※本ページ内の情報は2024年2月時点のものです。

おむつや生理用品など衛生用品の製造機を開発から設計、製造まで一貫して手がける株式会社瑞光(1963年設立)は、世界各地に工場を持ち高いシェアを誇る有力カンパニー。

売上高は、2022年2月期が235億円、23年同期は265億円で、東証プライムの上場企業としての強さを示している。

企業理念に「Make the Impossible Possible」を掲げ、今後は世界規模での多角経営を視野に入れているという同社。高い技術力を生み出し続ける要因を探るため、代表取締役社長CEOの梅林豊志氏に入社のいきさつや経営方針について話を聞いた。

機械設計を求めてたどり着いた瑞光という技術屋集団

ーー貴社に入社するまでの経緯をお聞かせください。

梅林豊志:
若い時からオートバイや車に乗ったり触ったりするのが好きで、勉強はあまりしていなかったですね。しかし数学は好きでしたから、それを活かして大学では機械工学の勉強をしていました。

父が鉄道車両の会社に勤めていて、家に図面を持ち帰って模型を作っている様子などものづくりの仕事を子どものころから目にしていましたから、その影響を強く受けたと思います。

ゆくゆくは機械設計の分野に進みたかったのですが、就職した会社が家電中心のメーカーでした。プリント基板の設計部署に入ってCADを勉強し、それからソフトの開発を担当していました。

ところが、ソフト開発を続けるうちに、四六時中それが頭から離れなくなり、寝ても覚めてもそのことばかりで「このままでは頭がおかしくなる」と思うようになってしまいました。結局、機械設計に立ち返ることにして、ご縁があって入社したのが当社だったわけです。

1990年に入社して思ったのは、当時、大阪証券取引所(現大阪取引所)に上場したばかりで規模は大きくない企業にもかかわらず、設備が非常に先進的だということでした。早くから最新テクノロジーを駆使したスキルの高さに惹かれたのは良く覚えています。

ーー社長就任時に心境の変化などはありましたか?

梅林豊志:
私は機械とともに歩むエンジニアに憧れてきましたので、そこでの苦労はまったく苦にならないのですが、人とのやりとりは本来苦手です。

どのくらい技術畑の人間かというと、設計部長になった時は嬉しさもあって父に名刺を渡したのですが、役職を報告したのは後にも先にもその1度きり。社長に就任した時でさえ、父に名刺を見せたことがないくらいです。

しかし、社長となれば技術屋気質だけでは通用しないし、周囲の期待に応えるためのプレッシャーは相当なものでした。

それだけに、支えてくれる全てのステークホルダーや社員のために奮起することが必要でした。ましてや弊社はオーナー系の会社でしたから、そうした面でもいろんなハードルがありましたね。

応援してくれる人のサポートもあり、その人たちのためにも「しっかり会社を盛り上げていかなければ」という義務感と責任感が私を奮い立たせてくれました。

39歳で取締役に就任してから60歳までの20年間、私のミッションは「会社のために成長できるものをつくっていく」ことでした。

社長になった時もその気持ちは揺るぎなく、より強固になりました。

アメリカ訪問で自社の成長を確信

ーー会社発展のために何が必要だとお考えでしょうか?

梅林豊志:
2014年にアメリカに視察に行った時、ずっと憧れだった現地の競合会社の機械を見学したのですが、パッと見た瞬間「これならいける」と確信しました。競合会社に追いつこうとして日本で長くやってきましたが、相手の現状を見た時に、改めて自分たちの技術に自信を持ったんです。

スポーツでも海外で経験を積むことによってその差が縮んでいくのと同じで、技術・産業の分野でも世界を知り、切磋琢磨する必要があると思いますね。

そして会社が継続的に利益を上げ続けるためには走り続けなければいけません。今のままでいいと思った瞬間に落ちていくと私は考えます。

不可能を可能にするつもりでやり続ける。そのためには、若年層にこう言うと暑苦しいと思われるかもしれませんが、いま以上に情熱を持ってものづくりに取り組んでいく必要があると思います。

次世代向けに人事制度の改革を進める

ーー人事面での今後の方針をお聞かせください。

梅林豊志:
現在の人事評価の規定では「飛び級」のように、大きな成果をあげたらすぐに昇進できるような制度がありません。今後は、海外展開など事業を拡大して、若手にもっとチャンスを与えられるような制度に変えていきたいですね。

最近ランチミーティングを開いて若い社員と話す機会ができました。将来などについて言葉を交わすと、よく「上司より話しやすい」と言われ、心を開いて話をしてくれます。

もしかすると普段のコミュニケーション不足が原因ではないかと思いますし、そうした場を提供するのも経営者の役割だと感じています。

若い人たちと話すと決まって目が輝いています。その目を見ていると、次の世代がしっかりチャンスを得て、会社の中でポジションを取っていけるような制度に改革していく必要性を痛感します。現在その方向に取り組みを進めていますので、ご期待いただければと思います。

編集後記

梅林社長は談話の中で「思いつきではなく、ひらめきが大事。これは経験に裏付けされてこそわき出るものだからです」とイメージの重要性を強調した。

また今後の戦略として「培った技術を他の業界にも活かして、インドやアフリカなど世界規模で事業フィールドを縦横に展開する計画がある」と多角経営に乗り出すことを示唆している。同社の動向にますます目が離せなくなってきた。

梅林豊志(うめばやし・とよし)/1963年大阪府生まれ。1990年、株式会社瑞光に入社。取締役設計部長を経て2011年に取締役就任。2018年5月代表取締役副社長COO、2020年5月代表取締役社長CEOに就任。2021年に企業理念を一新してコーポレートメッセージ「Make the Impossible Possible」を掲げ、新たな行動指針「THE ZUIKO WAY」(独創する、技術を深める、開拓する、共生する)を制定。「お客様の期待を超える技術力・開発力」でものづくりのグローバルメーカーを目指す。2023年、東証スタンダードから東証プライムへの市場区分変更を実現。