※本ページ内の情報は2024年3月時点のものです。

2018年、「日本の台所」と呼ばれた東京都中央卸売市場・築地市場が、約80年の歴史に幕を閉じて豊洲へ移転した。豊洲市場で取り扱われる鮮魚や青果物の量は世界規模を誇る。

そんな築地市場と豊洲市場で、人脈を広げながら家業を継ぎ、業績を伸ばしてきたのが株式会社西太だ。産地直送の野菜や、広域にわたる物資の流通など、新たな事業に取り組んでいる同社の代表取締役社長である岡本光生氏に話を聞いた。

京都の市場で修業を積んだ日々

ーーどのような学生時代を過ごしていたか、お聞かせください。

岡本光生:
私の時代は「とにかく大学を卒業しろ」といった風潮がありましたので、親に勧められて大学に進学し、多くのアルバイトに励んでいました。その中でもとくに、子どもたちの成長を感じられる、水泳のインストラクターのアルバイトにやりがいを感じていました。その頃から、人の成長していく姿が見られる「育成」というものが好きだったのだと思います。

ーー大学卒業後は、すぐに家業を継がれたのでしょうか。

岡本光生:
父親は、初めは築地市場で他の仲卸業者から間借りをしながら商いをしていたのですが、業務が好調だったので、後を継ぐように言われていました。ですから私は、就職活動はしてませんでした。

しかし「店を継ぐのであれば修業するように」と促され、知り合いもいない京都にある仲卸業者の株式会社朱常へと、就職を決められたのです。築地へ戻るまでの3年間、ただひたすら業務に取り組みました。その修業によって、京都での人脈も得ることができ、後々の私の仕事にもプラスとなりました。

築地市場での自主的な学びから経験をさらに積んでいく

ーー京都で3年の修業を終え、築地へ戻ってから社長へ就任されるまではどのような業務に取り組んでいたのでしょうか。

岡本光生:
築地に戻ってきてからは、家業を継ぐという意識がさらに強くなりました。業務に取り組みながらも築地市場や会社経営とは何かを、実際に現場を見たりいろいろな人から話を聞いたりして学んでいました。すると、そのような私の姿に興味を持ってくれた、当時新宿にあった大手スーパーとの縁がつながり、店の売り上げも伸びていきました。

ーー社長に就任するきっかけというのはあったのでしょうか?

岡本光生:
もともとのきっかけとなったのは、父や親族との対立です。ファクスやパソコンなどの導入や業務の効率化などを提案する私と、今までのやり方を変えたくない父とでぶつかり合ったり、他にもさまざまな揉め事などがありました。

そんな最中に私は1997年に株式会社富田屋を買収するチャンスに恵まれ、代表取締役社長に就任しました。2001年には市場外流通(広域流通)を目指し有限会社柏屋を立ち上げます。これらの会社の設立によって、経営のすべてが学べました。

しかし、私が退くことで㈲西太が潰れてしまう可能性があったため、父親から会社のすべてを任せたいと頼まれたのです。そして2002年に、株式会社富田屋と有限会社西太を新設合併という形で統合し、株式会社西太を設立し代表取締役へと就任しました。

就任時は負の資産が多額にあり資金がありませんでしたが、私の仕事に対する熱意を買ってもらい、2500万円の融資を受けることができました。そこから会社の再建を図るためにも、無我夢中で業務に取り組みました。

産地野菜と広域流通への新たな挑戦

ーー社長に就任されてから、新たに取り組まれた事業はありますか。

岡本光生:
「物流は商流を制する」という言葉があります。弊社でも広域流通を目指すために、就任してすぐに物流に力を入れていきました。このとき、京都で修業をしていた頃に培った人脈を活かしました。具体的には、京都の野菜を仕入れる仕組みづくりをおこないました。

雪が降り積もる中、京都の某取引先に営業に行ったときには、「今忙しいから、外で待っていなさい」と言われて、雪だるまのようになるまで外で待っていたこともあります。熱意が伝わったのか、そこから商いが大きく膨らみ目標であった広域流通の足掛かりもできました。

また、八百屋といえば西太を思い出してくれるように、友人を介してさまざまな業種の方を紹介してもらっていました。そんな活動をしていると、ご縁が少しずつつながっていくのです。

ーー執念で取引先のルートを確立していったのですね。

岡本光生:
そうですね。

また、弊社は一極集中でなく、取引先が多様性に富み、バランスが良いのが強みです。ですから、どこかの売り上げが落ちてもどこかの売り上げでカバーできるのです。コロナショックの中でも売り上げに影響はありませんでした。

ーーこれから新たな事業への取り組みなどは考えていますか?

岡本光生:
この先も、野菜につながるような事業であれば、進んで取り組んでいきたいです。現在、松茸を主力商品として取り扱っていますが、新潟営業所も稼働させたため、さらに新たな主力商品をつくりたいと考えています。野菜は、食生活において魚や肉のようにメインとならなくても、必ず必要なものだと思っています。

また、市場は古い慣習が根付いている場所です。しかし、古さと伝統は違います。伝統を守りつつ、古いだけのものは捨てて、新しいことをどんどん取り入れていきたいですね。

若手も一緒に会社をつくっていきたい

ーー学生時代にアルバイトをされていたとき、育成にやりがいを感じたとうかがいましたが、それは今でも変わりませんか?

岡本光生:
弊社には、知人のやんちゃだったお子さんが入社してくるケースもありました。やはり、人が成長して変わっていく姿を見るのはとても楽しいですね。今でも育成にやりがいを感じます。

ーー現在、貴社ではどのような人材を求めていますか?

岡本光生:
弊社は30〜40代の社員が活躍する一方で、20代の社員も増えています。「皆で会社を新しくつくっていこう」という熱い思いにあふれている方を求めています。

中途採用で入社する方は「前職で身につけた能力や技術を積極的に活用してください」と伝えています。会社に対する改善点やアイデアをどんどん提案していただきたいですね。

編集後記

持ち前のコミュニケーション能力で人脈を培い、厚い信頼を勝ち取って事業を拡大してきた岡本社長。取引先だけでなく、人が成長していく姿を見るのが好きだと語る中からは、義理人情に厚い人柄を感じる。伝統を守りつつ、若手社員とどのように会社を発展させていくのか。今後の株式会社西太から目が離せない。

岡本光生(おかもと・みつお)/1962年東京都出身、1983年高千穂商科大学卒業。京都市場内仲卸である株式会社朱常に入社。3年後に築地に戻り、有限会社西太へ入社。1997年株式会社富田屋代表取締役就任、1998年東屋農産株式会社取締役就任、2001年有限会社柏屋代表取締役就任を経て、2002年株式会社西太代表取締役に就任する。2003年有限会社M’z brain代表取締役就任。産直野菜や広域流通を手掛ける。豊洲市場協会理事全青卸売連関東地区協議会常務理事青果連合事業協会理事、高千穂大学同窓会評議員に就任。