組み合わせた「0円留学」です。弊社のミッションである「日本人が海外に出る際のハードルを最大限0に近付ける」ことに本気で取り組む中で、この独自の仕組みを核として、周辺事業を広げてきました。具体的には、自社校の運営以外にも、世界256都市の語学学校と提携した留学エージェント事業や、オンライン英会話サービスなどを展開しています。あらゆる角度から「海外への一歩」を支援できる体制を整えることで、順調に成長を続けています。
また、留学や移住をトータルで支えるため、周辺事業の拡充にも注力してきました。たとえばセブ島では、子連れでの渡航をサポートするために日本人経営の保育園・託児所「CBEA-CHILD CARE」をオープンしました。また、海外不動産事業として「セブ島のコンドミニアム探し 不動産投資のFor rent」を展開し、コンドミニアムをはじめとする不動産の賃貸や売買の仲介、自社での不動産投資や物件管理も、右肩上がりで事業規模の拡大ができています。
他にも、BPO・コールセンター事業では、大中小企業問わず多くの会社様の業務のアウトソーシング先として機能しており、セブ島に2拠点のほか、福岡・宮崎・沖縄の計5拠点を運営。カスタマーサポートやインサイドセールス、SNSや広告の運用、大手求人媒体向けのライティング業務、翻訳・通訳業務、システム開発などを主に行っています。
ーー競合他社と比較した、貴社の強みをお教えください。
寺本雄平:
「セブ島の総合商社」として、あらゆるニーズを自社完結でトータルサポートできる点が最大の強みです。セブ島には学校運営や不動産、人材紹介などを単体で行う企業は数多くありますが、弊社のようにこれらすべてを自社で手がけ、横の連携を強化しているケースは稀です。セブ島に留学や転職、移住を検討した段階から、実際にセブ島での生活を行い、次の国もしくは日本へと進んでいくところまで、全てをサポートすることができます。
また「0円留学」も他社にはない大きな差別化ポイントです。熱い気持ちはあるものの、経済成長し続ける諸外国の物価高騰や円安によって金銭面がネックとなり、留学を諦めようとしていた、志の高い大学生の方々に大いに支持をいただいています。
このモデルを成立させるためには、留学生へ提供する「仕事」の確保が不可欠です。ありがたいことに現在は、大手企業様からのアウトソーシング案件なども増え、仕事の供給も安定してきました。日本の労働力不足という課題解決と、若者の海外挑戦の支援。その両方を同時に実現できていると自負しています。
日本の労働力を守るための養鶏事業という新たな入り口
ーーその他に注力されている事業はありますか。
寺本雄平:
人材事業にも力を入れています。海外経験者や語学スキルの高い方への人材紹介サービスを展開するほか、世界中の求人情報を掲載する「グローバル転職ナビ」という求人サイトの運営もその一つです。
日本人が海外で働こうと考える際、どうしても心理的なハードルを高く感じてしまいがちです。今の自分のスキルや経歴では、海外へ行くなんて「別世界の出来事だ」と、最初から選択肢から外してしまっている方も少なくありません。しかし、実際はそんなことはなく、むしろ「全然余裕ですよ」と伝えたいですね。
弊社では「語学力不問、年齢不問、未経験でもOK」の求人を多く扱っています。海外で生活してみたいという純粋な気持ちさえあれば、その一歩は決して無駄にはなりません。まずは一回現地へ来て働いてみること。それだけで、その後の人生には必ずプラスの影響があるはずです。
また、3年前に新たにブロイラー事業も始めており、宮崎県都城市で養鶏場の運営をしています。ここでは年間50万羽を出荷していますが、単なる養鶏ビジネスにとどまりません。不登校や引きこもりだった方々を受け入れ、命と触れる体験を通じて働く喜びを知ってもらう場でもあるのです。そこで自信をつけた子たちが、次のステップとしてセブ島へ「0円留学」に向かい、海外で活躍する人材に育っていく。これこそが、社名にも由来する、日本の労働人口を増やして日本を強くする「ストロングジャパン」を実現するための、重要な入り口の一つだと捉えています。
ーーこれほどまでに事業を多角化されているのは、どういった狙いがあるのでしょうか。
寺本雄平:
一番の狙いは、セブ島内で完結する「経済圏」をつくることです。たとえば、日本から来た留学生が、私たちの仲間として正社員になったり、あるいは弊社のエージェントを通じて現地企業へ就職したりする。結婚して子どもが生まれたら弊社運営の託児所に預ける。食事やお酒を楽しみたいときは弊社のバーや飲食店を利用し、住居も弊社の不動産事業部が扱う物件を借りたり、購入したりする。そうやって社内で自給自足ができるような循環をつくりたいのです。
一見すると「攻め」の姿勢に見えるかもしれませんが、これは徹底した「守り」の戦略でもあります。コロナ禍の経験から、他社や世の中の情勢に影響されない会社組織をつくりたいと強く思うようになりました。もし一つの事業がダメになっても、「これがなくなっても、別の事業がある」という状況をつくっておけば、会社は生き残れます。AIの台頭など外部環境が変化しても揺るがない経営基盤を築くために、あえて多くの事業の柱をつくっているのです。
世界中で「0円留学」を選択できる環境の実現
ーー今後の事業展開について、どのように考えていますか。
寺本雄平:
弊社には社内ベンチャーを活性化させる「独立支援制度」があり、多くの事業が私以外のアイデアによって立ち上げられました。現在、セブ島ではすでに飲食店事業も運営しており、今後も日本とセブ島の双方で新たな事業を立ち上げ続けます。
次なる一手として、2026年にはマルタ共和国への進出を計画しています。マルタ共和国では、セブ島で構築した「学校運営とBPOを組み合わせた成功モデル」をそのまま再現できるため、確実な手応えを感じています。日本との時差を活かせば、現地のデイタイムに日本の夜間業務をカバーすることも可能です。セブ島からマルタ共和国、そしてジョージアやセルビア、インドへと世界中で「0円留学」を選択できる環境をつくることが、私たちの目標です。
ーー最後に、ご自身の展望や夢についてお聞かせください。
寺本雄平:
私個人としては、42歳までにこの会社の代表を引退し、政治家になりたいと考えています。社名の「ストロングジャパン」には、日本の国力を高めたいという思いを込めており、まずは経営者として実績をつくり、最終的には政治の世界から日本を変えていく。それが私の描くロードマップです。
その実現に向けて、5年以内に私がいなくても事業が成長し続ける状態をつくらなければなりません。セブ島やマルタの拠点が、現地のスタッフだけで自律的に回り、拡大していく仕組みを完成させること。それが経営者としての私の最後の仕事であり、最優先事項です。
セブ島でのビジネスにはもう10年以上携わってきましたので、私自身はそろそろ次のステージへ進むべき時期だと感じています。だからこそ、盤石な仕組みを残して、次の世代へバトンを渡したいですね。
編集後記
円安や物価高で海外への一歩を躊躇する若者が増える中、同社が構築した「0円留学」やセブ島での自給自足の経済圏は、外部環境に左右されない強固な「守り」の戦略でもある。コロナショックで売上高ゼロの窮地を経験したからこそ、一つの事業に依存せず、多角的な柱で組織を支える基盤を築き上げたのである。「42歳までに経営の第一線を退き、政治家として日本を変える」。寺本氏自らが5年後の承継を見据える中で、より多くの人が世界へ羽ばたく機会を創出し続ける同社の挑戦は、これからも続いていくことだろう。その歩みの先にあるのは、労働人口を増やし、日本を強くするという「ストロングジャパン」に込めた揺るぎない信念そのものである。

寺本雄平/大学卒業後、国内で不動産ディベロッパー、総合商社、外資系金融で勤務。どの仕事もイメージとは違って長続きせず、「これはもう海外で働くしかない!」と思ったのを機に、フィリピン・セブ島へ渡る。セブでは日系英語学校へ転職し、留学カウンセリング業務や現場マネジメントに従事したのち、最終的には留学エージェント事業を社内で立ち上げ、語学留学の斡旋業務にも携わる。さらに転職を重ね、コールセンター、コンタクトセンターおよびオンライン英会話スクールの立ち上げを経験。2017年にセブでの経験を活かし、「CebuCebu Study(現・留学比較Style)」を立ち上げ、20代で海外起業。現在は、様々な事業を統括する株式会社ストロングジャパンホールディングスを設立し、国内外で積極的に事業拠点を展開中。2023年からiU 情報経営イノベーション専門職大学の特任教授に就任。