戦後から高度成長期へと向かう中で、大企業が手を出さない少量多品種の特殊ガス製造を通じて、さまざまな産業の下支えを行い成長を遂げてきた高千穂化学工業株式会社。
創業者の娘でもある現社長の江上真紀氏に、経済学修士の立場から経営に携わった経緯と、社会における同社の存在意義、今後の展望についてお話をうかがった。
特殊ガス製造のパイオニアとして
ーーまずは創業の経緯についてお聞かせください。
江上真紀:
弊社は、高純度アルゴンガスという特殊ガスを国産で初めて製造したパイオニア企業です。大手がつくらないような少量多品種の特殊ガスを、細い風船程度の大きさの違うガラス瓶に入れてリアカーで運ぶところから事業をスタートし、おかげさまで2024年10月に75周年を迎えます。
ーー特殊ガスは具体的にどのような用途で使いますか。
江上真紀:
たとえば標準ガスは環境測定で、CO2などの排ガスの濃度を測る物差しとして使われています。ほとんどの日本の自動車メーカーは、排ガス規制に対して弊社の標準ガスを使用して排ガスの測定をしています。
他にも液化天然ガス(LNG)を輸入してエネルギーの熱量を測る際、BTUなどさまざまな計測を行いますが、数値が少しでも違えば取引額が何億円も変わってしまいます。その数値が正しいかどうかを見極める際に弊社のガスがバイヤーとセラーの間で基準ガスとして使用されます。
また、スマートフォンやパソコンで使われている半導体においても、各メーカーの製造工程で使われる特殊材料ガスを製造し、提供しています。
ーー貴社の商品がないと世の中に出てこない商品も多いのですね。
江上真紀:
そのため、コロナ禍でも1日も操業を止めずリモートワークもせず、時差出勤やかなり早くからの職域ワクチン接種等々の積極的感染予防対策を実施し、通常通り工場を稼働させてきました。
弊社の業務が止まると、自動車も半導体も、触媒や冷媒、タミフルなどをはじめとする各種医薬品の生産も止まってしまうと言っても過言ではありません。弊社は日本の基幹産業の一つとして「止めてはいけない」という自覚を持ってコロナ禍を乗り越えてきました。
ーー貴社の強みを教えてください。
江上真紀:
弊社は営業、製造、開発、品質保証等のメンバーが2週間に1度程度集まり、お客様からの問い合わせについて協議しています。いわゆるクロスファンクションです。そこでお客様からの課題や要望を真摯に検討した上で、結論を出して返答しています。お客様からお問い合わせがあったときに、どんなに難易度が高かったとしても、すぐに断わる権利は社内の誰にもありません。他社で断られたお客様にとって、弊社こそが最後の砦なのです。
ガスづくりは、1人でできるものではなく、チームで取り組まなければなりません。チームワーク、技術力そしてノウハウの継続的な蓄積が弊社の強みです。
家業のお手伝いから始まった経営者への道筋
ーー経営者になる道を目指したのはいつからですか。
江上真紀:
父が創業者であり、母が貿易課の課長だったため、幼い頃から海外のガス会社の話題が家族団らんの場でいつも出ていました。また、中学生の頃から父と母から手伝いを頼まれ、取引先宛にタイプで英語の手紙を打ったり、通訳をしたりしていました。
経営者を目指し始めたのはアメリカのシカゴ大学に在学中の頃です。大学では経済学と行動心理学を専攻しました。卒業後は勉強のためにイギリスに本社をおくBOCグループという国際的な工業ガスメーカーの米国本社で3年間働き、その後マサチューセッツ工科大学スローン経営学部で経営学修士号を取得し、帰国後は大阪酸素工業株式会社(現日本エア・リキード合同会社)で1年働きました。私自身は化学よりもマーケティングが専門といえます。
ーー入社してから大改革を行われたそうですね。
江上真紀:
会長であった父は特殊ガスのプロフェッショナルでしたが、経営のプロフェッショナルではありませんでした。
40数億円の売り上げに対して48億円以上の借り入れがあったのです。私が入社してから、原価計算などのベーシックな経営をきちんと行ったことによって、キャッシュフローが改善されてかなり利益が出るようになりました。
お客様の立場を学ぶ6か月間の営業経験
ーー社員教育はどのように行っていますか。
江上真紀:
弊社では新卒の新入社員は全員、入社して6か月間は営業職に携わることになっています。これは営業の経験を通じてお客様のことを常に考える力を学び、お客様に喜ばれることを意識したものづくりができるような人材に育ってほしいと思っているからです。そのため、積極的にお客様とコミュニケーションをとることを学ぶには非常に良い環境だと思います。
一方で、高齢の社員も大切にしています。むかしは定年の制度自体がありませんでしたが、現在は67歳に設定しています。更に定年後も勤められる再雇用制度も取り入れ、70代以上の社員も在籍するため、長く働ける会社だと思います。
ーー今後どのような人材に来てほしいと思いますか。
江上真紀:
好奇心があってサイエンスが好きで「面白いな、もっと知りたいな」「自分から手伝いたいな」と思える人材(財)です。そのような方はたくさんいらっしゃると思いますが、日本人にはリーダーシップがある若い方が少ないかもしれません。
サイエンスを選ぶ女性は、まだまだ少ないと思っています。弊社は、男女平等で、給料の差も全くありません。性別や人種や年齢ではなくパフォーマンスに対して給料を支払っています。ですから、より多くの女性にも入社していただき、もっと活躍してほしいです。
ーー女性の活躍というところでは、江上さんご自身がIOMA(International Oxygen Manufacturers Association, Inc./国際酸素製造者協会)(※1)のボードメンバーに就任されたそうですね。
江上真紀:
国際的な大企業と中小企業の工業ガス業界の集まりであるIOMAという団体で、初のアジア人女性としてボードメンバーになりました。まだまだ組織の上の方には白人男性が多く、日本人として理事に選ばれたのはようやく2人目といったところです。
こういった団体での活動を通じて、世界や日本の発展のためにも、化学業界に貢献していきたいと思っています。
(※1)IOMA(International Oxygen Manufacturers Association, Inc./国際酸素製造者協会)は、1940年代に設立された産業ガス業界における歴史のある世界的組織。現在、約100社がメンバーとなっており、日本からは10社が登録している。
編集後記
中学生の頃から家業を手伝い、アメリカの大学で経済学を学んだ経歴はもちろん、お話をうかがっていてとてもグローバルでリベラルな感覚を持った経営者だと感じた。特殊ガス業界のみならず日本の産業全体に関わり変革していく手腕に今後も期待したい。
江上真紀(えがみ・まき)/1967年、東京都出身。1989年シカゴ大学経済学部及び行動心理学部を卒業。1994年マサチューセッツ工科大学大学院修士課程を修了。BOCグループのアメリカ本社企画室、大阪酸素工業株式会社(現日本エア・リキード合同会社)の事業開発本部を経て、1995年高千穂化学工業株式会社企画室に入社、貿易部門の売上げを10年で10倍以上にする実績を上げ、35歳の若さで代表取締役社長に就任。